第19話,血塗られた宣言と、編み物女
処刑人の家に生まれ、フランス革命前後のムッシュ・ド・パリ(処刑人)であり医師であったシャルル=アンリ・サンソンの物語。
フランス史上一番多くの処刑を執行した彼の数奇な運命を描きます。
いよいよ革命編が始まります。
1981年の地下室。父さんは手記をめくりながら、ポツリとこぼした。
「……言葉が美しくなればなるほど、命の値段は安くなる。正義という言葉は、人を殺すための最も便利な免罪符なんだ。」
僕はゴクリと唾を飲み込んだ。
「王の権力が落ちた後、広場を支配したのは『顔のない大衆』だった。そして彼らは、死をエンターテインメントとして消費し始めたんだ。」
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バスティーユ陥落以降、パリの街には美しい言葉が溢れ返っていた。
議会では、権力の中枢に座るようになったロベスピエールが、透き通るような声で『人権宣言』を高らかに読み上げている。
「人間は生まれながらにして自由であり、権利において平等である。」
それは、サンソンがかつて夢見た「人間が等しく神の下にある」という祈りに近い、美しい理念のはずだった。
だが、現実は違った。
サンソンの元には、連日のように大量の処刑命令書が届くようになっていた。そしてその書類の最後に署名をしているのは他でもない、かつて「死刑反対」を訴えていたあのロベスピエール自身だったのだ。
彼は議会で、氷のような冷徹さで言い放っていた。
『革命という至高の美徳を守るためには、それに反逆する者を排除する恐怖が必要だ。美徳なき恐怖は忌まわしいが、恐怖なき美徳は無力である』
と。
少しでも古い体制に関わった者、少しでも革命の方針に異を唱えた者。昨日までパン屋だった男が、隣人に「あいつは反革命分子だ」と密告されただけで処刑台へ送られてくる。
最も純粋で清廉潔白な理想を持っていたはずの男が、その理想の純度を保つために「死刑」という最も暴力的な掃除道具を嬉々として使い始めていたのだ。
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「……次。」
サンソンは絶望で空洞になった声で助手に指示を出し、重い処刑刀を振り下ろす。
骨を断ち、肉を裂く。血を払い、また次の首を刎ねる。
処刑人としての長年の訓練が、彼を冷徹な仕事人にしていた。一日に何十人もの首を斬り落としても、彼の手元は狂わない。ただ粛々と、ロベスピエールが認可した「業務」をこなしていく。
だが、彼の心を静かに、そして確実に削り取っていたのは、処刑台のすぐ下から聞こえてくる音だった。
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カチカチ、カチカチ。
木製の編み棒が触れ合う、軽快な音。
処刑場の最前列には、いつの頃からか「編み物女」と呼ばれる主婦たちが陣取るようになっていた。彼女たちは特等席に椅子を持ち込み、朝から晩まで世間話に花を咲かせながら、他人の首が飛ぶのを眺めているのだ。
「あら、今のは下手くそな鳴き声だったわね。」
「昨日の若い男の方が、血の吹き出し方が綺麗だったわ。ねえ、この毛糸の編み目、どうかしら?」
他人の死が、昼下がりの観劇か、ただの極上の娯楽として消費されている。
そこには、死への恐怖も、命への敬意もなかった。
(……これが、自由と平等を勝ち取った民衆の姿か。)
サンソンは、刃こぼれした処刑刀を布で拭いながら、冷たい目で広場を見下ろした。
かつて彼は、ジャン・ルーシャールの冤罪事件を通し、「人間は生きてこそ神に懺悔できる」と信じた。死刑を憎むロベスピエールの理念に希望を見た。
だが、その切実な祈りは、かつての同志が押し付けてくる大量の殺戮命令と、広場に響く醜悪な笑い声にかき消されていた。
「ムッシュ・サンソン、次の罪人です。」
助手の声に、サンソンは小さく頷いた。
「ああ。連れてこい。」
感情を殺せ。私はただの刃だ。
美しい言葉を並べる議会と、血の娯楽に酔いしれる群衆。その矛盾の間に挟まれたサンソンは、ただ黙々と処刑刀を振り下ろし続けた。
だが、連日の凄惨な業務は、すでに彼という一人の人間の「肉体的な限界」を迎えようとしていたのである。
フランス革命編スタートです。
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