第132話:異常なる集結 〜二十万の密集陣形〜
天竺西海岸、古里。
ジパングの商館が放棄された「抜け殻の都市」の空に、地鳴りのような歓声が響き渡っていた。
『おお……! 見よ、あの威容を! 我らは見捨てられてなどいなかったのだ!』
港の巨大な物見櫓の上で、ヴェネツィア出身の没落海商は、興奮で全身を震わせながら水平線を見つめていた。
数日前に秘密裏に届けられたメディチ家からの兵糧支援によって、飢えの恐怖から解放されたばかりの私兵連合軍。
彼らの眼前に今、信じられない規模の大船団が姿を現したのである。
波を蹴立てて進んでくるのは、三日月旗を掲げたオスマン帝国の巨大なガレー船団。
さらには、イングランド王室の紋章を掲げた重厚な武装帆船の群れ。
マキャヴェッリの扇動によって突き動かされた「日和見国家」の正規軍たちが、次々と天竺の海へ集結してきたのだ。
「総督! 羅馬方面の各都市国家からも、続々と援軍が到着しております!」
「素晴らしい! これでジパングの悪魔どもも、二度とこの天竺に近づくことはできまい!」
海商は、周囲の将校たちと抱き合いながら狂喜乱舞した。
元々の私兵連合軍の千隻・十万の兵に加え、各国の正規軍からなる追加の船団が合流したことで、天竺に集結した戦力は途方もない規模に膨れ上がろうとしていた。
***
かつて大内家が統括していた、豪奢な大商館のメインホール。
ジパングの調度品が残されたその広間では、旧大陸の各勢力を代表する指揮官たちによる、盛大な軍議が開かれていた。
「我がオスマン帝国の無敵の艦隊が加わったからには、もはやこの海は我らの内海も同然よ」
オスマン帝国の司令官が、傲慢な笑みを浮かべながらワイングラスを傾ける。
「全艦隊の合流が完了すれば、我が陣営の船は二千隻を優に超え、兵の数は二十万に達する。これほどの大軍勢、有史以来いかなる王も動かしたことはあるまい」
イングランドの提督もまた、誇らしげに胸を張った。
彼らの顔にあるのは、圧倒的な「物理的暴力」を手に入れたという絶対の自信であった。
「いかにジパングの大砲が恐るべき威力を誇ろうと、我々が海を隙間なく埋め尽くして『蓋』をしてしまえば、奴らは上陸する隙間すら見つけられん!」
「その通りだ! 奴らが本国から大艦隊を呼び寄せようとも、この二十万の壁を打ち崩すことなど絶対に不可能!」
『これで勝てる! いや、すでに我々の勝利は確定したのだ!』
ヴェネツィアの海商も内心で喝采を叫び、グラスを高く掲げた。
「旧大陸の偉大なる同盟に乾杯! この天竺の富は、永遠に我らのものだ!」
「「「おおおおおっ!!」」」
ホールは、勝利を疑わない指揮官たちの熱狂的な歓声に包まれた。
土地と海を圧倒的な数で制圧することこそが、彼らの知る唯一絶対の「戦の定石」であった。
だからこそ、彼らは自分たちがどれほど愚かな真似をしているのか、誰一人として気づいていなかったのである。
***
指揮官たちが勝利の美酒に酔いしれている頃。
港湾地区や、かつての居住区画では、極めて深刻な問題が物理的に顕在化し始めていた。
「おい! 船を少し右へ寄せろ! 錨を下ろす隙間がないぞ!」
「馬鹿野郎! 右にはすでにスペインの船が三隻も重なって停泊している! これ以上寄せれば船体が砕けるぞ!」
海を埋め尽くす二千隻の船。
それは言葉で言えば勇ましいが、現実の港においては「異常な人口密度」という悪夢をもたらしていた。
港の処理能力を遥かに超える数の船がひしめき合い、少し波が荒れるだけで船同士が激しく衝突し、木材の軋む不気味な音が絶え間なく響いている。
さらに悲惨なのは、陸に上がった二十万の兵士たちであった。
「くそっ、また厠が溢れているぞ! どこで用を足せばいいんだ!」
「ジパングの奴ら、上水を引く水路を壊していきやがったからな……。井戸の周りは、一日中水を求める奴らで殺し合い寸前だ」
大内家が綿密な計算のもとに構築し、適切に管理していた巨大都市のインフラ。
それが完全に破壊された「抜け殻の都市」に、突如として二十万もの人間が押し込められたのである。
衛生環境は瞬く間に悪化し、道端には汚物が溢れ、悪臭が立ち込め始めていた。
メディチ家から秘密裏に送られた兵糧によって、当面の「飢え」こそ凌げてはいる。
しかし、これほど過密な環境で、もし一つの船から疫病でも発生すれば、一瞬にして全軍が地獄に叩き落とされることは明白であった。
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だが、前線の兵士たちの悲鳴や苛立ちは、勝利に酔う指揮官たちの耳には届いていなかった。
彼らは、ジパングの反撃を恐れるあまり、ただひたすらに「海を塞ぐこと」だけに固執し、この異常な密集陣形を解こうとはしなかったのだ。
『我々は完璧な要塞を築き上げた! ジパングの悪魔どもめ、指を咥えて見ているがいい!』
ヴェネツィアの海商は、大商館のバルコニーから、隙間なく停泊する自軍の船団を見下ろして笑っていた。
彼らが天竺の海に置いた「巨大な蓋」。
それはジパングの侵攻を防ぐ盾ではなく、自らを閉じ込める「巨大な棺桶の蓋」に他ならない。
圧倒的な数の暴力は、何ひとつ富を生み出さないまま、ただ莫大な食糧と士気を猛烈な速度で喰らい尽くしていく。
世界最恐の経済兵器の罠に落ちた二十万の軍勢は、自らの重みに耐えかねて、緩やかな自重崩壊への第一歩を踏み出していた。




