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もし応仁の乱が起きなかったら? 〜日本を世界最速の大航海時代へ導く〜  作者: tky
第5章:世界地図を塗り替えた日

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第102話:『職務発明』という名の悪魔の契約

数日後、フィレンツェ。


メディチ家の豪奢な応接室。


レオナルド・ダ・ヴィンチとメディチ家当主の前に座っているのは、異国の衣服を洗練された着こなしで纏う男。


細川大商館・欧州支部の使者である。


ダ・ヴィンチは興奮を抑えきれず、自身の描いた複雑な機械のスケッチや設計図の束を、机の上に勢いよく広げた。


「……これが私の頭脳にある構想の一部です。あなた方の持つ『規格化された部品』と『寸分違わぬ加工技術』さえあれば、これらはすべて現実のものとなる!」


使者は通訳を介してスケッチを眺め、その奇想天外ながらも緻密な図面に、驚きと共に深く頷いた。


「素晴らしい。我が細川大商館は、あなたの類まれなる才能を高く評価いたします。是非とも、商館の専属技術者として雇い入れたい」


しかし、使者の言葉にダ・ヴィンチの顔にはふと暗い影が落ちる。


『だが……これまでのパトロンたちと同じだとしたら? 私の設計図だけを奪い、完成した機械の利益はすべて権力者が独占するのではないか?』


天才ゆえの孤独と、これまで数え切れないほど己のアイデアを搾取されてきた経験。


彼は警戒心を含んだ、硬い声で尋ねた。


「一つ伺いたい。もし私が貴方たちの元で働き、これらの機械を完成させた場合……その『権利』と『利益』は、いったい誰のものになるのですか?」


***


細川の使者は、ふっと穏やかな笑みを浮かべた。


「ご安心くだされ、マエストロ・レオナルド。我が国には、そのような発明の権利を保護する『特許とっきょ』という強固な制度がござる」


使者は懐から、美しく装丁された和紙の契約書式を取り出し、机の上に滑らせた。


「あなたが商館の金と設備を使って生み出した発明の権利は、基本的には商館と『共有』していただきます。これを我が国では『職務発明』と呼んでおります」


ダ・ヴィンチは眉をひそめた。


『権利を共有……いや、結局は実質的に雇い主に奪われるということか』


だが、使者の言葉はそこで終わらなかった。


「開発のリスクと莫大な初期費用は、我々が負う。しかし成功した暁には、その機械が生み出す莫大な利益の一部を、あなたの個人名義で『二十年間』にわたり、恒久的に支払い続けると法で定められているのです」


「なっ……!?」


ダ・ヴィンチは息を呑み、目を見開いた。


「発明者個人と、費用を負担した我々に、利益の分配金ロイヤリティが自動的に流れ込み続ける……それが、我が国のルールにござる」


ダ・ヴィンチにとって、それは信じがたい条件だった。


『私の才能をパトロンの気まぐれではなく、国家の「法」と「資本」が絶対的に保護し、正当に評価してくれるというのか……!』


個人の才能と巨大な資本が完璧に噛み合う、彼にとっては究極の理想郷。


もはや迷う理由は、欠片も存在しなかった。


***


「……契約書を! 今すぐその契約書にサインさせてください!」


身を乗り出すダ・ヴィンチ。


しかし、使者はそこで表情を引き締め、静かに首を振った。


「マエストロ。あなたを細川商館で雇い入れること自体は、私の権限で即決できます。細かな道具や機械であれば、すぐにでも作っていただこう」


使者は、机に広げられた途方もない設計図――後に機関車や巨大な兵器へと繋がるであろう図面――を指差した。


「しかし、あなたのこの『巨大な構想』を実現するとなると、もはや一介の商館である細川の予算だけでは、到底賄いきれませぬ」


ダ・ヴィンチはハッと息を呑んだ。


「これほどの大事業となれば、本国にいる当主・細川勝元様を通じて、『幕府』の中枢にいる大元締めへ報告を上げ、特別な国家予算の承認を得ねばなりませぬ」


使者はダ・ヴィンチの目を真っ直ぐに見据えた。


「本国へ赴き、この設計図を上層部に直接プレゼンしていただきます。……しかし、どれだけの予算が承認されるかは、現時点では全くの未知数。最悪の場合、計画が却下される可能性すらある」


使者の言葉は、冷徹な現実を突きつけていた。


「何の確約もできませぬ。それでも……すべてを捨てて、我が本国ジパングへ赴く覚悟はおありか?」


『確約はない、だと……』


だが、ダ・ヴィンチの瞳に迷いはなかった。


完璧な歯車とネジを生み出した、あの途方もない工業力を持つ国。


その地を踏むことができるのなら、リスクなど取るに足らない。


「……構いません。私の設計図の価値を、必ずやその『大元締め』とやらに分からせてみせましょう。私をジパングへ連れて行ってください!」


ダ・ヴィンチの熱狂的な返答に、使者は満足げに頷いた。


「承知いたしました。では、これまでのご支援者であるメディチ家へ、我が商館からしかるべき『移籍金』をお支払いし――」


「――待て」


それまで黙ってやり取りを聞いていたメディチ家の当主・ロレンツォが、低く鋭い声で口を挟んだ。


彼は使者を真っ直ぐに見据え、不敵な笑みを浮かべていた。


「我がメディチ家は、彼を手放すための『移籍金はしたかね』など受け取るつもりはない」


使者は怪訝な顔をした。


「では、引き抜きには応じられないと?」


「そうではない」


ロレンツォは机の上の設計図を指先で叩いた。


「これほどの天才の頭脳と、貴国『ジパング』の圧倒的な工業力……そして、それを下支えする国家予算。これらが結びついた時、どれほど莫大な富が生まれるか。我が一族の鼻が、強烈に匂いを嗅ぎ取っているのだ」


メディチ家当主の瞳に、ヨーロッパ全土を金融で支配する大商人の野心がギラリと光った。


「移籍金は辞退しよう。その代わり……我がメディチ家を、その国家規模の『巨大プロジェクト』の共同出資者として一枚噛ませてはもらえないだろうか?」


使者は驚きに目を見開き、そして、すぐに面白そうに口角を上げた。


「……なるほど。南蛮一の金庫番が、我が国の事業に投資ベットすると仰るか。これは、上の者たちもさぞ喜ぶ展開になりそうだ」


こうして、世紀の天才の頭脳と、欧州最強の金融資本。


その両方を巻き込んだ形で、レオナルド・ダ・ヴィンチの日本への旅立ちが決定したのであった。

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