81-2 疾風の人物録
第二王子ミハエルは執務室代わりにしている自室の椅子の上で、ぐっと伸びをした。
◆◇◆◇◆
「局長、そろそろ御休憩されてはいかがですか。
もうずっと仕事をしっぱなしですよ」
長く勤めてくれている腹心の部下がそう声をかけてくれた。
ここには侍女のような人間はいない。
情報漏れを極度に警戒された、この国の諜報活動の最前線なのだ。
特に女性の口は、空に浮かぶ雲よりも軽い。
王宮にいる侍女などの間には、噂を伝搬するためだけの情報網すら存在する。
もちろん、それに関しては私も存分に活用させていただいているのだが。
「ああ、そうするか」
私は以前に一度かなりの無理をしているので、ほどほどにするという事も学んだような気がする。
以前の私なら、「いや、もう少しキリのいいところまでやっておこう」と答えたところだ。
「では、御茶の仕度をしてまいります」
「そうか、頼むよ」
そう言いながら、私は目の前の書類を纏めて机の上で軽くトントンと揃え、脇に片付けた。
「ふう。思えば、あの男に振り回されっぱなしの二年間だった」
思わず、そう独り言ちる。
そして左腕に嵌められた、アイテムボックスを兼ねた転移の腕輪に目を向けた。
元々は己の祖先が作り出し、自分でも再現を試みたが不可能だった代物だ。
その前にも、この国を巡る環境において色々と問題はあった。
特に魔界の鎧の件は容易ならざる困難を伴った。
それは伝説の空中庭園をも舞台にした事件となったほどの物なのであった。
それ以前にも帝国絡みと容易に想像がついた厄介な出来事の数々があった。
だが、なんと言っても一番大きな出来事は、あの男が現れた事だろう。
私の人生最大の衝撃と言っても過言ではない。
あの力、そして彼がこの世界へと持ち込んだ数々の物。
また彼が作り上げた数多の摩訶不思議な物達。
何より危惧したのは、あのインターネットという物だ。
自分には全く理解出来ない不可思議な世界。
それに触れてはみたものの、さすがに理解の範疇を超えていた。
だが、あろうことか狐獣人のあの子供達は!
そして、あれの情報だけは無闇にばらまくんじゃないと、しつこいほど念を押しておいたのだが、幼稚園の授業で普通に使っているのを見た時は、私も思わず怒髪天を突いてしまった。
「この大馬鹿者!
あれほどやたらと使わせるなと言っておいたものを」
「いや、だってパソコンなんて普通に学習で使うだろう?
今はそういう時代なんだよ」
そう言って、ひょいっと首を竦めて言い訳をするに留めるあの男には本当に困ったものだ。
日本か。
もし向こうの世界へ行けるようになったなら、一度視察に赴かねばならんだろう。
だが、行けば行ったで激しく頭痛がする世界なのは、この世界には魔法があるとか魔物がいるとかと同じくらい確かな事象だ。
あちらの世界に、それらは無いそうだが。
逆によい頭痛薬は大量にあるそうだから、沢山仕入れてくるとしよう。
この稀人国王所縁である魔導の国アルバトロス王国で、もっとも情報に長けた、このミハエルにも理解出来ぬ事が多い。
だがそれらを狐っ子の幼児達が、あっさり次々と理解していく。
それは驚異的な事態であるのだが。
しかし、あの男はそれを「ふうん」の一言で済ませてしまう。
それは、この私だからこそ呆れ返るだけで済ませるのだ。
これが妙なプライドに凝り固まった奴であったなら、物凄い逆恨みを買ってとんでもない事になるところなのだが。
各国の王族にはそういう者達も非常に多い。
あの男もこのアルバトロスに身を寄せているのでなければ、彼らとの激突は必至であったろう。
その結果は双方に致命的な悲劇を齎し、奴自身も慟哭の涙に濡れた事だろう。
だが、そんな事はまったく頭になく、今日もあの作務衣とかいう変わった服装で毎朝門前の掃除に励んでいるのだ。
彼が齎したもので、一番影響力が大きいのは食品と服飾であろう。
殊に、あのミシンとやらは恐るべきものだ。
簡単に世に出してしまっていい物ではない。
幸いにして、うちで製造元を押さえてしまえているが。
そして今は、この国のどこへ行っても「日本食」が溢れている。
それは稀人の世界地球においても各国の人々から大いに持て囃され、自国へ帰ってからも思い出し涎を垂らさんばかりに愛されている物だと言う。
あの男は、毎日「あれが食いたい、これが食いたい」と言って、あの山本やエバンス元ゴーリル伯爵などに強請って新作料理を作らせ、それらもまたこの国に溢れさせている。
それはロス大陸各国にも多く出回り、奴本人による紹介などを通じてメルス大陸にも多くが齎されている。
それらの料理は、この前の十三か国との紛争を経て、あの男も自分の商圏を大きく拡大したので、更にこの世界に広く溢れる事となった。
他に気になるのは、あのテレビとかいう物だろう。
今は「テレビ局」なるものを作り、精霊に番組を試験放送させている。
元々は稀人の女性が作った絵細工の機械用に番組を作っていたらしいのだが、あの男はこんな事を言い出した。
「もういっそ、テレビ局でも開業するか~」
話の概要はわかるのであるが、この私をしても、まだよく理解出来ていない。
他の家族達もチンプンカンプンなのではあるが、それでも楽しみにしているらしい。
我が家族ながら暢気なことだ。
番組制作用に「精霊ディレクター」という物を育てているらしいのだが、あの精霊どもときたら何をやらかすかわからないので注意が必要だ。
また何よりも怖いのは、テレビ局というものは政治的に利用出来るものらしい。
「ミハエル、マスコミ戦略のない統治はもう古いぜ。
メディア戦争は常時戦争の重要なファクターなんだからな。
直に今までのやり方は古臭くなる。
さあ、テレビを売らなくっちゃあ!」
あの男が殆ど無意味に張り切っているのは妙に怖い。
ちょっとシルに言って、あのテレビとやらを無闇にバラまいたりしないよう見張っておいてもらわないといけない。
問題があるようなら、すぐに連絡をくれるように頼んである。
身内があの男の家族になったのは頼もしい事だ。
そして私にとって、一番関心のあった事は日本語だ。
初代国王没後、しばらくは日本語も健在であったのだが、あまり使わないので時代と共に廃れてしまった。
かなり異質な文字を用いる言語であったし。
宝物庫に仕舞われた資料などは、もう誰も読み解く事の出来る者がいなくなってしまったのだ。
私もチャレンジしてみたのだが解読は不能だった。
殊に、あの漢字という奴が非常に難解だった。
あの葵とかいう女性は現役の学生だったそうで、私は彼女に日本語の家庭教師を依頼した。
だが、生憎な事にトーヤとかいう狐獣人の小僧には置いていかれっぱなしだった。
屈辱的な事に、あの魔王から、私とあのトーヤとでは小学生と大学生ほどの開きがあると言われてしまった。
一応、稀人の国である日本の十六年にも渡る教育制度については聞かされている。
私も思わず苦い顔にならざるを得ない。
まったくもって、なんという事だ!
あの一緒にエルドアへ行ったエディとかいう小僧も中々のものだし、また狐獣人をわんさか拾ってきていたのを見た時は眩暈がしたものだ。
あの辺の子供は出来ればうちの王宮に仕官せたいと考えている。
可能ならば、私の部下に。
あのトーヤという小僧は本当に末恐ろしいわ。
だが彼もドワーフ国の王子になったのだ。
あの子のことだ。
必ずやそこで新たな成果を出し、我が国にも多大な利益を与えてくれる事だろう。
ついでに、もう日本語翻訳の仕事も彼に頼んでしまった。
私は本来の仕事で忙しいのだからな!
願わくば、彼トーヤがあの無法なドワーフどものストッパーになってくれる事を願っている。
私は思わず、帝国戦の際にエルドア王国を訪ね散々な目に遭った事を思い出してしまった。
あの筋肉大王め!
あとはアルが作り出した魔法金属などだろう。
さすがの奴も、あの「ベスマギル」とやらだけは自重していたようだ。
本来であるならば宝物庫に封印させてもらいたいところなのだが、エリクサー製作のようにアレが活躍するシーンは多い。
あの魔界の鎧さえも押さえる事が可能な奇跡の霊薬を作ってしまえるような超魔法金属。
あまり無碍な事も言えんのが、また頭痛の種だ。
そして、件の「魔界の鎧」の一件だ。
我が国との因縁に満ち溢れた、あの悪魔のスキル。
もし、あの男がいなかったとしたら、はたして我々になんとか出来ただろうか。
前回アルバトロスの王太子があれを封印出来たのも、精霊の森にいるレインボーファルスの力が健在であったからこそだ。
力が弱り、精霊の森から一歩も出られなくなった当代のファルス。
それが、まさか稀人達をこの世界に送り込んだ事象が原因であったなどとは露とも知らなかった。
そして、あの魔王の魔力がなかったのであれば、そのファルスの子供は卵から孵ることも無く誕生する事も叶わなかったであろう。
その結果起こったであろう「闇黒の時代」に関してはあまり考えたくない。
弱っているファルスだけでは、とてもこの先世界は持ちこたえられないであろうし、卵を喪って気落ちしたファルスは力を失っていってしまったかもしれぬ。
あの男の事だ。
まだゲルス戦も残っている。
どうせまた碌な事はしないのに決まっている。
また私の頭痛を発症しそうだが、そのための日本製頭痛薬さえも奴自身が寄越すのだからな。
「局長、御茶をどうぞ。
御茶請けはキッチンエリの新作が届きましたので」
私は、一時の憩いを求めるためにカップを手に取った。
いい香りだ。
あのマリーとかいう幼女が調香したものらしい。
あの子の才能も大変なものだ。
是非、将来は宮廷付き、あるいは王国御用達として頑張ってもらいたいという願いを持っている。
あのエリという少女も大師として諸国に名を轟かせている。
そして、この御茶請けの御菓子の上品な味わいはどうだ。
彼女に関しては、あちこちの国が強い関心を持っているようだが、簡単に手は出せまい。
瞬時にあの魔王をお怒りモードで召喚する事になるのだからな。
あの娘も、将来は一体どこへ嫁ぐ事になるものやら。
その時に、また私の頭痛を発症させる事にならねばよいのだが。
おっさんリメイク2巻発売に伴って、新作「ブルードラゴンの日常」 本日から連載です。
1日1話の緩いペースで、のんびりといきますので。
人外転生系の、大変緩いお話なので気に入らないようでしたら、スルーしてください。
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