109-6 賢者アキレスの予感
「ねえ、みんな行っちゃったけど、アキレスは追いかけていかないでいいの?」
沖田ちゃんの問いに、地面の匂いを嗅ぎつつアキレスは答える。
「ええ、まあ。
必ずしも我々が見つけられると限ったものでもありませんし。
なんというか、御嬢様のために良い映像が撮れればよいかなと。
御嬢様も不憫な方でしてね。
あんな家柄にさえ生まれなければ、もっと多くの人達と普通の関係を築けたかもしれないのに。
我々犬達と過ごす時間、そして動画サイトにおけるヒロインである事だけが心の寄り処であったのです。
御労しや」
「へえ。
犬って、そういう事を考えているもんなんだ。
優しいのね。
なんか、犬への見方が変わっちゃうな~」
そう言って、少し屈んでアキレスの頭を撫でてやる沖田ちゃん。
「あ、いや。
大変申し訳ないです。
他の子はそれほどでもないですよ。
私は子犬の頃は割と体が弱くて、長老様方によく面倒見ていただいていてまして。
なんといいますか、御爺ちゃん子というか、御婆ちゃん子というか。
ちょっと年寄り臭いですよね。
すみません」
アキレスは、ちょっと申し訳なさそうに耳を垂れて、尻尾も丸めてしまった。
「あっはっは。
あんたの、そういう所は好きよ。
まあのんびり行きましょうか」
「はい。
ありがとうございます。
沖田様は転移魔法持ちでありますので心強いです。
少し心当たりがありますので、そちらへ寄ってみてはいけないでしょうか」
「いいよ。
でも、どうして?」
「はい。
冒険者たる者について、ジョニー殿から御伺いいたしました。
果たしてそう簡単に尻尾を現すような人種でしょうか」
「というと?」
「今回、我々に追われている方は、異世界でも手練の者であったと御聞きしています。
そして見事にこの世界に順応されているとも。
そんな方が易々と足跡というか痕跡を残していかれるものでしょうか。
靴はわざと残していかれたのかもしれません。
追跡者をおびき寄せるために」
「そう言われちゃうと、そうかもしれないよね」
そう聞いた沖田ちゃんも考え込む。
今まで聞いた話からすると、多分あの人は色々と思慮深くて、おそらくエドみたいなタイプだろう。
子供達の賢さを見てもそう思う。
あれは多分父親譲りだ。
どうみても母親であるリサさんの系統ではない。
別にリサさんが賢くないわけではないが、あの人は子供達に愛情を注ぐ事に集中するようなタイプの人だから。
そして、それはかつて、今追いかけているあの人にも見られた資質なのかもしれない。
「そうか。
彼はどうするつもりなのかな」
「もし彼が、向こうの世界の言葉で書かれた広告を見ていたのなら、そこへ行っているかもしれませんね。
そこへ御連れください。
この街で、それが一番目立つ場所へ」
「了解。
じゃあ、行くよ」
沖田ちゃんは屈んで、いかにも犬を可愛がるような感じにアキレスを抱えて転移した。
そして跳んだ先は新宿。
ここの一番賑やかな場所にあるLEDビジョンはとても派手だ。
「しばらく、ここで張ってみようか。
多分、ジョゼちゃん達は監視カメラも押さえてあるだろうから連絡しておくね。
まあCIAの報告からすれば、監視カメラなんて彼にかかっては胡麻化されてしまうかもだけど」
「御願いいたします」
そう言って静かに歩道に座り込むアキレス。
彼は異世界について考えていた。
このところ、立て続けにハンボルト家を騒がせる異世界。
だが、それが御嬢様に多くの笑顔をもたらしたのも、また紛れもない事実なのだった。
アキレス自身は、それが決して悪くない新しい風なのかもしれないと思っていた。
多くの通行人が、見るからに非常に素晴らしい犬であるアキレスを見かけると思わず足を止めて、沖田ちゃんに話しかけて許可を貰い、彼の頭を嬉しそうに撫でていった。
そのように人々から愛されて、左右に緩やかに振られる彼の自慢の尻尾は、その心情を穏やかに表すのであった。
これも悪くない時間だなとアキレスは思う。
あの犬の楽園たるドッグハウスに居たのでは有る筈のない一期一会の縁。
こんな風に見ず知らずの犬好きな人達と触れ合う時間は、とても不思議でそして心地よい。
まるで春の日差しのように彼の心を温かく照らす。
それは突然に、そんな境地にある彼の心の中に湧き起こった。
ふと。
ふっ、という感じに予感めいた物が湧き上がってきて、アキレスは突然に立ち上がった。
「ん? どうしたの、アキちゃん」
「いえ、何かこう感じた物がありまして。
すみません、御騒がせいたしました」
そう言ってまた座り込もうとしたアキレスを、沖田ちゃんは手を伸ばして押し止めた。
「ストップ。
そういう事を魔王園長先生は大事にするんだよ。
何を感じたの?
ここは見逃さないでいこう」
「はい。
何かが、何かが私の動物的な勘に引っ掛かるのです。
ここです。
きっと、この場所なのです」
「わかった」
沖田ちゃんはスマホを取り出して、自分の造物主を呼び出した。
「魔王様。
ちょっとこちらへいらしてください。
今、新宿の巨大LEDボード前です。
ここへ彼がやってくるかもしれません」




