第131話:メディチ家の保身と、秘密裏の兵糧支援
羅馬方面の美しい都市国家、フィレンツェ。
メディチ家の当主ロレンツォは、執務室の窓から眼下に広がる豪奢な街並みを見下ろしていた。
この街の繁栄の多くは、極東の島国・ジパングがもたらす莫大な富と、彼らとの強固な「親日」関係によって支えられている。
しかし、その絶対的な力関係は、彼の胸中に常に薄氷を踏むような緊張感を強いていた。
「……マキャヴェッリよ。そなたの狂気じみた策、本当にうまくいくと申すのだな?」
ロレンツォが背後を振り向かずに問うと、部屋の暗がりに控えていた若き天才官僚が、恭しく頭を下げた。
「ええ。旧大陸の国々からかき集めた艦隊は、間もなく天竺へ集結いたします。海を埋め尽くす二千の船と二十万の兵。これほどの物理的な『壁』を作られれば、いかなるジパングの大船団とて、上陸する隙間すら見出せますまい」
「だが、万が一、ジパングが奪還の軍を向け、我々の策が露見すれば……メディチ家は一族もろともこの地上から消し去られるぞ」
ロレンツォの声には、隠しきれない恐怖が滲んでいた。
ジパングの「商いの停止」による経済の麻痺は、すでにフィレンツェの市場にも深刻な影響を及ぼし始めており、彼らの力の恐ろしさを改めて痛感させられていたからだ。
「ご安心を。我がメディチ家は、あくまで『静観する第三者』であり、直接兵を出してはおりません。表向きは、これからもジパングの忠実な友であり続けるのです」
マキャヴェッリは、冷たい微笑を浮かべたまま言葉を続ける。
「ですが、裏では……天竺の海を塞ぐ十万の兵たちが餓死せぬよう、秘密裏に手を差し伸べてやるのです。彼らがジパングを完全に締め出し、天竺の富を旧大陸に取り戻した暁には、我々がその富の恩恵を最も享受できるように」
ロレンツォは深くため息をつき、自らの保身と強欲の狭間で揺れ動く心を鎮めようとした。
『……悪魔の策だが、乗るしかあるまい。ジパングの軛から逃れ、旧大陸が再び世界の中心となるためには』
「……よかろう。だが、支援の品にメディチ家の刻印は一切残すな。ジパングの耳目に見つかれば、すべてが終わる」
「承知しております。すでに手配は済ませております」
マキャヴェッリの狡猾な手回しは、完璧であった。
数日後。
フィレンツェの港から、何の変哲もない質素な商船の群れが、夜陰に紛れて出航していった。
その数、数百隻。
船内には、メディチ家が莫大な資金を投じてかき集めた「麦」や「塩漬け肉」、そして大量の樽に入った飲料水が満載されていた。
それは、天竺を占領し、空っぽの街で飢えに直面するであろう私兵連合軍を支えるための、秘密裏の兵糧支援であった。
***
偽装された船団は、ジパングの警戒網を避けるため、通常とは異なる複雑な航路を辿った。
そして、彼らが最大の難所である西域への入り口――オスマン帝国が支配する海峡――に差し掛かった時のことである。
オスマンの沿岸警備船が、見慣れぬ大船団の接近に気づき、行く手を塞いだ。
「止まれ! 貴様ら、何処の船だ! 積み荷を検める!」
武装したオスマンの役人たちが、険しい顔で乗り込んでくる。
しかし、偽装船団の船長は慌てることなく、懐から重々しい革袋を取り出し、役人の長にそっと手渡した。
「……我々は、天竺へ向かう『名もなき』商人です。これは、通行のささやかなご挨拶に……」
革袋を受け取った役人の長は、中身を覗き込んで息を呑んだ。
そこには、眩いばかりの金貨がぎっしりと詰まっていたのだ。
「……ほう。随分と気前のいい商人だな」
役人の長は、周囲の部下たちに気づかれぬよう革袋を素早く懐にねじ込むと、ニヤリと笑った。
「よし、通れ! この船団は怪しいところはない! 速やかに海峡を抜けよ!」
「ははっ、ありがとうございます」
マキャヴェッリの計算通り、オスマン帝国の末端の役人たちは、ジパングの脅威よりも目先の黄金にあっさりと屈した。
こうして、メディチ家による秘密裏の兵糧支援船団は、ジパングの目を掻い潜り、飢えの危機に瀕している天竺へと安全な補給線を確保したのである。
『これで、盤石だ』
報告を受けたマキャヴェッリは、勝利を確信していた。
十万の兵が天竺を塞ぎ、メディチ家がその胃袋を満たす。
ジパングはいかに強大であろうとも、手出しできないまま、天竺の富を永遠に失うのだと。




