第124話:見えざる死神と、マキャヴェッリの扇動
2026.7.11
設定の補足を加筆修正しました。
天竺から波斯へと続く、乾いた赤い岩山が連なる荒野。
太陽が容赦なく照りつける中、大内家の「陸路別動隊」は、音もなく岩陰を縫うように進んでいた。
伊賀や甲賀の血を引く隠密部隊を中心に編成された彼らの任務はただ一つ。
天竺(古里)に襲来した十万の敵艦隊の情報を、細川家が管轄する地中海方面の巨大関所――『亜歴山』へといち早く伝えることである。
その別動隊の長が、不意に足を止め、すっと右手を挙げた。
背後に続く数十名の隊員たちが、一瞬にして周囲の岩と同化するように身を潜める。
「……眼下の街道を見よ」
長の視線の先、はるか下方の荒野の砂塵を巻き上げながら、巨大な軍勢が行軍していた。
派手な甲冑に身を包んだ旧大陸の陸軍部隊、およそ数千。
おそらく、海から天竺を強襲した連合艦隊の本隊と呼応し、西側の陸路からジパングの拠点を挟み撃ちにするための別動隊であろう。
「隊長。敵の数は約三千。ここからの距離は……およそ三百間(約550メートル)といったところです」
単眼鏡で敵情を偵察していた部下が、低い声で報告する。
「旧大陸の火縄銃では、天に向かって撃っても絶対に届かぬ距離ですな。いかがなさいますか? やり過ごしますか?」
部下の問いに対し、隊長は口元に冷酷な笑みを浮かべた。
「いや。連中がこのまま進めば、いずれ後退した我らが同胞たちの背中を突くことになる。少しだけ『足止め』をしておこう」
隊長は背中に背負っていた、布に包まれた細長い得物をゆっくりと取り出した。
『……ちょうど良い。堺の職人どもと、あの異国の天才ダ・ヴィンチとかいう男が創り上げた『次世代の筒』……その実力を試させてもらおう』
布を解くと、黒く鈍い光を放つ鉄の長筒が現れた。
一見するとただの火縄銃のようだが、その構造はまったく異なる。
筒の内側には『施条』と呼ばれる螺旋状の溝が精巧に刻まれており、ダ・ヴィンチのプレス機によって量産された「真鍮の薬莢」と、真ん丸に成型された「鉛の弾丸」を使用する、恐るべき狙撃兵器であった。
隊長は岩山の上に腹這いになり、ライフルの筒先を数百間先の敵軍へと向けた。
筒の上に特別に設えられた単眼鏡の十字の線が、敵軍の先頭を馬に乗って進む、一際豪華な鎧を着た指揮官の頭部を捉える。
「……風は微風。距離三百。日ノ本の力、とくと味わえ」
引き金が引かれた。
***
「はっはっは! 進め、進め! 海からの本隊が異端の猿どもを引き付けている間に、我らが陸からジパングの富をかすめ取ってやるのだ!」
豪華な鎧を着た旧大陸の将軍が、馬上で下品な笑い声を上げていた。
マキャヴェッリの秘密裏な根回しによって、道中で遭遇した各国の軍が、食料を放棄して脱兎のごとく撤退していた事で、根回しの事など知る由もない彼らは完全に調子に乗り、盛大に油断していた。
敵の拠点もまだはるか先であり、周囲の岩山に伏兵がいたとしても、自軍の三千という圧倒的な兵力は、無敵だと高を括っていたのだ。
「将軍閣下! このまま進めば、数日のうちに天竺の古里へと到達いたしますぞ!」
副官が馬を寄せておべっかを使った、まさにその瞬間だった。
パンッ!
乾いた破裂音のようなものが響いたかと思うと、隣で笑っていた将軍の頭部が、まるで熟れた果実のように弾け飛んだ。
「……え?」
副官の顔に、生温かい血と脳漿が降り注ぐ。
首から上を失った将軍の体は、一拍遅れてドサリと馬から転げ落ちた。
「な……なにが起きた!? 将軍閣下が!!」
周囲の兵士たちがパニックに陥り、悲鳴を上げる。
銃声のような音は、はるか上方の岩山から遅れて響いてきたが、いくら目を凝らしても敵の姿など見えない。
「敵襲だ! 敵襲!! 盾を構えろ!!」
副官が狂乱して叫んだ直後。
再び空気を切り裂くような音が響き、今度はその副官の胸の分厚い鋼鉄の鎧が、紙屑のように貫かれた。
「が、はっ……!?」
副官は血を吐きながら、もんどり打って落馬した。
続いて、部隊の指揮を執ろうと声を上げた小隊長たちの頭や胸が、次々と、そして正確に撃ち抜かれていく。
「あ、悪魔だ!! 見えざる死神が撃ってきているぞ!!」
「どこからだ!? どこから撃ってきているんだ!! 弓も銃も届く距離じゃないぞ!!」
目に見えない数百間先からの、絶対的に正確な狙撃。
反撃すら不可能な「射程の暴力」を突きつけられた旧大陸の兵士たちの心は、わずか数発の銃弾で完全にへし折られた。
「ひぃぃぃっ! 逃げろ!! 呪われている!! ここは悪魔の土地だ!!」
誰かが叫んだのを合図に、三千の軍勢は武器や荷を放り出し、我先にと来た道へ向かって敗走を始めた。
***
「……見事なものだ」
岩山の上で、隊長は硝煙の立ち昇るライフルの筒を撫でた。
「これほど離れた距離から、狙った獲物を寸分違わず撃ち抜けるとは。恐ろしい筒を作ったものよ」
「隊長。敵軍、完全に瓦解し、蜘蛛の子を散らすように逃げていきます。追撃しますか?」
部下の言葉に、隊長は静かに首を横に振った。
「必要ない。あの怯えようでは、二度とこの道を引き返してくることはあるまい。無駄な弾薬を消費するな」
隊長はライフルを再び布で包み、背中に背負い直した。
「さあ、先を急ぐぞ。地中海の玄関口、亜歴山の細川様の大商館へ、一日も早く急報を届けるのじゃ」
黒装束の集団は、何事もなかったかのように立ち上がり、再び荒野の影へと溶け込んでいった。
***
同じ頃、はるか西方の地、欧州・フィレンツェ。
メディチ家宮殿の薄暗い密室で、若き官僚ニッコロ・マキャヴェッリは、手にした羊皮紙の報告書を読み、歓喜に肩を震わせていた。
「素晴らしい……! まさか、これほど都合よく事が運ぶとはな!」
彼の手元には、天竺へ向かった私兵連合軍についての第一報が届いていた。
『連合軍十万の艦隊、天竺の古里へ上陸完了。ジパング軍は一戦も交えることなく逃亡し、街を明け渡せり』
それは、古里の街が「食糧のない抜け殻」であるという事実を知る前の、ただ上陸と無血占領だけを伝える早馬の報せであった。
だが、マキャヴェッリにとって、その都合の良い切り取り情報こそが、最高の「扇動の道具」であった。
数日後。マキャヴェッリは、これまで事態を静観していた欧州各国の使者たち――イングランド、オスマン帝国、そして自国の有力者たちを秘密の広間に集めていた。
「皆様、朗報です! 我が情報網が、天竺からの確かな報せを捉えました」
マキャヴェッリは芝居がかった手振りで、声高らかに宣言した。
「あの無敵の艦隊と恐るべき大砲を持つと思われていたジパング軍が! 我らの連合艦隊の威容を前に、なんと一戦も交えることなく、尻尾を巻いて拠点から逃げ出したのです!」
ざわっ、と使者たちの間にどよめきが走る。
「ま、真実か!? あのジパングが、戦わずに逃げただと?」
「事実です! 彼らは長きにわたる平和と商いに溺れ、莫大な黄金を貯め込みながらも、それを血を流して守り抜く気概を完全に失っていたのです!」
マキャヴェッリは使者たちの顔を一人一人見つめながら、その声に甘い毒を混ぜ込んだ。
「ジパングの猿どもの牙は、すでに完全に抜かれていたのですよ。そして今、天竺の古里に残された莫大な富は、先に上陸した私兵のならず者たちが独占しつつあります」
使者たちの目に、隠しきれない強欲の火が灯り始める。
「……皆様、このまま指をくわえて見ているおつもりですか?」
マキャヴェッリは悪魔のように微笑んだ。
「今から艦隊を出せば、まだ間に合います。ジパングの遺した莫大な富の分配に、我々も『無傷』で与ることができるのです。遅れれば、すべてを先着したならず者たちに奪われますぞ」
「……よし! すぐに本国へ急使を出せ! 追加の艦隊を編成し、直ちに天竺へ向かわせるのだ!」
「我が国も出遅れるわけにはいかん! 艦隊を出港させろ!」
広間は瞬く間に、黄金の夢に憑りつかれた権力者たちの熱気で包まれた。
狂騒の渦の中で、マキャヴェッリはただ一人、内心で冷ややかに嗤っていた。
『これでいい。欧州中の軍船が、残らず天竺へと集結する』
彼の脳裏には、恐るべき戦略図が描かれていた。
『ジパングの本国から増援の艦隊がやって来る前に、圧倒的な数の暴力で天竺の海を完全に『蓋』してしまえばいい。いかにジパングとて、数十万の軍勢で埋め尽くされた海を奪還することは諦めるしかあるまい』
己の策が完璧に機能していると信じて疑わない策士の扇動により、さらなる巨大な大艦隊――地獄の飢餓地帯への『追加要員』――が、天竺へ向けて続々と出航していくことが決定した。




