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75-5 暴走

「ハイエルフよ。

 お前は、この連中がどこの人間だと思う?」


 辺り一面に広がる血の海と死体の群れが散乱する戦場痕にて、皇帝ドランは彼女に問うた。


「さてね。

 大方、あのゲルスとかいう連中の手の者じゃないのかい?

 他に今、この帝国に攻めてくる勢力の当てでも?」


「だろうな」


 唇を噛みながらも皇帝として頭を巡らせるドラン。


「宮殿内にも、まだこいつらの仲間がいるのではないか?

 あのベッケンハイムとかいう馬鹿は、他にも入り口を開いていたみたいだぞ」


「くっ。

 そういえば、部屋の外側からも敵が入ってきていたな。

 出来れば、そいつはもっと早く知らせてもらいたかったものだ」


 ドランは若干恨めしそうな顔を見せるが、ジェイミーはどこ吹く風だ。


「あいつが何をしようとしているかなんて、この私が知るものか。

 あの馬鹿の事は、彼の魔王園長でさえ蛇蝎の如くに嫌がるというではないか。

 それで肝心のその馬鹿者はどこに?」


 そう言われ、ドランは初めてベッケンハイムがどこにもいない事に気が付いた。

 非常通路の入り口を確認すると向こう側から鍵をかけられていた。


 それはこちら側から鍵を操作しても開けられない、機械的閂(かんぬき)のような物だった。

 敵兵がやられている間に、すかさずここから脱出していたのだ。

 中々抜け目の無い、奴らしい命汚さだった。


 いかにもベッケンハイムらしいといえば、それまでの話だ。

 さすがは皇帝になる予定だった男だけの事はある。


 非常呼び出しに応じて駆けつけた帝国騎士団長は、ただちに手配に赴いたが、既に賊の仲間やベッケンハイムは皇宮から逃走した後だった。


「騎士団を率い、ベッケンハイムの屋敷を包囲せよ。

 今回もいきあたりばったりの計画で、どうせ逃げ出す算段など考えていなかったのだろう。

 いつもの如くに脳内妄想の通りに行動して、失敗した時の事など考えていなかっただろうからな。

 どうする事も出来なくて、まだ屋敷内にてウロウロしているはずだ。

 抵抗するようなら殺しても構わないが、なるべく生かして捕らえよ。

 訊きたい事が山ほどあるからな。

 あの叔父上の事だ。

 ちょっと脅してやればペラペラと喋りだすさ」


「ははっ」


 筋骨逞しいベルンシュタイン王国騎士団長が何か嬉々としている。

 公然とあの公爵を捕縛、あるいは殺害出来るのがよほど嬉しいようだった。

 アルバトロス王国騎士団同様に、奴ばらには相当苦い思いをさせられてきたのであろう。

 出来れば後者の選択をしたいものだと、その目がありありと語っていた。


 その様子を見て、皇帝ドランも深い溜め息を付いた。


「アルめ、全く連絡が取れないな。

 仕方が無い。

 後でミハエル王子にでも連絡しておくか」


        ◆◇◆◇◆


「おのれ、おのれ、おのれ。

 あともう一歩だったというのに、あのハイエルフめが」


 悪態を吐きながら、屋敷の中をうろうろするベッケンハイム。

 さすがに今回は洒落では済まされないのは、いくら馬鹿でもわかる話だった。


 そして部屋にいた少年が無感情に言い放った。


「ふん。

 どうせなら俺が作戦発動をするまで待っていればよかったんだ。

 その隙にやればよかった。

 もっとも、そうなればお前も正気を保ってはいられなかったかもしれないがな」


「黙れい!

 貴様のような小僧に虚仮(こけ)にされてたまるものか。

 この役立たずめ。

 こうしてくれる」


 小僧にそんな風に揶揄されて、怒り心頭に発したベッケンハイムは少年に掴みかかった。

 この異世界には「雉も鳴かねば撃たれまい」という日本の諺同様に「竜も吠えねば見つからぬ」という諺があるが、それには冒険者に無様に見つかって討伐されるという言葉通りの意味合いだけではなく、潜在的な大いなる危機を含む些かブラックスワン的な意味合いもある。

 だが今回は、どうやら竜どころでは済まないようであった。


「おい止めろよ、おっさん。

 何を考えているんだ、あんたは。

 こんな事をしている場合じゃないだろう。

 直に帝国騎士団があんたを捕縛しにやってくるぞ」


 少年は抵抗しながら嗜めるが、一顧だにせぬベッケンハイム。

 そして押された少年の足元が滑り、背後の机にあった重量感のある置物の尖った部分に頭をぶつけて、そして倒れた。


「どうした、小僧。

 さっさと起きんか」


 だが、沈黙が支配した。

 傍に寄ってみると、そいつの息が止まっていた。


「くそっ、なんて使えない小僧だ。

 これではゲルスの連中が立てた計画も狂ってしまうではないか!」


 自分で狂わせておいて言いたい放題であるのだが、それこそがベッケンハイムの真骨頂だった。

 だが、この件はそれでは済まなかったのだ。

 少年の体から、どす黒い霧のような物が現れ、立ち上った。


 それは、最初は仄かに立ち上る感じであったので、ベッケンハイムも気が付いていなかった。

 段々と激しく湧き上がるような感じになっていったが、ブツブツ言って背中を向けているベッケンハイムは見ていなかった。

 気が付いた時には、真っ黒な何かに体中が絡め取られていた。


「ぐわっ、これは何だ。

 放せ、この儂を誰だと思って……や、やめろ。

 ぐわああああ」


 それこそは魔界の鎧であった。

 少年はゲルスから派遣された最後の魔界の鎧の持ち主だった。

 皇帝を殺されて混乱した帝国に魔界の鎧を放ち、世界を混沌と恐怖に落としめて、その間隙を付いて各国の王を手にかける予定であった。


 だが、鎧をコントロール出来る少年をこんな形で失ってしまったのはゲルスも予定外なのであろう。

 彼は織原のように意識を手放してはいなかった。

 今までの中では一番真面な状態にあった魔界の鎧の被験者であったと思われる。


 ベッケンハイムに、そんな高度な芸当が出来るはずがない。

 あっと言う間に魔界の鎧に取り付かれ、一瞬にして狂ったベッケンハイムは鎧の力を完全に暴走させた。


 どうやら鎧の本体はグスタフの手によって本当に消滅したようだった。

 だがそのせいでコントロールを失った最後の鎧は、子鎧のくせに取り憑かれていた主が死んでも消滅せず、何の情念もなく、ただただ怨念の力を振り撒くだけの暴走する呪いのアイテムと成り果てた。

 今までの全ての怨念を堰を切ったかのように溢れさせて。


 ベッケンハイム捜索のために公爵邸へ出かけた騎士達も、もう這う這うの体で逃げ帰ってきた。


「皇帝陛下、駄目です。

 ベッケンハイム公爵邸からは尋常ではない瘴気が漏れ出しており、とても近づけたものではありません。

 付近の屋敷の者もやられてしまっておるようです。

 こ、これは……おそらくは最後の魔界の鎧の仕業であると思われます」


「なんだとおー!

 おのれ、叔父上。

 な、なんという事を~。

 世界を破滅させるつもりか!

 これまでは、なんとか辛抱してきたが、今度という今度はもう勘弁まかりならん。

 どうしてくれようか~」


 最悪な伝説の再来に、そして帝都のど真ん中への襲撃に、やや震えながら答える騎士から報告を受けたドランは珍しく激昂した。

 この貴公子風の皇帝が、こんな醜態を見せるのも珍しい。

 顔を上気させ、怒りにわなわな震えていた。

 帝国の騎士達も戦々恐々といった面持ちであった。


 しかし、今この呪われた鎧を止められる者達は、こちらから連絡も取れぬところにいた。


「まったく、あの馬鹿叔父上ときた日には。

 嗚呼、古の帝国において、血から始まった忌まわしき過去の亡霊の惨劇。

 それがこのベルンに再び還り、また世界に災厄を広げようというのか。

 フランチェスカ、まだアルとは連絡がつかないか?」


 力なく首を振るフランチェスカ。

 唇を噛み締める皇帝ドラン。


「フランチェスカ、アルバトロス王国へも連絡をしておけ。

 直接ミハエル王子にな。

 あの国ならば、何か対策出来る手立てがあるやもしれぬ。

 俺は帝国においての対策本部を立ち上げよう」


 過去何度と無く魔界の鎧と闘って来た、かの王国に一縷の希望を寄せて頼る以外に有効な手段がない。

 頼みの聖騎士グスタフは今いない。

 魔王園長その人も。


 慌しく、対応策を求めて側近を集めた会議が催される。


「誰か良い知恵のある者は?」


 無駄と知りつつ、リヒター伯を始めとする側近達に訊ねてみたが、当然のように誰からも応えはなかった。

 帝国の負の遺産が、今この国を直撃したのだ。

 沈黙が痛い国家危機対策室となった。


 だが、そこへ突如として転移魔法で現れた者がいた。

 全身をキラキラと細かな魔法陣に煌かせて。


 会議室は突然の闖入者に騒然となった。

 武闘派貴族リヒターは即座に剣を抜き、皇帝を庇う位置に立つ。

 そして前後のドアを開け放って警備兵がなだれ込んでくる。

 だが皇帝が片手を上げて兵士達を制した。


「おまえは……」


「御久しゅう。

 ドラン皇帝陛下」


 現れたのは、ケモミミ園で御留守番をしていた真理だった。


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