第119話:蠢く旧大陸 〜影の同盟と日和見の国々〜
十五世紀末。
日本の圧倒的な工業力と大航海艦隊の展開は、広大なる旧大陸全土に「恩恵」と「絶望」という二つの極端な波紋を広げていた。
東方世界の覇者、大明帝国。
広大な紫禁城の一室で、時の皇帝・弘治帝は、東の島国から献上された真新しい品々を前に、満面の笑みを浮かべていた。
「見事だ……。この鉄の農具も、鋼の刃も、我が国の職人が何日かけても作れぬほど均一で、恐ろしく頑丈だ。それにこの滑らかな織物……どれも信じられぬほど安価で持ち込まれておる」
傍らに控える高官が、恭しく頭を下げる。
「はい。ジパングの商人(細川大商館)は、我が国に途方もない富と利便をもたらしております。さらに、彼らの巨大な軍船団が沿岸を警備しているおかげで、長年我が国を苦しめていた海賊(倭寇)どもは、文字通り海の藻屑と消え去りました」
「うむ! まさしくジパングは、我が帝国にとってかけがえのない『永遠の友』よ!」
大明帝国は、国家を挙げて完全に日本の資本と武力に依存し、歴史上かつてない蜜月状態(超・親日)を謳歌していた。
彼らには、もはや日本に敵対するという選択肢すら存在しなかった。自国の産業を捨てることになろうとも、目の前の圧倒的な安さと平和という「甘い毒」に、国全体が骨の髄まで浸かりきっていたのである。
***
一方、西の果て、島国イングランド王国。
薄暗い宮廷の執務室で、国王ヘンリー七世は、宰相とともに大陸の地図を冷徹な目で見下ろしていた。
「……ジパングの船がもたらす香辛料や鉄製品は、確かに魅力的だ。我が国も大いに恩恵を受けている」
ヘンリー七世は、机の上の黄金の杯を指で弾いた。
「だが、あの島国の富の膨張速度は異常だ。いずれ大陸全土の経済が、あの猿どもに完全に支配されるやもしれん」
「なれば陛下。我が国軍を挙げ、ジパングの船団を叩きますか?」
宰相の問いに、ヘンリー七世は鼻で笑った。
「馬鹿を言え。真正面からやり合って勝てる相手ではない。彼らの大船団を前に、我が国が血を流す必要はどこにもないのだ」
ヘンリー七世の目に、冷酷な政治家としての光が宿る。
「聞けば、大陸ではジパングのせいで利権を奪われた『狂犬ども』が、勝手に私兵をかき集め、ジパングへの復讐を企てているそうではないか。我らは『見て見ぬふり』をすればよい」
これが、イングランドをはじめとする「日和見国家」の冷徹な国策であった。
中東を支配するオスマン帝国や、フィレンツェ共和国もまた、表向きは親日を装いつつ、同じ計算をしていた。
「狂犬どもがジパングを削り合い、共倒れになれば御の字。……そして万が一、ジパングが狂犬どもの牙にかかり、少しでも隙を見せるようなことがあれば」
ヘンリー七世は、凄惨な笑みを浮かべた。
「その時はすぐさま親日の仮面を捨てよ。国家の全軍を動員し、手のひらを返してジパングの息の根を止め、莫大な富と技術を根こそぎ『我が国』で分捕るのだ。……それまでは、徹底してコウモリを決め込むぞ」
国家というものは、狂信では動かない。
風向き次第でいつでも合法的に牙を剥く、冷たく強欲な獣であった。
***
そして、その日和見国家たちに「黙認」され、水面下で静かに、だが確実に膨れ上がりつつある『暗い炎』があった。
地中海に面したヴェネツィア共和国。
その人目に付かない地下水路の奥深くにある隠し部屋に、国籍も身分も異なる異様な男たちが集結していた。
「……我が国の元首も、貴族どもも、完全にジパングの黄金に魂を売り渡した」
憎悪に満ちた声で吐き捨てたのは、中東からの香辛料貿易を奪われ、完全に没落したヴェネツィアの元・特権海商であった。
「我らのような歴史ある商人が飢え死にする横で、為政者どもは東洋の猿に尻尾を振っている。国など、もはや信用できん!」
「左様。王どもは、神の怒りを忘れたのだ」
暗闇から立ち上がったのは、ボロボロの修道服を纏い、落ちくぼんだ目に狂気の光を宿した男。 阿弗利加の植民地開拓を山名家の武力によって頓挫された、カスティーリャ王国の狂信的な『異端審問官』である。
「新大陸も、阿弗利加の黄金も、すべて主が我ら白き民に与え給うたもの! それを、異教徒の黄色い猿どもが奪い尽くすなど、絶対に許されることではない! 国が動かぬのなら……我ら神に選ばれし者が、自らの手で悪魔の国を浄化する『聖戦』を起こすのみ!」
狂信者の叫びに、重々しく頷く巨漢がいた。
北極海航路を切り拓いた足利家の砕氷船によって毛皮の独占利権を奪われ、極寒の領地で凍え死ぬ寸前まで追い詰められた、モスクワ大公国の大貴族である。
「……我らには、もはや失うものはない。残された全財産を投げ打ち、世界中から傭兵、海賊、そして国に捨てられた敗残兵どもをかき集めるのだ」
彼らは、国を動かすことはできない。
だが、「ジパングのせいで没落した」という強烈な怨念と、わずかに残された財産を一点に集中させることで、国境を超えた恐るべき『非合法の私兵連合』を生み出そうとしていた。
「だが、いきなりジパングの本土を突くのは、補給の面から考えても不可能だ。……ゆえに我らは、奴らが東へと向かう海の入り口……天竺西海岸の『古里』に狙いを定める!」
モスクワの大貴族が、広げられた海図の一点を力強く叩いた。
「聞けばあそこは、大内家とかいうのが管轄する巨大な商館と拠点が築かれているという。我々の集結地からも最も近い! まずはそこを十万の全軍で強襲し、見せしめに焼き払うのだ!」
ヴェネツィアの元海商が、残忍な笑みを浮かべて頷いた。
「うむ。ジパングの本土から天竺までは、どれほど風に恵まれても数ヶ月はかかる。……本土からの厄介な援軍が来る前に、拠点ごと叩き潰して我らの『足がかり』とするのだ。距離と時間の壁こそが、我らの最大の勝機よ!」
***
一方、その頃。
反日同盟の標的として名が挙がった、天竺西海岸の港湾都市、古里。
日本が莫大な国費を投じて築き上げたその巨大な城塞商館の中で、大内家の水軍を束ねる気鋭の重臣、陶興房が、本国から届いたばかりの瓦版と密書を読んで顔をしかめていた。
「……都の工房で、大砲と火縄に代わる『新しい筒(銃)』とやらが完成したちゅうんか?」
興房は、側に控える副将へ密書を見せた。
「なんでも、火縄が要らず、腹ばいになったまま後ろから弾を込められる恐ろしい代物じゃそうな。……じゃが、ここに届くのは、試作品がわずか数十丁ばかりじゃと」
「たったの数十、でござるか。我ら大内家の駐留軍は数千におりまするぞ」
副将が呆れたようにため息をつく。興房は苦笑して首を振った。
「都でどれほど画期的なもんが産声を上げようと、それを何万と拵えて、この遥か遠い外地の天竺まで配備し終えるには、どうしても途方もない月日がかかるもんじゃ。……お偉方には、兵器ちゅうもんは、魔法のように一瞬で手に入るもんじゃあないちゅうことを、よう分かっちょってもらいたいもんじゃのう」
興房は、城壁の外に停泊する、大内家が誇る強大なガレオン船団を見下ろした。
「とはいえ、この無敵の軍船と、これまで通りの大砲と火縄があれば、海賊ごときに後れを取るような我らじゃあないわい。……ええか! 全軍に新型が配備されるその日まで、我らはこの天竺の要衝を、何としても護り抜くのじゃ」
陶興房ら大内家の武将たちは、迫り来る未曾有の危機を知らぬまま、己の持ち場を堅守する決意を固めていた。
完全なる親日国、大明帝国。
冷徹に裏切りの機会を待つ、日和見の国々。
そして、すべてを失った怨念で結びついた、国境なき狂信者たちの同盟。
日本の誰も知らない旧大陸の裏側で、未曾有の『世界大戦』の火種が、限界まで膨張しようとしていた。




