第126話:最速のリレー 〜都への急報〜
呂宋の巨大な湊から、一隻の船が弾かれたように海へと飛び出した。
大内家が誇る最新鋭の快速連絡船――通称『韋駄天』。
積載量を極限まで削り落とし、速度を出すことのみに特化した流線型の船体に、巨大な帆を何枚も張り巡らせた異形の船である。
「風を読め! まだ張れるぞ! マストが軋もうが構わん、限界まで風を喰らえ!!」
甲板で、船長が血走った目で怒号を飛ばしていた。
水夫たちもまた、一分一秒を削り出すために決死の形相で索具を操っている。
彼らが運んでいるのは金銀財宝ではない。
『天竺に、千隻、十万に及ぶ旧大陸の私兵連合軍が襲来した』という、世界を揺るがす特級の軍事情報である。
『……なんとしても、一刻も早くこの報せを本土へ届けねばならん!』
船長は舳先に立ち、荒れ狂う波を被りながら水平線の彼方を睨みつけた。
呂宋から日本本土までの海域には、中継所となる鉄路がないため、幕府が誇る「腕木通信」の光を繋ぐことができない。
情報の伝達速度は、純粋にこの船の速さのみに懸かっているのだ。
「頼むぞ韋駄天! 龍のごとく海を駆けろぉっ!!」
船長の絶叫に応えるように、快速船は波頭を叩き割り、本国へ向けて文字通り飛ぶように進んでいった。
***
数日後。西国鉄路の西の終着駅が置かれた、九州北部の巨大湊――博多。
水平線の彼方から高速で接近してくる船影を、物見櫓の兵が発見した。
「あれは……大内家の韋駄天船! 赤の旗が上がっております! 第一級の緊急事態です!!」
湊が騒然とする中、韋駄天は桟橋に激突せんばかりの勢いで接舷した。
タラップが下ろされるよりも早く、大内家の船長が甲板から飛び降り、石畳の上を転がるようにして駆け出す。
彼が向かったのは、湊に隣接する巨大な駅の構内に建てられた異様な建造物――幕府の『博多通信局』であった。
「急報!! 呂宋より急報!!」
船長が通信局の分厚い扉を押し開けると、そこには無数の精密な歯車とレンズ、そして巨大なレバーが立ち並ぶ、薄暗い部屋があった。
かつては影に潜み、人の命を奪うことを生業としていた伊賀や甲賀、軒猿の末裔たち。
今や幕府の高給取りの「情報技師」として雇われている彼らが、鋭い視線を船長に向ける。
「天竺に、十万の敵軍が襲来!! 大内軍は拠点を完全放棄し、人員と帳簿をすべて呂宋へ撤退させた!! 直ちに都の公方様へお伝えを!!」
船長が握りしめていた暗号の巻物を差し出すと、通信局の局長はそれを受け取り、目にも留まらぬ速さで暗号文を「数字の羅列」へと変換していく。
「……事態は了解した。大儀であった」
局長は振り向きざまに、配下の技師たちへ鋭く命じた。
「聞いただろう! 第一種警戒態勢! 直ちに『光』を放て! 都の室町第まで、一瞬の遅れも許すな!」
「はっ!!」
技師たちが一斉に巨大なレバーを引き、歯車を回す。
建物の頂上に設けられた巨大な数本の『腕木』が、ガシャン、ガシャンと音を立てて複雑な形に展開していく。
同時に、背後の巨大な反射鏡から、太陽の光を集めた強烈な閃光が、遠く離れた鉄路沿いの次の中継塔へと放たれた。
***
西国鉄路の敷設予定地に沿ってそびえ立つ、第一中継塔。
巨大な望遠鏡(単眼鏡)を覗き込んでいた技師が、博多局からの光と腕木の形を捉えた。
「博多局より赤の通信! 暗号『天竺』『敵・千隻・十万』『拠点完全放棄』『人員撤退完了』!」
「よし! 次の中継塔へ送れ!!」
別の技師が即座に操作棒を引き、自らの塔の腕木を動かし、鏡で光を放つ。
その光を、さらに数里離れた次の鉄路沿いの塔が受け取り、また次の塔へと繋いでいく。
――ガシャン、ガシャン! ピカッ!
黒鉄の馬が駆ける、西国鉄路の大動脈。
近い将来運行する機関車の安全を支えるために、西国鉄路の敷設予定地に沿って一定間隔で整備された「光の道」が、九州の平野を抜け、関門海峡を越え、中国地方を一直線に貫いていく。
かつては早馬を乗り継いで数週間、あるいはひと月近くかかっていた途方もない距離を。
幕府が莫大な国費を投じて鉄路と共に張り巡らせた「光と形の情報網」は、ほんの数分のうちに駆け抜けていく。
まさに、魔法のごとき情報革命であった。
***
そして、その日の午後。
京都のど真ん中にそびえ立つ巨大な近代建築――室町幕府の本社ビルである『室町第』。
その屋上に設置された中央通信局の受信室に、慌ただしい足音が響いた。
「局長! 西方回線より、赤の暗号を受信しました!!」
望遠鏡から目を離した技師の声は、極度の緊張で裏返っていた。
「赤だと!? 内容はなんじゃ!」
「博多局より赤の通信! 暗号『天竺』『敵・千隻・十万』『拠点完全放棄』『人員撤退完了』!」
「なんだと……! 十万じゃと!?」
通信局長は血の気を失いながらも、即座に暗号を解読した正式な書面を作成し、小脇に抱えて部屋を飛び出した。
磨き上げられた廊下を全速力で駆け抜け、彼が向かったのは、日本の、いや世界の行く末を決める最高意思決定の場。
「失礼いたします!! 博多局より、第一級の急報!!」
情報局長が息を切らして大広間(重役会議室)の扉を開け放つ。
そこには、次期将軍(CEO)としてすでに実務の全権を握っている若き足利義材を中心に、幕府の重鎮たちが顔を揃えていた。
そして義材の背後には、御簾越しに静かに座る、日野富子と薫子の姿があった。
「天竺が、十万の軍勢に奪われました!!」
局長の悲痛な報告が響き渡った瞬間、大広間の空気は氷のように張り詰めた。
しかし、御簾の奥で。
薫子はゆっくりと扇子で口元を隠し、誰にも見えない暗い微笑みを浮かべていた。




