↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

654/1334

105-3 タヌキの捌き

 その首相官邸の特別な応接間を、少し痛い沈黙が支配した。


(うん。

 言われた通り、別にそう大した事じゃない。

 本当に大した事じゃあないわ。

 でも何故? 何故そんな事を?

 わからない……)


「特に護衛の方、宜しいですかな」


「御嬢様の身の上に何か起きるとでも?」

「いえ、特に危険な事はないかと」


 その話を聞いて軽く首を捻り、護衛の連中は少し考え込むかのようだったが、彼女自身はもう即決だった。


「いいわ。

 それを書けば、彼を呼んでくれるのね?」


「ええ、もちろんです。はい」


(ふう。東洋人と話すのは苦手だわ。

 何を考えているのか表情から読めない。

 まったくわからないんだもの)


「わかったわ。

 書くから早く書類を用意してちょうだい」


「御嬢様!」

「シャラップ!」


 護衛は嗜めようとしたが、にべもない。

 彼らも諦めて首を竦めた。

 この御嬢様が言い出したら、もう何があろうとやり遂げるつもりなのだ。

 今までそれが叶わなかった事など一度としてない。

 そう、今までであるならば。


 官邸の職員が慌しく動いて、書類は日本語と英語の両方がすぐさま用意された。


「御嬢様、両方とも同じ内容です。

 こちらにサインを」


 護衛の人間のうち日本語を解するという理由だけでわざわざ帯同した、米軍隷下の警備会社所属である欧州傭兵部隊から昨日緊急で契約内容などガン無視で強制的に転属させられ日本で合流した元自衛隊員の者が諦め顔で確認した書類に、さっとサインがなされてジョゼは総理に書類を突き返した。


「さあ、これでいいんでしょ。

 さっさと彼を呼んでちょうだい」


「はいはい。

 やれやれ肩の荷が下りましたよ。

 いや助かりますね。

 国会開催中に、これは困った事になったと思っていたのですが」


「え、それはどういう意味?」


 だが、総理は彼女にはもう一切構わずに嬉々としてスマホを取り出して電話をかけ出した。

 護衛の男達は、その様子を見て何かこう職業柄予感めいたものに突き動かされるのか、本能的に警戒を強めている。


        ◆◇◆◇◆


「ん? 誰からだ」


 その時俺はまた、のんびりと俺専用のリビングのソファにだらしなく寝っ転がってビールタイムにしていた。


 その脇には、半ばソファにだらしなく凭(もた)れるような感じの、かなり気の抜けたような夫婦ならではの膝枕を俺に提供中の緩やかな雰囲気を纏ったシルもいて、おまけに彼女自身もスエットを着て寛いでいる。


 最近はシェルミナさんも、そう煩い事は言わなくなった。

 シルも、もう王宮の御姫様ではないのだから。

 館を支配する俺の怠惰が、彼女の歴代女性王族侍女頭としての矜持よりも勝(まさ)ったものらしい。


 まあ、真の館の主ともいえる離宮筆頭侍女である彼女のために、花見のようにあれこれと企画して、この公爵家離宮の名主であるシルの面子を目一杯保つように常日頃から最大限の努力をしているので、何かと口煩い彼女も俺には比較的寛容な態度であるようだ。


「どうしたの?」


「ああ、こいつは日本の総理からだな。

 おかしいな、今日は土曜日だぜ。

 今は国会開催中のはずだから、開催日ではない土曜日でも忙しいと思うんだけどな。


 あの日本の総理にしては珍しく非常に仕事熱心な彼は、昼食も仕出しの弁当か何かを食いながら首相官邸でアルスのように黙々と仕事をしているか、あるいは仕事の合間を縫って人に会っているはずなんだ。

 こいつは何か猛烈に嫌な予感がする」


 まあ、とりあえず電話には出ておくとするか。

 何しろ彼は日本円の大口スポンサーなんだから、同時にこの公爵家の地球と関わるようなスペシャル行事には不可欠な協力者なのだ。


 今のこのグランバースト公爵家にとっては、日本との交易なんかが始まったばかりの大切な時期に欠かせない人材だったりする。


「はい、井上ですが」


「ああ、公爵閣下。

 この前の一件はどうも。

 あの子供達は元気にやっておりますかな?」


「ええ、小さな子も多いですし、すぐ馴染みました。

 この前も日本での花見へ一緒に連れていきましたよ」


 変だな。

 この人がこんな事を引き合いに出すという事は、また何か面倒事を押し付けたいんじゃないのか?

 あれも滅多にないほどの厄介事だった。


 それに『公爵閣下』ときたもんだ。

 これは一種のサインなのだな。

 そこに誰か特別な人間がいるのかもしれない。


 英語にて「デューク」というキーワードを必要とする相手という事は、おそらく欧米文化圏の人間なのだろう。

 ええい、永田町のタヌキめ。


「それでですね、ちょっと御相談がありまして。

 宜しかったら、今から首相官邸まで御出でいただくわけにはいかないでしょうか。

 ええ、是非とも!」


 ほら来たよ。

 何か切実な「御願い、どうしても来てね」オーラを感じる。

 電話が鳴った時から嫌な予感はしていたんだ。


 俺の場合は他の人と違って、それは異世界へ来る以前から所有していた『チートスキルのようなもの』の御蔭で、必ず現実のものとなるのだ。


 最初から確定的にわかっている事なのだ。

 いや、別に俺が超能力者なわけではなくて、単に前もって教えてくれる奴(中の人)がいるだけなのだが。


 まあ、相手は大事な日本円の金蔓なんだし、行かないわけにはいかないんだが。

 他にもあれこれと便宜を図ってもらう予定なのだ(俺の脳内での決定事項)。


 何しろもう、この日本国の場合は、相手が総理を引退してからが『貸しの取り立ての本番』だというのに、いろいろと立場が弱いだろう現役時代に、たっぷりと恩を売っておかないでどうするのかという話なのだ。


 さあ、張り切って恩を売りに行くとするかな。

 特にこの格別仕事の出来る総理の場合には、後日の収穫が涎の垂れそうなまでに期待出来るのだから!


「わかりました。

 今から行きますが、厄介事はごめんですからね?」


 そう言って電話を切ってからシルに一言。


「なんか総理が今から来いってさ。

 また厄介事の匂いがする。

 ちょっと暴れてくるかな」


「もう、よしなさいって。

 まあいいんだけれど、向こうの世界へ遊びに行けなくなったりしたら嫌よ」


「そこまでしないって。

 そんな事にでもなったら、なんたってこの俺が一番困るじゃないか。

 さて次はどこへ遊びに行こうかな~」


 やっぱり子供達を連れて行くのだから、本場の遊園地とかだろうか。

 俺はそんな浮かれた事を考えつつ、転移魔法で総理のマーカーを頼りに跳んだ。


「おー!」

「何事だ」

「いきなり闖入者が」

「うわ、空中から現われたぞ」


 おや!?

 なんだか英語で騒いでいる外人達がいるな。

 それに男達は銃を持っている。


 だが、それは突然空中からテレポーテーションしてきた人間がいたので、慌てているだけのようだ。

 俺に対する明確な殺意とか敵意とかを感じるわけではない。

 どちらかといえば、激しく困惑しているとでもいうか。


 それに総理と一緒に首相官邸にいた連中なのだから、別に敵ではあるまい。

 大方、この総理に対して魔王を呼びつけねば済まないほどの無理を言ってくるのはアメリカあたりの関係者か。


「ああ、あなた方。

 そのチャチな拳銃如きは引っ込めた方が身の為ですよ。

 彼が噂の魔王様なのですから」


 だが、そんな空気には構わずに淡々と俺の紹介をする総理。

 何かもう、まるで他人事だとでも言いたいような雰囲気を感じる。

 なんなんだ。


「いきなり、そういう紹介はやめてくださいって。

 ああ、お前達が誰かは知らないがなあ。

 一つだけ言っておくぞ。

 アイ・キャンツ・スピーク・イングリッシュ」


 なんなんだ、この雰囲気。

 変な女がいて、黒服にサングラスの銃を持った男達もいる。


 俺なんか、なんと作務衣に雪駄のまんまなんだぞ。

 総理しかいないかと思って、うっかりとこの格好のままで来ちまったというのに。

 日本国の首相相手に、一応は日本国民の一人でもある俺が、この格好というのも何なのだがね。


「ああ、それと言っておきますが、先ほどの誓約書はもう有効ですからね。

 それでは私はこれで失礼させていただきます」


 憮然とした男達を後に、総理は一礼して悠々とその場を去っていこうとしていた。

 男達も、抜いた拳銃のやり場に困って、それごとダラリと手を下げている。

 八の字になった眉とポカっと開けた口に見られるような、重度の困惑を激しく顔面に張り付けながら。

 特に俺のTPOを弁えないファッションがダメダメな演出だよなあ。


「こらこらこら。

 総理、俺に何か用があったんじゃないのか?」


「いえ、後はその方達とあなたの間で、お話してくださればよいので。

 その、出来れば私はもうこれ以上この件には関わり合いになりたくないのですが」


 こ、この親父は。

 人をいきなり呼び出しておいて、なんちゅう言い草か。

 そこにいる連中も、よく事情が飲み込めなくて困っているのではないだろうか。


 引き金から指を放すどころか、いつでもくるっと銃を回し、銃把を俺に向けたまま銃を手渡そうとするような、そういう敵意や害意のない事を示す行為を俺に向かって差し出しそうなくらいの超激しい困惑ぶりだ。


 それは「もし貴方様が我々を信用出来ないと仰られるようならば、いつでもその銃を手に取り、そのまま引き金をこちらに向けて引いてください」くらいの意味なのだ。

 なんつうか、王に対して行う騎士の作法のようなものか。

 それに関しては、向こうの世界では散々見させてもらってきたものなのだが。


 いきなりこういうのは、さすがにちょっとなあ。


「なんにしても、せめて説明くらいはしていけよ」


「仕方がないですね。

 では簡潔に説明を。

 その女性がプリティドッグの子犬を御所望なのです。

 我々日本政府は誓約書をいただきましたので、もう何があっても本件とは無関係です。

 できましたら、一度正式に玄関から首相官邸の外へ出てから、先方と御話し合いをしていただ」


 その瞬間に俺は、総理の話を全て聞く事はなく無条件で迷わずその女の手を取って、その場から男達を残して異世界転移で消え失せた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。