120-4 熱い戦い
僅かに数ミリにじり寄る俺、それとタイミングを等しくして同じく数ミリだけ下がる奴。
実に微妙な攻防だった。
僅かに間合いを外すだけで、そいつの逃亡を許してしまうはずだ。
だがそんな緊張感溢れる俺達の関係の中で、『可愛い~』という意味の名前のキメル、ミミがのっそりと起き上がると、とことこと一匹だけ奴に近づいていった。
同じ猫っぽい生き物なので懐かれたと思ったらしく、無警戒だったそいつは俺に向かって人差し指を突き出したままだったのだが、ミミの蛇尻尾がひゅっと伸びてカプっとそれに食いついた。
そして、それはいつもの甘噛みではなかったようだ。
「ぎいえ~っ!」
こ、こいつ。
無茶苦茶慎重な割にはアホな生き物だな。
はっ、妙に親近感が沸くのはなぜなんだろう。
そいつは指の先からどんどんと紫色になっていき、わなわなと震えている。
メルのチビがキメラ毒を使っているのは初めて見るが、案外とヤバいな。
こいつらも毒自体はもう使えたんだなあ。
それを見たメルがちょっと慌てている。
まあこれが他の人間に使われると、この上なくヤバイ代物だしな。
いや、メル。
そんなに慌てなくたっていいぞ。
そいつは人間じゃないからな。
只の泥棒猫だ。
この子は毒尻尾を使っていい場合と駄目な場合を、よく弁えているようだ。
「あ、あなた!?
なぜ同じ猫族の私に?」
いかにも心外だと言わんばかりに憤慨するそいつ。
「何を言ってるのさ、猫のおばさん。
私はキメルよ、犬でも猫でもないわ。
御父さんは犬で御母さんは猫だけど。
グランバースト公爵家の血の掟に従い、家族は守るわよ!」
もうこんなに上手に喋るんだ!
というか、確か親は喋らないはずなんだが。
もしかしたら、プリティドッグみたいに勿体をつけていただけなのか?
あるいは進化?
カミラよりも台詞によっぽど漢字が使えている。
もう我が家の掟が染み付いているみたいだし。
既に立派なグランバースト公爵家の一員だ。
ミミは名前こそ『可愛い~』という意味だが、結構気は強いようだ。
とりあえず、そいつに死なれると正体が見れなくなって俺が困るので、すぐに回復魔法をかけてやった。
ポイズン系の回復魔法を使うのは久し振りだ。
最初の頃に通常のアドロス・ダンジョンで会った四人組以来じゃないかな。
「あうう、死ぬかと思った。
いやあ、キメルって強力な猫科ねえ。
うん、気に入ったわ」
何かドヤ顔をしている新猫種がいた。
いい根性をしているな。
だいぶ残念臭が漂っているのだが。
その足元で、いつの間にか戻ってきていた猫のショーが軽く猫パンチを繰り出して様子を伺っている。
「いいから出ていけよ」
ジョニーが不機嫌そうに、ぶっきらぼうな物言いで文句をつけた。
こいつが、こんなに機嫌が悪いなんて珍しい。
逆に奴の子供達は興味をそそられたようで、そいつの事をじっと見つめていたが。
「まあまあ、そう言うなよ。
せっかくの御客さんなんだから」
逃がしてたまるかよ。
俺は心の中で舌舐めずりをした。
正体は一体どんな可愛いものだというのだろうか。
見る。
これだけは絶対に。
奴は、その俺の不審な様子を少し警戒して一歩下がった。
そして俺は一歩前へ出る。
奴が、ささささっと音もなく移動していくと、俺は同じ歩数だけにじり寄る。
無音で奇妙な追いかけっこが始まった。
「園長先生も好きねえ……がっかりしても知らないわよ」
そんな俺に向かって放ったミニョンママの呟きが風に乗った。
え、それは一体どういう意味なんだ!?
いやいかん。
気を散らすと一瞬にして見失ってしまう。
さすがはプリティドッグを監視できるほどの生き物だぜ。
そして俺と奴との不毛な三日三晩の攻防が続いた。
追い続けられているのが奇跡だった。
ホットドッグ、いや牛乳とアンパンで張りこみをし、大小便は垂れ流して浄化魔法の御世話になった。
こんな事は、あの帝国のSランク『灼熱のバラン』を監視していた時以来の騒動だぜ。
俺は自ら、あの悪魔の回復魔法リジェネレートの御世話になり、地獄の一丁目を目指してひたすらに突っ走っていったのであった。
裏庭の大渓谷、アドロス・ダンジョン、遊園地と場所を変えながらも不毛な攻防は続いた。
そして、ついに奴は諦めたものか足を止めて話しかけてきた。
「負けたわ。
あんたみたいにしつこい人間は初めてよ。
伊達に魔王なんて呼ばれていないわね。
異世界の人間って、みんなこうなのかしら?」
奴は観念したのか、立ち止まってこちらを振り返った。
そいつはどうか知らないが、地球のインターネットの半分は猫画像や動画で出来ていると言われている。
少なくとも猫画像信者の俺はそれを信じよう。
「じゃあ、正体を見せてくれるのか?」
俺は勝ち誇って、期待を込めた眼差しを向ける。
「んな訳があるかボケー!
あばよ」
不意を突かれ、奴の姿が虚空に消えるのを為す術もなく見送った俺は、不眠不休のリジェネレートの反動を食らって倒れ伏した。
「む、無念だ。
ガクっ」
意識を手放す前に、魔王係である斉藤ちゃんが迎えに来てくれているのを目の端で捕らえながら、俺は無限の闇の底へと落ちていった。




