第136話:平常運転の再開と、動き出す富
呂宋の巨大な湊から、おびただしい数の巨大商船が次々と外海へ押し出されていく。
「帆を張れぇ! 風を逃すな!!」
数か月間にわたり港に釘付けにされ、莫大な維持費と赤字の焦燥感に苛まれていた大内家の商人や船乗りたちの顔には、久方ぶりの生気が満ち溢れていた。
船倉には、日ノ本から運ばれた極上の絹織物、陶磁器、漆器、そして堺の職人が組み上げた精密なからくり時計などが、山のように積まれている。
これらはすべて、西域や羅馬方面の貴族たちが喉から手が出るほど欲している極上の品々であった。
彼らを護衛するのは、都から到着したばかりの増援艦隊を含む、最新鋭の鋼鉄大砲を備えたガレオン船団である。
旗艦の甲板で、大内家重臣・陶興房は、単眼鏡(望遠鏡)で南西の海を睨みつけた。
「ええか! 目指すは南方大陸の南端じゃ! 天竺の海域には一里たりとも近づくな!」
興房の腹の底から響く号令に、水夫たちが力強く応える。
『都の女狐どものえげつない指示……。天竺という最高の商い場を素通りし、はるか南の荒海を大迂回して西域へ向かえという無茶苦茶な航路じゃが……』
興房は、操舵輪の横に据え付けられた精巧な羅針盤と、最新の海図を見下ろしてニヤリと笑った。
『我ら日ノ本の誇る造船技術と、この狂いのない海図があれば、いかなる荒海も乗り越えてみせるわい!』
西の海を塞ぐ二十万の敵には目もくれず、大内家の巨大船団は力強く帆に風を孕み、未知の新航路へと突き進んでいった。
***
一方、西域の巨大拠点、亜歴山。
細川家の商館にも、都からの「天竺完全無視と商い再開」の指示が届いていた。
「……なるほど。そういうことであったか!」
細川家の商館長は、指示書に込められた薫子の真意を完璧に理解し、膝をポンと打った。
「天竺の富の源泉は土地ではなく、我ら日ノ本の商船が運ぶ品々。ならば、我らが寄り付かぬ天竺は、ただの空箱に過ぎぬということか!」
この騒動の間、赤字に苦しんでいた商館長の顔に、商人としての獰猛な笑みが戻る。 彼は直ちに、南方大陸を管轄する山名家へと早馬と早船を放った。
「山名軍と連携し、南方大陸の西海岸沿いに新たな荷揚げ拠点を開拓せよ! 大内の大船団が天竺を大迂回して、直接こちらへやってくるぞ!」
さらに、羅馬方面や西域の商人たちに対しても、商いの再開を大々的に布告した。
数十日間にわたる日本の「商いの停止(経済封鎖)」によって、旧大陸の市場からは日本の品々が完全に姿を消し、価格は数十倍にも跳ね上がっていた。
そこに、細川家が再び極上の品々を放出したのである。
「おお! ジパングの商いが再開したぞ!!」
「絹だ! 香辛料だ! いくらでも出す、ありったけの金貨を持ってこい!!」
亜歴山の巨大市場は、瞬く間に熱狂的な商人と莫大な金貨の渦に包まれた。
***
天竺という「世界最高のハブ拠点」を意図的に切り捨てる。
それは本来、途方もない非効率と多大な損失を生むはずの暴挙であった。
だが、日本は幕府という強力な中央集権のもと、大内、細川、山名といった巨大な組織が完璧に連携することで、その不可能を可能にしてしまった。
天竺を通らずとも、莫大な富を乗せた船団は、荒れ狂う外洋を正確に航行し、新しいパイプ(航路)を通じて西域へと直接流れ込み始めたのである。
世界の海を巨大な毛細血管のように縫って、日本の商船が縦横無尽に走り回る。
停滞していた商いの血流が、再び力強く脈打ち始めた。
そして、長らく供給が止まっていたことによる「強烈な飢餓感」が最高のスパイスとなり、日本がもたらす品々はかつてないほどの莫大な利益(銭)を生み出し、日ノ本へと滝のように還元されていった。
世界経済は、再び極東の島国を中心に猛烈な勢いで回り始めたのである。
ただ一箇所、天竺という「死に至る病巣」だけを、完璧に孤立させたまま。




