第120話:天才の次なる夢と、黒船来航の予兆
山科の工業特区。その奥深くに設けられた特別工房は、もはや「人間の知恵の坩堝」と化していた。
東海道鉄路の開通という歴史的偉業を成し遂げたばかりだというのに、天才レオナルド・ダ・ヴィンチの頭脳は、少しの休息も許そうとはしなかった。
「辰吉親方! 機関車の完成など、まだ序章に過ぎません! 次は『空』です! そして『海』です!」
ダ・ヴィンチは、顔を油と煤で真っ黒にしながら、壁一面に貼り出された真新しい設計図を狂ったように指差した。
「見なさい! この高圧の蒸気釜をさらに軽量化し、布と木材で組んだ巨大な翼に取り付ければ、人類は鳥のように大空を支配できる! いや、それだけではない! 巨大な船の腹に車輪(外輪)を取り付け、蒸気の力で回せば、風がなくとも大海原を駆け抜ける無敵の『蒸気船』が誕生するのです!」
通訳の男が、喉を枯らしながらその熱弁を日本語に訳す。
大砲職人の辰吉と刀鍛冶の弥平は、あまりの構想の飛躍に、呆れたように顔を見合わせた。
「……南蛮の先生よ。アンタの頭ん中は、一体どうなってんだ? 鉄の馬が走ったばっかりだってのに、次は空を飛ぶだの、船を蒸気で動かすだの……」
辰吉が頭を掻きむしるが、その顔にはどこか嬉しそうな職人特有の笑みが浮かんでいた。
「だがまあ、アンタの『夢物語』を形にするのが、ワシら職人の意地ってもんだ。……弥平! 翼の骨組みになる、軽くて粘りのある鋼を打ってやろうぜ!」
「……ああ。鋼の極致、見せてやる」
「おお! 感謝します、最高の職人たちよ! このジパングこそ、神が私に与えたもうた真の『約束の地』だ!」
ダ・ヴィンチは感極まって辰吉と弥平を抱きしめた。
尽きることのない資本、そして自らの脳内の空想を寸分の狂いもなく現実に引き摺り出してくれる、世界最高峰の職人たち。
ルネサンスの万能の天才は、この極東の島国で、底知れぬ狂気と情熱をさらに爆発させようとしていた。
***
一方、その頃。
京都、室町幕府本庁舎。
「……はぁ。ダ・ヴィンチの奴、また新しいからくりの設計図を何十枚も送ってきよったで。ホンマに化け物みたいな男やな」
将軍正室・日野富子は、山科から届いた図面の束をパラパラと捲りながら、呆れたように笑った。
「鉄路に続いて、空飛ぶ機械に、蒸気で動く船か。……薫子、これにも銭を出すんか?」
長椅子に深く腰掛けていた薫子は、優雅に扇子を揺らしながら、柔らかく微笑んだ。
「ええ。彼の頭脳は我が国の至宝。研究費はいくらでも注ぎ込みまする。この平和な都で、存分に知の探求をさせてあげましょうぞ」
国内のインフラは整い、大名たちは駅前開発に血道を上げている。もはや日本国内において、血を流すような戦が起きる余地は完全に消滅していた。
富子も満足げに頷き、帳簿の確認へと戻っていく。
***
旧大陸の西の果て。
スペイン王国とイベリア半島の南端、地中海を臨む巨大な港。
そこには、おぞましい数の船がひしめき合っていた。
ヴェネツィア共和国の没落海商たちが全財産を投じて掻き集めた、重武装の私掠船(ガレー船)団。
モスクワ大公国の大貴族たちが毛皮と引き換えに雇い入れた、血に飢えた北方の傭兵たちを乗せた無骨な輸送船。
そして、スペインの異端審問官が扇動した、十字架を掲げる数万の狂信者たち。
国籍も、目的も、言語すら違う者たちが、「ジパングへの憎悪と富への渇望」という一点のみで結びつき、十万を超える途方もない『大艦隊(黒船)』を形成していた。
「……見よ! 主に選ばれし聖戦の軍勢を!」
港を見下ろす高台で、ボロボロの修道服を纏った異端審問官が、狂気の熱を帯びた声で叫んだ。
「王どもはジパングの富に魂を売り渡し、我らを見捨てた! ならば我らの手で、東洋の果てに巣食う悪魔どもを焼き払い、奪われたすべてを取り戻すのだ!」
「まずは天竺西海岸の『古里』だ」
ヴェネツィアの元・特権海商が、血走った目で冷酷に笑う。
「あそこには、大内とかいうジパングの家が巨大な商館を築き、莫大な黄金をため込んでいる。……ジパングの本土から援軍が来るには、どれだけ急いでも数ヶ月。我らのこの十万の軍勢で一気に強襲すれば、数日で火の海にできる!」
「悪魔の拠点を根こそぎ奪い取り、そこを足がかりにしてジパングの息の根を止めるのだ!!」
モスクワの大貴族の怒号に呼応するように、十万の狂信者たちが一斉に剣や槍を掲げ、地鳴りのような鬨の声を上げた。
「「「おおおおおおおおっ!!!!」」」
十五世紀末。
日本の圧倒的なインフラ革命と技術的特異点の裏側で。
国境を越えた憎悪の化身である十万の「大艦隊(黒船)」が、静かに、そして確実に、インドの海へと向かって抜錨した。
世界の誰も予測しえなかった未曾有の『世界大戦』の足音が、日本の喉元へと、すぐそこまで迫っていた。




