55-8 夢幻の牢獄
ジョンブリーは、今幸せの只中にいた。
だって幼い頃に死に別れた、大好きだった母親や姉と今一緒にいられるのだから。
御気に入りだった花壇には、母親が愛したヤマプラシアの花が咲き乱れていた。
姉も笑って母親に腕を巻きつけて顔を擦り付けている。
ジョンブリーは覚束ない足取りでそれを追いかける。
「早くおいで、私の可愛いジョン」
母親は手招きし、彼の家族二人は笑っていた。
だから彼も叫んだのだ。
「そうさ、あの笑っている二人の命を無残に奪ったセシール病なんて、ここにはあるはずがないんだ!」
エミール伍長は、今幸せの絶頂にいた。
愛する妻と生まれたばかりの息子と、自宅の家で午後の昼下がりを楽しんでいた。
あの日の惨劇。
ある日任務を終えて家へ帰った時に、盗賊によって村が全滅して家族が全員惨殺されていたなんて。
そんな事は、この世界にはあるわけがないのだから。
優しく家族に向かって微笑む彼は、まさに幸福な只の一人の男であった。
なんだかなあ。
こうやって見ていると、なんか切なくなるよな、この世界って。
そう、ここは俺が創生した世界。
空間魔法で作り出された空間に、アレを大量に撒いておいたのだ。
「夢幻の花弁」
あのアドミンが俺にかました代物だが、どうやら魔法スキルだったらしい。
あの白昼夢に見事にどっぷりと浸かった俺は、それをスキルとして覚えてしまっていたのだ。
まあとりあえず、そいつを使ってみたという事で。
それはもう桜トンネルの中を隙間なく舞い散る花吹雪のように盛大に撒いてやった。
あれは、全く以って性質が悪い。
なまじ幸せな空間だけに自分から覚めたくないのだ。
見ている奴がいれば大笑いするような状況なのが今ならばわかる。
やっぱり、あのアドミンの野郎は悪魔の申し子だった。
だが、ただただ立ち尽くし、かつて幸せだった己を夢見て涙を流す兵士達の姿に、俺の想いは複雑だった。
これらの兵士を殺すような悲惨な戦い方をしなくて良かったな。
別にこいつらに怨みは何一つ無いのだから。
だが俺の大切な物を奪おうとするのなら、そいつらだけは遠慮無く何一つ躊躇わず殺してきた。
魔物も盗賊も、盗賊ギルドの冒険者、敵国の皇子なんかも。
そしてバラン。
俺も本当はあいつを殺したくなんかなかった。
あいつはリックのような外道ではない、一廉の漢であったように思う。
今の俺だったら、あいつを殺さずに済ませられただろう。
そして俺の少々後ろ暗い感じの手駒にしてしまう事さえ出来たかもしれない。
あれほどの漢だったのだ。
今なら即座に殺すのは惜しいと思えただろう。
あいつが苦手にしているだろうアルスを隠し玉にしておいて騙し討ちにして、なんとか拘束しておいて、後で戦時賠償の一環としてドランに要求したってよかった。
中世を誓うまで、強引に奴隷紋で縛ってもよかったしな。
だが。
自分の命、知り合いの大切な人達、人外の相棒、そして俺が保護した愛すべき子供達。
それらを守るために、僅かも躊躇する時間さえ与えられなかった。
それがこの世界で生きる事を決めた者が払う対価なのかもしれない。
あの頃はそこまで考えなかった。
でも今なら少しくらいは心に余裕がある。
「斉藤ちゃん」
「はい、なんですかあ」
「こいつらの事は宜しくね」
「任されましたあ~」
戦場? を後にして王宮へと移動すると、俺は第二王子ミハエルを訪ねた。
ミハエルは、ゆっくりと御茶を啜っていた。
疾風のミハエル。
少々揶揄を込めた感じにそう呼ばれ、いつも汚れ役というか縁の下の力持ちというか、そういうポジションを自分の定位置に定めている男。
それが自分の居るべき場所なのだと、空気のように自然体でそこに在る想国の王子。
なので、俺はハンニバルの時のこいつの写真を手に、繁々と実物と写真を見比べていた。
「貴様あっ! それは廃棄しろと言ったはずだあ~」
ちょっと真っ赤になって、写真を奪いに来る「兄上」がいた。
「なんだ、【家族】の写真を見ていたらいかんのかいな」
俺は笑いながら、それを渡してやる。
「うるさい! とにかく、これは駄目なのっ!」
本当に可愛いやっちゃなあ。
俺は息子のような歳をした貴公子様を見ながら、自分の顔に自然に笑みが浮かんでくるのを止められないでいた。
「それでな。
現行現地にいた敵戦闘部隊の戦力は、全て捕虜として確保した。
後は後方部隊の始末を付けるだけだ。
もし後続の部隊がやって来たら、そいつはまたじゃらすとして。
どうだろう、そろそろ外交の仕事の出番では?
まずはマリノ、その次がホープ。
そこまでで、もう半分方終わりだろう。
それにハイド、ケモミミハイムやパルシアなどを通した非公式の話し合いで、積極派のベリーオと同盟するペロニアを除く東部国家である五か国同盟を落とした後で、改めて【十三か国連合国軍】と、十三か国連合国内における多数決による話し合いの結果を元に交渉、とかのストーリーじゃないのかい?」
俺は、やっと仕事が済んだかなという感じで大欠伸をする。
あとはもう概ね『ホープ』様に御任せといった按配じゃないのかね。
例のタヌキ大使から頂いた親書は、とっくにミハエルの手の中だ。
後はこいつの領分なので、残りの仕事は全て御任せだな。
「まあ、そういう事になるかな」
もう頭は次に打つ手でいっぱいになっているかのようで、ミハエルはその端正な顔を宙に向けたまま考えを巡らせていく。
俺は護衛艦「常滑」へと転移した。
ちなみに他の船は「蒲郡」「浜名湖」「津」「びわこ」だ。
知らない人にはよくわからないだろうな。
これ全部、愛知県近辺の競艇場の名前ね。
六艘立ての競艇をやるには一隻足りないようだったが、俺も競艇場にはそう詳しくない。
津とびわこは遠いから行った事がないな。
浜名湖も前を通りかかっただけで中まで入った事がない。
なんで愛知県近辺の競艇場って「びわこ」だけが平仮名なんだろうな。
琵琶も湖も読めない人なんか、まずいまい。
琵琶湖が少々難しい字であるせいかもしれないが、読み方ならば蒲郡の方がよっぽど難しい。
愛知県人でなけりゃあ、「がまごおり」は読めない人がいると思う。
安城ですら読めない人がいるらしいのに。
自衛隊の船にこんな名前をつけたら責任者の首が飛びそうだ。
親父は競艇が大好きだった。
最期は常滑競艇場前のアパートに居座っていたほどね。
この辺の競艇場なら全部御馴染みだったろうよ。
御蔭で俺も中部国際空港まで行くための、通称『空港道路』を御袋と一緒に病院へ何度も通う羽目になったもんだ。
まあそういう日本での俺の背景もあって、旗艦の名は常滑にしておいた。
その旗艦常滑「艦長室」の隅に置かれた椅子、そこに提督はどっしりと座っていた。
彼は敗北した軍の責任者としての自覚を強く持ち、微動だにせず床の一点を見つめていた。
そして俺が入っていくと、軽く顔を上げて目礼をしてくれた。
「どうも。
何か不自由な事はありませんか?」
「いや、敗軍の将に過分な待遇をして頂いて痛み入る」
彼は俺と目を合わせないようにして、静かに低い声で応えを寄越す。
彼は一廉の将なのであろう。
見苦しい真似は一切しない。
ゴーレム共にも、彼の身柄については、くれぐれも丁重に扱うように申し付けてある。
なんというか、第二次大戦中に日本海軍が撃破した英国を中心とした艦隊の艦船の乗員達を、日本の駆逐艦が連合軍が設置した機雷も顧みずに懸命に救助した時みたいに。
狭い駆逐艦の中へ乗組員よりも多い人数の捕虜を乗せるので敵兵の反乱を危惧する部下もいたのだが、艦長の心は凛として微塵も動かなかったという。
なんか乗組員達も最初は警戒していたのだが、航海が進むうちに命懸けで救助した捕虜達と仲良くなってしまって、終いには閉じ込めるまでもなく一緒に生活していたらしい。
そして向こうも大いに感謝してくれているから捕虜達は余計な揉め事を起こす事もなかったという。
戦後、救助された艦長は救ってもらった礼を言うためだけにわざわざ日本を訪問したのだが、生憎と救助した側の艦長は既に鬼籍に入ってしまっていた。
その英国人艦長は、その誇り高く情け深い日本海軍艦長の心に報いるため、英国の海軍誌にその滅多にないだろう逸話を寄稿したという。
部下の命を奇跡のように救われた将の心情というものは、そういうものなのかもしれない。
「部下達はどうしていますか?」
おっと、やっぱり気になりますか。
あー、なんていうのかな。
あっはっは。
ちょっと花弁を与えておきましたとは言い辛いな。
「皆さん、御元気にしていらっしゃいますよ」
うん、嘘は言っていないよね。
今現在、全員もれなく多幸感でいっぱいだ。
あれって性質が悪い割には、特に後遺症とかはない物だし。
強いて後遺症とか副作用とか言うのなら、夢から覚めた時の気分がなんとも言えないというところか。
でもすぐに会わせてくれって言われると、ちょっと躊躇われるような感じかな。
「そうですか。それは何よりです」
うーん、空気が重いな。
「提督。ちょっと表に出ませんか?」
俺は彼、リベルロ・アスノ・ベンノハイム提督を甲板に招待した。
この国、いやメルス大陸では、船橋武を模してフォンのミドルネームを名乗る風習はない。
アルスの母国、今は無きアル・グランド王国も、かつてはアルバトロス王国成立以前からあった古い王国なので独自の名前を使っていた。
今はアル・グランド王国もゲルス共和国と成り果て、彼らも貴族名さえ持ってはいない。
他の奴らの話では、ベンノハイム家はかつて小国の王であったらしく、今もその片鱗を子孫は残す。
この世界でDNAと言ってもわかってはもらえないだろうが、提督はそんな佇まいを見せる漢だった。




