第113話:西国鉄路と、海を越える野望
京都、大内家屋敷。
西の京とも呼ばれる周防(山口県)を本拠地とし、明国との勘合貿易を事実上独占している西国最大の巨星。
その若き当主である大内義興は、上座に座り、目の前で優雅に茶をすする幕府の重鎮・薫子を、油断ならない目で見据えていた。
義興は京の文化を深く愛し、言葉遣いもまた公家に劣らぬ優雅さを纏っている。
「……して、薫子様。わざわざ某の屋敷まで足を運ばれたからには、よほど大きな『商い』のお話と見受けますが」
義興は、扇子を手遊びに回しながら探りを入れる。
「ふふっ。ご明察でおじゃる。先日発表した『東海道鉄路計画』はご存知でおじゃりましょう?」
「ええ、もちろん。あの『黒鉄の馬』が走る道。今川殿が首を縦に振ったことで、計画は一気に進んでいると聞き及びます」
「なれど、幕府の目は東だけを向いているわけではおじゃりませぬ。西の果て、そなたらの本拠地である周防の山口、そして鎮西(九州)の博多までを繋ぐ……『西国鉄路計画』。これにも着手したいと考えておるのでおじゃる」
薫子の言葉に、義興は扇子を回す手をピタリと止めた。
『西への鉄路……。東国を平定するための軍道かと思いきや、西へも手を伸ばすか』
だが、義興の顔には、伊勢盛時のような焦りはなかった。むしろ、冷ややかな笑みすら浮かべていた。
「薫子様。我が大内家は、幕府の事業を無碍に断るような真似はいたしませぬ。……しかし、正直なところ、我らにとってその『鉄の道』は、莫大な銭を投じてまで必要なものとは思えませぬな」
「ほう? それはまた、いかなる理由で?」
薫子が小首を傾げると、義興は扇子を閉じ、先ほどまでの優雅な公家言葉から一転、商人としての冷酷な眼差しを剥き出しにした。
「薫子様、ご存知の通り我が家には、南蛮技術を取り入れた無敵のガレオン船団がござる。海賊などすでに討ち果たし、瀬戸内海は我が家の庭同然。嵐の予兆すら掴む気象観測の知恵もあり、船酔い対策も万全。大量の物資を運ぶなら、すでにこの海路が完璧なのでござる。……あえて山を切り開く、この『鉄路』に何を期待せよとおっしゃる?」
図星を突かれ、薫子は扇子で口元を隠して微笑んだ。
「なるほど、素晴らしい船団でおじゃるな。大量の荷を運ぶにおいては、そなたらの海路に勝るものはおじゃりませぬ」
薫子は前傾姿勢になり、声を潜める。
「なれど義興殿。鉄路の真の価値は、『荷』ではなく『人』にあるのでおじゃるよ」
「……『人』?」
「鉄の馬の真の価値は、毎日何千、何万という商人や旅人を、山の天候に関わらず、一分の狂いもなく運べること。……人が集まれば、そこは巨大な『駅』となり、未知の不動産権益と商業権益が生まれる。海路では、船酔いする旅人を大量に、毎日、時間通りに運ぶことなど不可能でおじゃりましょう?」
義興の脳髄が、その価値を瞬時に弾き出す。
「……っ!!」
「鉄路で日本中の『人と富』を山口と博多に集約させ、そこから大内家のガレオン船で一気に大陸へ注ぎ込む。……陸の鉄路(幕府)と海の船団(大内)、この二つの物流を完全に結びつける構想。これこそが、我が幕府の提案でおじゃる」
薫子は、懐から小さな木箱を取り出し、義興の目の前に置いた。
中には眩いばかりの光を放つ砂金と、極寒の地の毛皮が入っていた。
「東の黄金と毛皮を山のように積み込み、明国へ向かいなされ。……鉄路が繋がれば、大内家は単なる中継ぎではない。世界中の『人と富』が循環する、大陸と日の本を繋ぐ大動脈の『心臓』となるのでおじゃるよ」
義興は立ち上がり、強烈な野心に震える手で、薫子を見下ろした。
もはや、そこに迷いはなかった。
「……薫子様。我が大内家、幕府の『西国鉄路計画』に、全霊をもって協力いたす所存にござる!」
「ふふっ。話が早くて助かるでおじゃる。世界を股にかけた大商い、共に楽しみましょうぞ」
東の今川、西の大内。
日本列島の東西を握る二つの巨大な勢力が、幕府の「鉄の道」に組み込まれた。
それは、天下布武という血塗られた戦国時代が、完全に「資本と物流による覇権争い」へと塗り替えられた決定的な瞬間であった。




