第130話:マキャヴェッリの暗躍 〜蓋をする大艦隊構想〜
西の果て、羅馬方面に位置する美しい都市国家。
その中枢たる豪奢な宮殿の、さらに奥深くにある窓のない密室で、歴史の歯車を狂わせるための陰謀が静かに進行していた。
薄暗いランプの灯りに照らし出されているのは、メディチ家に仕える若き天才官僚、ニッコロ・マキャヴェッリの青白い横顔である。
彼の対面に座っているのは、西の海に浮かぶ島国・イングランド王室の密使と、西域を支配する巨大なオスマン帝国の高官であった。
「……信じられぬ。あの無敵と恐れられたジパングの船団が、天竺から逃げ出したというのか?」
イングランドの密使が、半信半疑の声を上げる。
「ええ。事実です。先んじて決起した一部の私兵連合軍が、すでに天竺の古里を占領いたしました」
マキャヴェッリは、手元の書状を優雅に指で弾きながら、自信に満ちた笑みを浮かべた。
「ジパング軍は、連合艦隊の威容を前に、拠点と莫大な富を放棄して尻尾を巻いて逃げ出したのです」
マキャヴェッリの言葉には、人を信じ込ませる奇妙な魔力があった。
実際のところ、天竺の沖合では、私兵連合軍の先鋒艦隊がジパング軍の砲撃によって壊滅的な被害を受けていた。
だが、マキャヴェッリは自らの情報網で得たその「不都合な真実」を意図的に伏せていた。
「今、ジパングの商船は世界中の港から姿を消し、港に引きこもって防衛態勢を敷いております。これは、奴らが我々の武力を恐れ、完全に萎縮している証拠に他なりません」
商船が姿を消したのも、ジパングが「意図的に世界経済を止めた」からなのだが、マキャヴェッリはそれらをすべて「恐怖による防衛」と都合よくすり替え、各国の使者を扇動していたのである。
「……だが、ジパングがこのまま黙っているとは思えん。本国からあの恐るべき鋼鉄の大砲を積んだ巨大船団が報復にやってくれば、我々に勝ち目はないぞ」
オスマン帝国の高官が、警戒心を露わにして低い声で唸る。
西域の覇者である彼らでさえ、日本の圧倒的な技術力と莫大な富には長年脅威を感じていたのだ。
しかし、マキャヴェッリはその懸念すらも計算ずくであった。
『ええ、その通り。普通に戦えば、我々に勝ち目など万に一つもない』
マキャヴェッリは内心で冷たく嗤いながら、身を乗り出した。
「だからこそ、です。ジパングの本国から増援が来る前に、我々で天竺の海を完全に塞いでしまうのです」
「……塞ぐだと?」
「ええ。旧大陸に残るすべての軍船を天竺へ送り込み、海を隙間なく埋め尽くすのです。文字通り、天竺の海に『蓋』をしてしまうのですよ」
マキャヴェッリは、机の上に広げられた海図の天竺の部分を、両手で覆い隠すように押さえつけた。
「いかにジパングの大砲が強力であろうと、我々の数千、いや数万の船で海を埋め尽くしてしまえば、上陸する隙間すらありません」
「なるほど……。物理的な壁を作ってしまえば、奴らも奪還を諦めざるを得ないというわけか」
イングランドの密使が、興味深そうに身を乗り出す。
「その通りです。そして、ジパングが奪還を諦めれば、天竺という莫大な富を生む『世界最高の商い場』は、永遠に我々旧大陸の国々のものとなる。……これこそが、世界の富の分配を根本から覆す、千載一遇の好機なのです」
マキャヴェッリの提示した「蓋をする大艦隊構想」は、土地と海さえ押さえれば勝てるという、古い価値観に縛られた彼らの強欲を完璧に刺激した。
しかし、国家を動かすには、甘い言葉だけでは足りない。
マキャヴェッリは、仕上げとばかりに懐から分厚い誓約書を取り出した。
「イングランド王室には、新たな艦隊を編成するための資金として、我がメディチ家から『無利子での巨額の借款』をお約束いたしましょう」
「無利子だと……!? あの吝嗇なメディチ家が、そこまで譲歩するというのか!」
驚愕するイングランドの密使に、マキャヴェッリは恭しく頭を下げた。
「ええ。天竺の富を独占できるとなれば、安い投資ですから。……そして、オスマン帝国には」
マキャヴェッリは、オスマンの高官へ向けて、重々しい木箱を押しやった。
蓋が開かれると、眩いばかりの金塊と、ジパング製の極上な宝石の山が姿を現した。
「天竺へ向かうための海域の通行許可と、帝国の軍船派遣の対価として、まずはこの莫大な礼金をお納めください。事の成就の暁には、さらにこの十倍の富をお約束いたします」
「……よかろう。我が帝国の無敵のガレー船団も、天竺へ向けて出撃させよう」
金塊の輝きに魅入られたオスマンの高官は、喉を鳴らして深く頷いた。
***
密談が終わり、各国の使者が足早に立ち去った後。
誰もいなくなった密室で、マキャヴェッリは一人、勝利の美酒をグラスに注いだ。
「ふふっ……ははははっ!」
彼は堪えきれない歓喜を込めて、低く笑い声を上げた。
『これで勝てる! 各国の正規軍が合流すれば、天竺に集まる船の数は二千を優に超え、兵の数は二十万に達する!』
これほどの軍勢を前にすれば、いかなる超大国であろうとも手出しはできない。
彼は、自分が「ジパングの無敵の支配」に土をつけ、世界の歴史をひっくり返す大功労者になるのだと確信していた。




