another: W.1-3
遠く、校門の近くで、うごめく影を見つけた。一応は隠れてるつもりなのか、周囲を警戒するそぶりをみせる人影。
「冬也ー? 先いくぞ」
「ああ。悪い、すぐいくよ」
窓から視線を戻して、早くしろよ、と言いのこして去る灰李を見送る。薄っぺらい鞄に皺だらけの制服。ズボラな級友の、いつもの背中。
終業のチャイムが鳴り響く。一足先に解散を始めたうちのクラスだが、まだ半分ほどの生徒が残っていた。
大雑把に床をはいて、机……は、まあいいか。だいたい揃ってるし。カーテンは使ってない。あとは黒板か。
ハイテンションで殴り書きされた、不揃いな『自習』の文字を消して、日付を変える。二月一日。……月の変わり目に、ふと感慨を抱いた。
「もう、そんなに経つのか」
呟きながら、一息に自分の名前を消す。空いたスペースを眺めながら、記憶を探る。
次の日直、誰だっけ。小池か? ……ああ、あってる。念のために確認した出席簿を教壇に戻して、クラスメイトの名を記した。
バランスが悪い不恰好な字が並ぶ。何度書き直したってどうせ同じだから、それで良しとする。明日、灰李が、目ざとく見つけて文句をつけてくるんだろう。
足早に自分の席へ向かう。なんだかんだ言って、きっと外で待っているに違いない幼馴染のために、手早く荷物をまとめた。
「俺帰るから。窓と電気よろしく」
「おう。お疲れ」
近くにいたクラスメイトに声をかけて、さっさと戸口へ向かう。
「九条! 数学教えてくんない?」
「あー、悪い。今は、ちょっと」
背中にかけられた声に、適当な返事をかえす。受験を意識してか、よく居残って勉強している面子だ。
……さて、どう誤魔化そうか。
教室内の人間関係というものは、それなりに煩雑で、甘く見ると痛い目にあう。理屈ってもんが通じないあたりがミソだ。
中途半端に大人な俺たちは、中途半端に譲歩する。譲れないものは一つじゃないし、それすら気まぐれに移り変わる。
対等だけど対等じゃない。みんなどこかでわかってる。子どもの世界は、無責任だ。
目立つ容姿も能力も、一歩間違えれば反感を買う諸刃の剣。馬鹿と鋏は使いよう。とっておきの武器は、いつだって危険を孕んでいる。
「ほら。俺、灰李で手一杯だから。あいつを落第させたら、夏生に殺される」
「あはは。そりゃ仕方ないな」
嘘だ。灰李は要領がいいから、一通り教えればすぐに飲みこむ。普段の小テストは目も当てられないけど、切羽詰まった試験の点数は、かなり良い。
……ごめん、灰李。
口実に使った幼馴染に、心の中で謝罪する。
「まあ、もし手が空いたら頼むわ」
「ん。考えとく」
こうして誘われるたび、お茶を濁して断ってきた。下手に了承して、繋がりが深まるのも面倒くさい。そもそも、俺には縁のない話だ。
*****
今度は呼びとめられるられることもなく、廊下へ踏みだした。差しこむ西日が、すこし眩しい。瞼を絞りながら、音にのせずに呟いた。
「はは……性格悪いなー、俺」
自覚しちゃあいるけど、随分とひねくれたもんだ。自嘲じみた苦笑を漏らす。もっと素直な人間だったなら、きっと世界は生きやすい。
でも、そういう人間は、多くのものを失うだろう。なにを差しだしてでも、大切な唯一を失いたくない俺は、きっと今のままで丁度いい。
無数の足音が溢れる廊下。あちこちの教室から、昇降口に向かう生徒たち。その中に溶けこみながら、くだらないことを考えていた。
知りあいとすれ違うたび、当たり障りのない挨拶を交わした。お疲れ。じゃあね。また明日。機械的にくりかえす、単調でつまらないルーチンワーク。
歩調に合わせて、一定に響く足音と同じ。意味のない反復音だ。貼りつけた外面ばかり繕う自分が、すこし虚しい。
こっそりため息を吐きだしかけて、――やめた。昇降口の手前で、立ちどまる。予想外の人影を見つけて、眉が上がった。
「灰李?」
「遅せーよ」
てっきり、校門にいるとばかり思っていた灰李が、下駄箱にもたれかかりながら悪態をついてきた。
「先に行くって言ったくせに」
「待ってるってわかってるなら急げよ」
「うわ、それ理不尽」
くだらない会話をしながら、自然と口角が持ちあがる。『友人』という名のついたカテゴリ分け、その中で灰李だけは、別格だ。
俺の中の最上級は、いつだって夏生一択だけれど、二番手には灰李が続く。
弟のような親友。同級生、という以前に、灰李は灰李だ。家族よりも家族に近い、かけがえのない存在なのだと思う。
乱雑に上履きを押しこんで、靴を履きかえる。そのときになって、ふと、灰李がここにいた理由に思いいたった。
「ああ。今日は夏生こないって?」
「そりゃそうだろ。テスト前にまで連れまわされちゃたまらない」
「わかんねーよ。あいつ、俺に似て成績良いから」
「自分で言うか」
灰李は、あきれ顔。だけど実際のところ、行動の予測がつかないのが夏生だ。あいつも要領が良いタイプで、真面目にコツコツってのとは無縁だし。
俺に似たって言うより、灰李に影響されたんだろう。幼い頃に染みついた習慣というものは、案外、厄介だ。
「……あ」
校庭を横切りながら、教室の窓から見えた華奢な影を思いだす。先を歩く油断しきった灰李に、それを伝えようか、迷ったけど。まあ、いいか。
そのまま、なにごともなく校門をくぐり、最初の角に差しかかったときだった。突如目の前で、真っ黒なロングヘアがふわりと揺れる。
「とう!」
「うわぁあ! ――っ夏生!?」
灰李が、奇声をあげて飛びのく。が、間にあわず、不意をついて飛びだしてきた夏生のタックルを、もろに食らっていた。
二人して倒れこみかけたところを、なんとか支える。なにやってんだか。体勢を立てなおしながら、ため息を吐いて、夏生の頭をはたく。
「なにしてんの馬鹿」
「痛! ね、ゲームセンター」
「行かない」
案の定の要求を、きっぱりと断る。珍しいものを見た、とありありと顔に貼りつけた灰李が、あんぐりと口を開けた。
……イラっとしたので、その身体を押しだして盾にした。
「おい、冬也!」
「俺は行かない。どうしても行きたいならこいつに頼んで。一人で行くなよ?」
「灰李……だめ?」
「う……」
言葉に詰まった灰李が、すがるような目を向けてくる。恨みがましい目、かもしれない。これは、かなり押されてるな。
俺のことを言えないくらい、灰李だって大概、夏生に甘い。特に、『お願い』に関しては激甘といっていいほど弱い。
要するに、はじめから結果の見えた勝負だった。
「……。一時間で帰るからな」
「やった、ありがとう!」
はしゃぐ夏生の目の前で、灰李はがっくりとうな垂れた。明日の小テストも惨敗決定だな、これは。
「いってらっしゃい。遅くなるなよ」
「……ほんとにこないのかよ」
「ちょっとね。頼まれごと思いだした」
「はいはい、みんなの冬也くんは大忙しってか」
「なんだそれ」
あまりの言われように、脱力しながら、笑う。眉を寄せて、大口を開けて、そんな風に笑うのなんて、久々だった。
灰李は、いつもストレートに不満をぶつけてくる。下手に飾ることも、誤魔化すこともせずに。それが心地よくもあって、やはり眩しい。
「笑いすぎだろ……」
ふて腐れた灰李の腕を、夏生が引いた。
「灰李! 行こう、時間なくなっちゃう」
「覚えてるか? 夏生。一時間だからな」
「えー、聞こえなーい」
「はあー?」
遠ざかる二人の背中を見送って、踵を返す。
まっすぐ家へ向かわずに、わざと、ひと気の少ない遠回りな道を選んだ。ゲームセンターとは、まるで違う方向の路地へ。
それでも、粘着質につきまとう、嫌な視線。……なるほど。俺以外は気にしていないようだったから、まあ、予想通りか。
「出てこいよ。――俺に用があるんだろう」




