第117話:蠢く欧州と、冷徹なるマキャヴェッリ
十五世紀末。イタリア半島、フィレンツェ共和国。
壮麗なるヴェッキオ宮殿の一室で、メディチ家当主ロレンツォは、山のように積まれた黄金と希少な絹織物を前に、満面の笑みを浮かべていた。
「はははっ! 素晴らしい! これが、我が一族が投資した『天才の頭脳』がもたらした配当金というわけか!」
ロレンツォの前に控えていた細川大商館の使者が、恭しく頭を下げる。
「はい。マエストロ・レオナルドの生み出した数々の発明により、我が国は未曾有の繁栄を謳歌しております。これはごく一部の『権利金』に過ぎませぬ」
ロレンツォは、日本から送られてきたダ・ヴィンチの手紙を満足げに撫でた。
そこには「蒸気と鉄のからくり」によって大地を駆ける怪物のことや、瞬時に金属部品を大量生産する魔法のような機械のことが興奮気味に記されている。
「まったく、異端審問官どもに怯えながら空飛ぶ機械の夢を語っていたあの変わり者が、これほど化けるとはな。ジパングという国は、我々にとって至高の投資先だ」
だが、その部屋の隅で、ロレンツォの浮かれぶりを氷のように冷徹な瞳で見つめる若い男がいた。
フィレンツェ政庁の書記官、ニッコロ・マキャヴェッリである。
『……愚かな。目先の黄金に目が眩み、自分たちの首を絞める巨大な縄が見えていないのか』
使者が去った後、マキャヴェッリは静かにロレンツォへ進み出た。
「閣下。喜ばれているところへ水を差すようで申し訳ありませんが……少々、薄気味の悪い情報が入っております」
ロレンツォは鬱陶しそうに顔をしかめた。
「薄気味悪い情報だと?」
「ええ。ジパングの勢力拡大に関する、各国の商人たちからの悲鳴です」
マキャヴェッリは、数枚の報告書を卓の上に並べた。
「我が一族と懇意の細川家は、中東の『オスマン帝国』や、北方の『モスクワ大公国』にまで入り込み、物流を独占し始めております。さらに、阿弗利加大陸を回る南方の海路は山名家が制圧。北の氷海も足利家の船団が独占しております」
マキャヴェッリの指摘は事実だった。
日本は、大商館と拓殖座という国を挙げた巨大組織によって、ユーラシア大陸の外側を完全に包囲し、世界の富をブラックホールの如く吸い上げていたのだ。
「特に、自らが世界最強の海洋帝国だと信じていたスペインとポルトガルは、自分たちの海軍力がジパングの前に赤子同然だった事実に、激しい屈辱とパニックを起こしております」
「だからどうしたと言うのだ」 ロレンツォは鼻で笑った。
「たしかに彼らの商売敵にはなっただろうが、ジパングを嫌がっている国はスペインぐらいであろう?それ以外の国には多額の黄金を落とし、懐を潤わせているはずだ。王たちは皆『親日』だ。国としてわざわざジパングと戦争を起こす馬鹿はおるまい」
「……ええ。為政者たちはそうです。国として表立って動くことはないでしょう。なれど、私が危惧しているのはそこではありません」
マキャヴェッリの静かな、しかし確信に満ちた声に、ロレンツォは動きを止めた。
「閣下。為政者がどれほどジパングと友好を結ぼうと……実際に日本の台頭によって『商売を奪われた海運業者』や『没落した貴族』、そして『異教徒の猿に富を奪われていることに狂乱する教会の狂信派』たちの怒りは、すでに沸点を越えているのです」
マキャヴェッリの冷徹な瞳が、ロレンツォを射抜く。
「人間という生き物は、利益以上に『嫉妬』と『恐怖』で動くものです。……彼らは今、国境を越え、水面下で結託し始めております」
「水面下で結託だと……? なぜ、そのような重大な動きを私が把握していない!?」
「彼らも警戒しているからです。我々メディチ家のように、ジパングの恩恵を受けている『裏切り者』の耳に入らぬよう、極秘裏に組織化を進めている。……私が放った独自の諜報網の網目に、ようやく引っかかったほどの不気味な潜伏です」
マキャヴェッリは、薄暗い欧州の情勢を、頭の中で完璧に俯瞰していた。
『日本という圧倒的な「外敵」の登場が、皮肉にも、これまで互いに血を流し合っていた欧州の末端の狂信者たちを一つに結びつけようとしている……!』
「国単位ではありません。世界各国の『過激派組織』が手を組み、かつての十字軍を超える規模の、私兵による『聖戦』を企てております。……ターゲットは当然、悪魔の帝国であるジパング。そして、その悪魔に協力して私腹を肥やす我々フィレンツェも、彼らの標的となるでしょう」
ロレンツォの顔から、ようやく笑みが消えた。
「……各国の狂犬どもが束になって、我々を異端として討つと言うのか?」
「遅かれ早かれ、そうなるでしょう。……為政者たちの思惑を離れ、この嫉妬と恐怖を原動力とした暴走は、確実に世界を二つに割り、血の海に沈めます。これは不可避の世界大戦の始まりなのです」
マキャヴェッリは淡々と、しかし恐ろしい事実を突きつけた。
『理想や道徳など、生存競争の前には何の役にも立たない。日本が勝つか、過激派連合が勝つか。我らのような小国が生き残るには、徹底して日和見を決め込み、最後に「勝つ側」に付くしかない』
「閣下。今は日本からの恩恵を享受しつつも、決して欧州の中で孤立してはなりませぬ。……来るべき大戦に備え、我々も血を流さずに生き残るための『狡猾な策』を練るべき時にございます」
冷徹なるリアリスト、マキャヴェッリ。
彼だけが、親日ムードに隠された欧州の暗がりで、国境を越えた「巨大な狂気」が静かに牙を研いでいることを、正確に見抜いていたのであった。




