第127話:警戒網の構築と、細川家の合流
西国鉄路の敷設予定地に沿って建てられた腕木通信の網を駆け抜け、ほんの数時間で都へと到達した光の信号。
それは幕府の莫大な資本によって日本国内に張り巡らされた「情報網」の恐るべき威力を証明するものであった。
そして時を同じくして、地球の裏側でもまた、もう一つの決死の伝令が目的地へと到達しようとしていた。
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地中海へ抜けるための巨大要塞港にして、南蛮および西域方面の物流を束ねる結節点。
細川家が管轄する巨大大商館、亜歴山。
その豪奢な執務室の扉が乱暴に開かれ、極限まで疲労した一人の伝令が転がり込んできた。
彼の着物には、大内家の紋と、波斯拠点の印が刻まれている。
「大内家、波斯拠点より急報!! 天竺の古里に敵兵十万が襲来! 大内軍は拠点を完全放棄し、全人員を撤退せしめたり!なお、波斯拠点は防衛態勢で湊を封鎖!!」
「なんだと……!?」
細川家の重鎮にして、西域・地中海方面の全権を握る亜歴山商館長は、即座に立ち上がった。
伝令は、血走った目を剥き出しにしながら、天竺からリレーされてきた暗号の巻物を突き出す。
天竺から死に物狂いで波斯拠点へと辿り着いた別動隊からこの巻物を引き継ぎ、彼は替え馬を潰しながらここまで駆け抜けてきたのだ。ちなみに、天竺を脱出した別動隊は波斯に留まっている。
暗号の巻物を受け取り、報告を聞いた商館長は、事態の異常性を一瞬で理解し、息を呑んだ。
『十万だと……!? どこがそれほどの規模で天竺を塞ぎおったのか........!?』
この亜歴山の商館長には、細川家から西側の商い網全体を統括する強大な権限が与えられている。
彼は迷うことなく、室内の巨大な銅鑼を打ち鳴らし、全館に向けて怒号を飛ばした。
「聞け! 全大商館へ向けた第一級警戒信号だ!」
商館長の号令とともに、亜歴山の大商館から、細川家が誇る高速の伝令船と早馬が一斉に放たれた。
腕木通信の通っていない異国の地にあっては、昔ながらの人と馬、そして船による伝達に頼るほかない。
だが、長年かけて構築された細川家の「早船と早馬のリレー」は、羅馬方面から南方大陸方面へと展開する山名家、各地の拠点へと、驚異的な速度で警戒信号を伝達していった。
『第一級警戒! 商いの停止! 防衛態勢へ移行せよ!』
世界各地に散らばっていた日本の大商館たちが、その急報を次々と受け取っていく。
港に停泊していた数千隻の巨大な日本の商船は、即座に出港を中止し、積み荷を降ろす作業がピタリと止まる。
賑やかだった広場から商人たちが消え、代わりに火縄銃と施条銃で完全武装した防衛部隊が、城塞のような商館の壁に配置されていく。
かつては数ヶ月の時をかけて伝わっていた「危機」の情報が、今はほんの数日のうちに海を越え、世界中の商館を「要塞」へと変貌させたのである。
***
しかし、その迅速すぎる「商いの停止」は、別の意味で世界を揺るがすことになった。
世界中の貿易拠点から、圧倒的な物量と富を誇っていた日本の商船が一斉に姿を消したことで、海上の交易路そのものが完全に麻痺したのだ。
南蛮諸国や西域の市場からは、瞬く間に日本製の絹や漆器、極上の香辛料、そして日常の食料品すらも姿を消し始める。
「どうなっている!? 日本の商船が、一隻も動いておらぬぞ!」
「あの莫大な富を運ぶ船団が、すべて港に釘付けだと?」
商いという名の下に結ばれていた世界中のネットワークが、意思を持った生き物のように「硬直」した。
それは、細川や山名といった日本の有力大名たちが、自分たちの商権と人員を守るためにとった当然の防衛策であった。
だが、結果として、日本の流通に完全に依存しきっていた世界経済を、恐怖と混乱のどん底へ突き落とすことになったのである。
ただ情報を伝えるだけではない。
幕府という巨大なシステムが、その意思一つで「世界」を止めることができる。
その事実に、情報を傍受した各国の密偵や、日本の恩恵を受けていた海外の豪商たちが、震えを隠せずにいた。
「もしや……日本は、世界全体を人質にとったのではないか?」
そんな底知れぬ恐怖の噂が、さざ波のように世界中に広がり始めた。
***
京の室町第。
世界中から届く「経済麻痺」の報告書が、大広間の机に山のように積み上げられていく。
「局長! 博多局より報告! 細川、山名、ならびに南蛮・地中海方面の全商館が『第一級警戒』を受理!大東大陸を除く、 全世界の海運が完全に停止しました!」
報告を聞いた幕府の重鎮たちは、あまりの規模に絶句した。
経済を回すための防衛態勢が、世界経済そのものを止めてしまったのだ。
「これでは……我らも無傷では済まぬ。商いが止まれば、世界に展開する大名たちの維持費も払えなくなるぞ」
重鎮の一人が悲痛な声を上げる。
しかし、御簾の向こうで薫子は、静かに扇子を閉じた。
「……ふふ。世界が止まったでおじゃるな」
彼女の唇に、冷徹で妖しい笑みが浮かぶ。
「これこそが我が幕府の、最大の『暴力』でおじゃるよ」
刀を抜くことなく、大砲を撃つこともなく。
ただ「商いを止める」という決断を下すだけで、世界中の国々の血の巡り(経済)を止め、恐怖させることができる。
「さあ、十万もの兵を抱え込んだ愚か者たちは、いつまで息が続くか……見物でおじゃるな」
幕府の重鎮たちの不安をよそに、日野富子は面白くてたまらないといった様子で煙管を燻らせていた。
その傍らで、薫子も余裕の表情を浮かべ、次なる指示の準備を始めていた。




