11__初めての朝
今回は ちょっとだけシシィ目線の お話です。
いつもより 少し短い構成になってしまいました。
___主観:〔愛し子〕- シシィ___
夜明け前に、シシィは 眼を寤ました。
レム睡眠と ノンレム睡眠の切り換わる時、眠りが浅くなった時に 緲かな音がしたのだ。
最初は 音としても認識していなかったが、気が付くと 気になるモノだ。
不規則に聴こえる事も、その音に意識が向いた理由に數えられるだろう。
シシィは、半分 覚醒した意識の中、緲かに聴こえてくる音へ 耳を敧てた。
暫くして、衣擦れの音だと判る。
乳児であっても 単独でいる時間が長かったシシィは、音がすると 眼が寤め易い。
音がすると云う事は、他人がいると云う事なのだ。
自分に好意的な人間などいない世界で育てられた彼女は、警戒心を以て 他人を見てきた。
いつ殺されるか判らない世界、が 彼女の綜てだったせいだ。
僅か18時間で、4ヶ月の経験が消える筈もない。
故に、幼児でありながら 緲かな物音で眼が寤めたのである。
意識は 眠りの淵から浮上したが、未だ 軀は眠っていた。
膨大な魔力に物を云わせて 乳児から幼児へと成長し、更には 動き廻れるまでになったのだ。
無に近かった筋力を 強制的に強化させた様な状態だ。
疲労は 深く、眠気は強かった。
それでも、幾つかの疑問が 彼女の意識を覚醒させていた。
普段 シシィが寝かされていたのは、簡素な造りのテーブルの上だ。
周囲の壁は 大きな石が組まれたモノで、天井も床も 同等の石で造られていた。
硬質で 無機質で、寒々しいまでに 生物の気配のない部屋だった。
曾ては、食糧貯蔵庫として使っていたのか、将又 牢屋だったのか。
入口に 分厚い鉄の扉があり、反対側の壁の高い場所に 小さな窓があるだけだ。
その窓は、外から 幾重にも板で塞がれていた。
故に、無音の世界だった。
屋根や壁を打つ 雨の音も、吹き付ける風の音も、眩しい夏の陽射しも、一切 届かない世界。
空虚で 無機質で 地獄の様な世界。
それが、シシィの産まれ育った環境だった。
そんな場所にいて音が聴こえる状況は、1っしかない。
「 ………… 」
うっすらと、紅藤色の瞳が敞く。
最初に見えたのは、灰色だった。
夜明け前で 薄暗い中、至近距離から見た 枕である。
「 …………?」
寝暈けてもいたのだろう、シシィは 自分の状況が判っていなかった。
彼女が育った場所は、兎に角 堅牢で、小さな部屋だった。
其処にあるのは、シシィが載せられていた 大きくはない木製のテーブルだけ。
揺り籠などと云うモノはなく、啻 板の上に、呪布に葆まれたまま 置かれていた。
動けない訳ではなかったが、動こうものなら テーブルから隕ちていただろう。
ロキに会う前のシシィでは、致命傷になりかねない。
だから、シシィは 動く事を停めていた。
天井を向いた状態だったから、普段 見ていたのは、洌い石の天井だ。
感じていたのは 気が狂いそうな静寂と、ぐるぐる巻きの呪布でも防ぎようのない寒さと、背にしているテーブルの硬さだけ。
しかし『今は どうやら違うらしい』事に気が付いたのだ。
自分は 横臥している様だし、下になっている部分に感じるのは 硬さとは真逆のモノだ。
上になっている部分にも 柔らかさがあり、全体的に 温もりがある。
経験した事のない、煖かさと 快適さだ。
抗い難い心地良さだ。
「 ………………… 」
シシィは、暫く 枕の表面を見詰め、すう っと瞼を閇じた。
眠りに落ちかけたシシィの耳に、また 小さな音が聴こえ出した。
衣擦れを耳にして、そもそも 自分は これに起こされたのだ、とでも思い出したのか。
再び、薄く瞼が敞く。
今度は、睛が 左右の様子を俔った。
夜明け前の寝室は、暗い。
しかし、暗闇で育ったシシィの睛は 日中と変わらない視野を保っている。
見えたのは、広々とした綺麗な部屋と 細やかな装飾の美しい天井・緻いレースのカーテンに その向うの大きな窓・淡いクリーム色の壁と 木目の美しいチェストや 手の込んだ造りの豪華な椅子・そして、自分を包んでいる 柔らかな布団。
シシィは、軽く瞠目した。
驚きの余り、惟わず 呼吸を止めていた。
黴と埃と 湿気の匂いが篭っていた、あの小さな部屋ではない事に驚いたのだ。
淡い紅藤色の瞳が 忙しなく辺りを俔っている。
何度も 現状を確認にして、漸く 自分の有り得ない幸運を思い出したらしい。
シシィの睛が、何度か瞬いた。
僅かに泛かんでいた動揺が、ゆっくりと消えてゆく。
見敞かれていた瞳は、半分近く閇じている。
元の無表情に戻って、数秒後。
シシィは、音の発生源を捜し始めた。
顔を動かさずに見える視界の中に 音の発生源はないと確認して、シシィは のそりと寝返りを打つ。
ころり と反転すると、ロキが見えた。
尤も、見えたのは 銀髪の後ろ頭だけだ。
ベッドから抜け出しているらしく、シーツの平原の先に 銀髪の頭だけが見えている状態だ。
さらさらで艶やかな銀髪の頭の上半分、それだけでも ロキだと判る。
どうやら、こちらに背を向けているらしい。
「 ………… 」
動いている銀髪を シーツ越しに眺めるシシィの瞼が、半分より下がっている。
その状態で ぼんやりと眺めていると、不意に 銀髪の頭が こちらを向いた。
そして、シーツの奥から 優しい笑顔が覘く。
昨日と変わらない、雍かい微笑みだった。
「あ、起きた?」
ロキは、ベッドに攀じ登って シーツの海を四つん這いで近付いて来ると、シシィに手を伸ばした。
そうっと、ロキの手がシシィの右頬を撫でた。
小さな手が、暖かな体温が、ゆっくりと頬を撫でる……無条件で 安心してしまう温もりだった。
その優しい感覚に、シシィの紅藤色の瞳が とろりと微睡む。
睡魔に襲われているシシィを見て、ロキが 小さく笑ったのが判った。
それでも、シシィの眠気は払われない。
瞼は、どんどん下がってゆく。
「シシィは、此処で待っててね」
優しく囁く その声を遠くに聴きながら、シシィは 瞼を閇じた。
深い水の中に ゆっくりと引き込まれる様に、意識が薄くなる。
一撫で 二撫でして、ロキは傍を離れ ベッドから降りて往った。
彼が 静かに離れて往く音は、もう シシィの耳に入らなかった。
ロキの背が寝室のドアを閤る時には、シシィは、もう 深い眠りに落ちていた。
次に眼が寤めた時、ロキは まだ帰って来ていなかった。
すっかり明るくなった外光が カーテンの隙間から容赦なく注ぎ込み、瞼を閇じていても 眩しく感じる。
痛みを感じる程の眩しさに、シシィは 軀を丸くする。
もぞもぞと動いて、掛け布団の中に潜り込む。
頭から掛け布団を被りはしたが、寝直すつもりではないらしい。
暫くして、シシィは、掛け布団を被ったまま 上体を起こした。
布団を被り シーツの上に ぺたりと座ったまま、ぼんやりとしている。
睛は、まだ 閇じたままだ。
東向きの部屋である寝室に降り注ぐ 朝陽は、シシィには 刺激が強かったらしい。
布団を被った状態でありながら、圓らな瞳を しょぼしょぼとさせている。
薄く瞼が上がっても、すぐに 瞑ってしまう。
羽毛布団-越しの晃りは、曇天の それ以下だろう。
しかし、闇の中で育ったシシィにとっては、痛みさえ覚える眩しさだった。
脳まで響く様な痛みと、瞼の裏に焼き付いた チカチカに、可愛い口許を への字にしている。
薄眼を開けて閇じて を繰り返す事-数分、やっと慣れてきたのだろう。
シシィは、苦虫を噛み潰した様な顔をしながらも 睛を開けた。
糸の様に細くしか敞かず、長い睫の間から 瞳の色が判る程も敞きはしなかったが。
それでも、淡い紅藤色の瞳は、己れの手へ向けられていた。
小さな膝の上にある 小さな手を、じっと見ていた。
昨日の朝まで、呪布に葆まれていた 4ヶ月間は、自由に動く事も出来なかった。
魔物の森に捨てられる と決まった時は、生を諦めた。
短い人生だ と、嘆く気にもならなかった。
彼女は、産まれる前から 疎まれていた。
占い師を介して 神の預言が下され、産まれてくるのが『神々の〔愛し子〕』と判っていたにも関わらず、だ。
辛うじて 母親だけは慈しんでいてくれたのかもしれないが、産まれた直後に引き離され、以来 見掛けてもいない。
産まれた その日から、厄災の種として 放置され続けたのだ。
疎まれるだけなら 未だしも、罵詈雑言を浴びせられる事も 食事を抜かれる事も、当たり前だった。
それでも 暴行だけは 受けずに済んでいたが、これは『厄災の種に觝れると 詛われる』と云う くだらない妄信の お陰でしかない。
死なない程度に 世話はされていたが、傍にいてくれる存在はなく 優しい声を掛けられた事もなかった。
生後-4ヶ月の彼女に 名前がなかったのも、そのせいである。
そんなシシィが、捨てられた魔物の森で 慈しんでくれる存在と出会ったのだ。
ロキが呪布を外し 名を付けた瞬間から、シシィの運命は変わった。
軀の変化 と云う単純なモノではなく、自分の存在に意義が与えられた瞬間だった。
向けられる嬉しそうな笑顔も 掛けられる優しい声も、人生で 初めてのモノだった。
否定され続けた『存在』が、肯定された瞬間だったのだ。
愛情なんて言葉は、知らずに生きてきた。
煖かいモノなど、彼女の周りには なかった。
それでも、憶えた感覚は 離れ難いモノだった。
「 ––––––––––––……… 」
シシィの唇が、小さく動いた。
声は、出なかった。
そもそも、声を出す と云う習慣が、彼女には ないのだ。
シシィは、赤児らしく泣く事も してこなかった。
産まれる前から、彼女には 神々に与えられた叡智の片鱗があり『泣く』と云う行為に因って 自己を主張する必要はなかった。
周囲の言語は、理解出来ていた。
声帯は安定していなかったが、喋ろうと惟えば 言葉を発する事も可能だった。
しかし、彼女は 産まれながらに疎まれし存在だ。
厄災の種が喋った攸で、誰も耳を貸しはしないだろう。
撰り気味悪がられ、誰も寄り付かなくなるだけだったろう。
そう惟えばこそ、日々 押し黙り、己れの人生さえも諦観して過ごしてきたのだ。
「 ………… 」
再び、シシィの唇が動いた。
短い言葉を発する様に、緲かに震える様に、桜色の唇が動く。
同じ単語を繰り返す様に、唇が 同じ動きをしている。
それでも、声は出なかった。
「 ………… 」
シシィは、僅かに眉を寄せた。
___ 声を発する。___
この 産まれた瞬間から『出来て当たり前』の事が、彼女には 困難になっていた。
声帯は 固まった様になっており、震える事なく 空気を通すのみだ。
動く事と同じく、やってこなかった行為だけに『すぐには出来ない』らしい。
或る程度 光りに慣れてきたのだろう。
シシィは、被っていた掛け布団を 頭の上から剥ぎ取った。
軽くて ふかふかで 暖かい布団を剥ぐと、再び 周囲を見回した。
淡い紅藤色の瞳が、広い部屋を 右から左へと揺れながら動いてゆく。
何度 見ても、其処に 銀髪の幼児の姿はない。
「 ……………… 」
シシィの 小さな口が、三度 動いた。
動いただけだった。
相変わらず 喋らないままでした。
この先の展開が 3っに割れていて、どれにするか迷っています。
場合によっちゃ まだまだ喋らない、なんて事もあるかも……。
名前を呼んでもらえて 小躍りするロキ、を書く日はくるのだろうか⁈




