75-6 錬金魔女
「い、いや。
よく来てくれたな。
あの魔王はまだ帰ってこないのか?」
「ええ。
それでミハエル殿下から連絡を頂きましたので、精霊の森へと趣き暫定の対応策を協議してきました」
「そ、それで」
食いつかんばかりに真理を見るドラン。
「これを試します」
そう言って真理が見せたものは【エリクサー】だった。
「そ、そいつは一体なんだ?」
虹色の耀きを放つそれは尋常なものではないと、錬金術に疎いドランにさえわかる。
目を細めて、じっくりと観察をする。
「これは伝説のエリクサー。
神話の中の代物ね。
あのアルバトロスの初代国王でさえ、途中で作成を断念したような希少な代物よ。
これは園長先生が、私のために凄く苦労して作ってくれた物なの。
だから私もこれを持たされていたわ」
その通常なら存在しえない、あるいは門外不出であるだろう神秘の煌めきに思わず息を飲むドラン。
会議室にも唾を飲み込む気配が続いた。
「本来であれば、アルバ王宮の宝物庫にて厳重に封印されていなければならないような代物だけれど、非常事態ですのでこれを試してみます。
ミハエル殿下にも承諾を頂いているわ。
何もやらないで破滅を待つよりはマシですから。
でも効果があるかどうかは、精霊の森のレインボーファルスに訊いてもわからないと。
まったく前例の無い話ですから。
それに、かつては魔界の鎧本体を封印してのけた彼女も、今は体が弱ってしまっていて単独で魔界の鎧と闘える状態ではありません」
「そ、そうか。
是非試してみてくれ。
あの魔王が帰ってきたら、きっとなんとかしてくれるだろう。
それまでなんとか保たせてくれれば」
皇帝夫妻は寄り添って真理を見つめた。
「それでは誰か、現場までの案内を御願いします」
「では騎士団の者に行かせよう」
先ほど事態を報告した若い騎士達が呼ばれた。
全員で馬を飛ばし、ほどなくベッケンハイム公爵家付近まで到着した。
騎士達は瘴気のかなり手前で止まり、災厄発生元の館を睨んだ。
「先ほどよりも、かなり瘴気の範囲が拡大しております」
「こ、これは凄いわね」
厖大な瘴気の気配を感じ取り、真理も唇を噛み締める。
真理は人間ではないため、この瘴気に犯される事はないが、これが広がってしまったら豪い事になる。
「この瘴気は、最初はゆっくりと広がっていきますが、瘴気に取り込んだ人間の心の闇を吸い込んで、そのスピードを加速してゆくのです。
グランバースト公爵達の不在が悔やまれます」
「なんて厄介な代物なのかしら~」
真理は辺りを見回したが、そこかしこに倒れている人達を発見した。
「あなた達は、少し離れていてちょうだい。
危なかったら早めに逃げてね。
後は私だけでやれますから。
私に瘴気は効かないし、移動も転移魔法を使えますので大丈夫よ」
「は!」
そういうや、真理は目視転移で一番近くにいた人のところへ跳んだ。
どこかの屋敷の使用人と思われる男性のようだった。
アルバトロス王国騎士団同様に凡庸な人間など一人もおらぬ帝国騎士団は、真理からの指示通り速やかに撤退していた。
既にさっき居た辺りまで瘴気が広がっていったのだ。
真理はその人を助け起こすと、まずエリクサーの原液を軽く振りかけた。
彼は呻いていたが、やがて意識を取戻した。
「よかった。
なんとか効果はあるようね」
「ああ、ここはどこだ。
俺は一体どうしてしまったんだ。
ううっ、また」
瘴気の圏内にいると、再び症状がぶり返してしまうようだ。
そして瘴気の拡大に貢献してしまう。
これでは救出した人を回復させ次第、瘴気の餌食にならないように、ここから引き離さなくてはならない。
「なんて面倒な」
皇宮に転移してからまたエリクサーを与え、待機していた係の人にその人の事を頼むと、トンボ返りで現場に戻る。
ゴーレム達に指示して、他の倒れている人達を先に転移魔法で連れ出してから、今度はエリクサーを薄めて試してみた。
「あら、結構薄めてもいけるのね。
まだ呪いが薄いせいかしら。
これが広がってしまうと、また厄介ね。
それなら……」
そう言って、真理は【愛機】を取り出した。
それは園長先生謹製の魔導ヘリコプターである。
この機体は農業用に使えないかという事で、液体を散布する装置が付けられているのだ。
日頃から園長先生が暇を見て色々と作ってくれてあるので、こういう時には非常に助かる。
それからスマホで帝国騎士団を呼び出して、被害状況の監視を御願いした。
「今からエリクサーの希釈液を撒きますから、瘴気の範囲が狭くなるか見てください」
「わかりました。
御気をつけて」
普通の人間であるならば、こんな風にいきなりヘリを使う事など出来ないだろう。
数か月に渡る厳しい訓練が必要だ。
だが真理は違う。
最初から色々な事が出来るように作られているのだから。
錬金魔法で作られ、錬金魔法を使いこなし、錬金魔王が作る魔道具を苦も無く使いこなす。
だから、当時の人々は敬意を込めて彼女の事をこう呼んだ。
「錬金魔女」と。
瘴気の立ち上るラインへ到着すると、真理は激しいブレードスラップ音を響かせながら舞い上がるヘリの液体噴射装置のスイッチに手をかける。
下では騎士団が、あちこちで瘴気の境界線にて狼煙をあげてくれているので、瘴気の位置はよくわかる。
そこを目安に、どんどんとエリクサー希釈液を噴霧して回る。
出し惜しみ無しで、ガンガンと使っていく。
タンクが空になってもアイテムボックス内から直接タンク内へ水とエリクサーをぶちこんで、魔法で攪拌して希釈していく。
水も避難時などに子供の世話がちゃんと出来るよう、日頃から超大量に持ち歩いている。
水の在庫が切れた時は魔力を大量に使ってしまうが水魔法の出番だ。
ベスマギル・バッテリーもあるので魔力は一切惜しまず使っていける。
狼煙が囲む範囲がどんどん狭くなっていく。
なんとかなりそうだ。
だが油断は出来ない。
こいつは広がれば広がるほど勢いを増してしまうのだ。
これだって気休めの時間稼ぎにしかならないが、それでも持ち堪えねばならない。
膨大な量があったはずのエリクサーの在庫が切れない事を祈るばかりだった。
真理も自分のメンテのために一千万本持たされていただけで、こんなとんでもない作戦をするための量を預かっていたわけではないのだ。
スマホのエマージェンシーボタンは押しっぱなしになるように、ロックボタンを押してセットしてある。
「やれやれ。
とんだ仕事が入ったものねえ」
大空高く作業する真理の、孤軍奮闘はしばらく続くのであった。
まるで山火事と闘う消火ヘリのパイロットにでもなった気分だ。
だが幸いな事に、造物主からも「ロボ子」などと呼ばれるほどに優れた人外故の集中力は決して途切れる事はなかったのであった。




