another: W.1-2
無秩序な音の奔流の中を、くぐり抜けていく。過度の負担をかけられた鼓膜が痛い。安っぽい材質の床板を踏みしめても、自分の足音さえ響かない。
それもこれも、自己主張の強すぎる効果音の群れのせいだ。店内でループする、ノリの良い流行りのJ-POPもまた、それに拍車をかけている。
「わ、ごめんなさい!」
「……いや、俺も見てなかったから」
勢いよくぶつかってきた子ども――中学生くらいに見えるけど――を引きおこして、落とした景品を渡してやる。
クレーンゲームによくある、小さなぬいぐるみのキーホルダーだ。夏生にねだられて、取らされたこともあったな。いまでは、俺より夏生のがうまいけど。
もごもご、と聞きづらい礼が返ってくる。
「どういたしまして。次からは気をつけて」
一回かぶった猫は、簡単には剥がれないものだ。灰李にばれたら、たぶん「年下をやたら甘やかすのやめろよ」と怒られる。
慌ただしく立ちさっていった女の子の背中を見送りながら、苦笑する。なんだか耳が赤かったのは、見ないフリ。気のせいにしておこう。
狭い通路は、人とすれ違うのに精一杯で、歩きづらい。どこにいっても視線はつきまとうものだけど、ここは一際、強烈に突きささってくる。
――俺は、ゲームセンターという施設が嫌いだ。
騒音問題から始まり、青少年の深夜徘徊。恐喝。ナンパ。この、異世界じみた家屋が生みだす弊害は数しれない。
正直、それらを覆すほどのメリットなんて、感じられない。夏生に言わせれば、俺には娯楽施設としての価値が全く見えていないんだそうだ。
潰れてしまえ、とは思わないけど、進んで近づこうとも思わない。――本来なら。
カウンターの若い店員が、こちらに気づいてひらひらと手を振ってくる。のらりくらりとした、ある意味で日本人の鑑のような笑い方をする男だ。
「おー、兄ちゃん、来たか!」
「どうも。昨日ぶり」
「嬢ちゃんは、またいつものやってるよ」
「灰李は?」
「一緒一緒。捕まってら」
「ああ、やっぱりね。ありがと、回収していくよ」
このゲームセンターの常連である、という現実がここにある。ひとえに、二日に一回のペースで通いつめる夏生のせいだ。
人目を集めることの多い容姿の影響で、俺たちは、すっかり顔を覚えられている。灰李も含めた三人組として、定着しているらしい。
もともと夏生に関しては、『清楚』な印象とやらが先立って、こういった場所には似つかわしくないように見える。要するに場違いだから、余計に目立つ。
――あいつが清楚だなんて、印象詐欺にもほどがあるけど。
ため息をついて、再び電子音の迷宮を進む。目指すは、最近の夏生一番のお気に入り。かなりコアな推理ゲームのある一角だ。
『難易度が高すぎる』と不評なためか、はたまた独創的すぎるシステムのせいか。そのゲーム機は、一際奥まったスペースにひっそりと置かれている。
真剣な表情で画面に向きあう、日本人形に似た俺の妹。壁際の椅子では、灰李がぐったりと横になっている。当然、制服はよれて皺だらけ。
……何度見ても、シュールな光景だ。
「夏生」
ボタンを叩く手は止まらない。集中しているときの夏生は、しばしば、周りの雑音をすべて無視する、という妙技を発揮する。
「夏生。そろそろ帰るよ」
「……甘いって、冬也」
むくり、と起きあがった灰李が、顔をしかめる。
「来るのが遅い」
「志水先生に捕まると長いんだ」
「はいはい。教師のお気に入りの冬也くんはご多忙ですもんね」
「そりゃ、不真面目な誰かさんと違って、信頼集めちゃってますから」
「黙れイケメン」
「なにそれ関係あんの?」
思わず吹きだすと、これだからイケメンは、とかなんとか文句が聞こえた。全体的に意味がわからない。とても理不尽な気もする。
驚異的な集中力を発揮している夏生は、いまだに俺の存在に気づいていないようだ。もう一度、声をかけようとした俺を止めて、灰李が近づく。
「夏生、終わりだ」
「――いっ、たぁ!」
柔らかな黒髪に包まれた後頭部を、灰李の平手が無造作に襲った。かなり手加減はしてるだろうけど、べチリ、という音が、俺まで聞こえた。
衝撃で、派手に操作ミスをした夏生が、手を止めた。そのままの姿勢で、灰李を睨みあげる。
「もー、いまので失敗しちゃったじゃん。いいところだったのに」
「そりゃよかった。やっと帰れる」
「全然よくないよ。灰李の馬鹿。私のハイスコアを返せー」
「はあ? 無茶言うなって」
「ね、もう一回! もう一回だけ!」
「……冬也がいいって言ったらな」
こちらをうかがい見てくる夏生と、無言の攻防をくり広げる。一拍の後、白旗を掲げるのは、いつも通り俺の方。
「一回、だけなら」
夏生の表情が、パッと華やいだ。同時に、灰李から、物言いたげな視線がビシビシと突きささってくる。……なんだよ。
「やった、ありがとう!」
「ちょ、馬鹿。来るな来るな来るな! 抱きつくなら冬也にしろって、殺される」
飛びつこうとする夏生から、必死の形相で逃れようとする灰李。面白かったから、さりげなく背後にまわって、逃げ道を塞いでおいた。
どこからか舌打ちが飛んできて、ひきつった灰李の顔から、サッと色が引いた。
ゲームセンターのアイドルと化している夏生には、それなりのファンがついているらしい。俺がいないときに二人だと、殺意のこもった眼差しが飛んでくるんだとか。
だから嫌なんだ、と、ときおり灰李が愚痴ってくる。さすがに、俺がいるときに食ってかかってくるやつはいないから、実態はよく知らないけど。
「夏生。やるなら早くしなよ、夕食が遅くなる」
「うん!」
嬉々として液晶パネルに向きなおった夏生が、鮮やかな手つきで操作盤を叩きだす。生き生きとした後ろ姿を見ていたら、まあ、大抵のことはどうでもいいやと思えてくる。
「シスコンめ……」
心外なことをつぶやく灰李には、ひとまず軽い一発をみまっておいた。
*****
夕暮れの帰り道。三人並んで、橙色に染まったアスファルトを歩く。真ん中を陣取った夏生が、ふと声を上げた。
「今日、冬也はどうしたの?」
「担任に捕まってた」
何気なく答えると、灰李が、大げさに肩をすくめた。
「うちの学校の若い女の先生は、大抵冬也に気があるんだよ」
「そうなの?」
きょとん、と目を丸めた夏生が、俺をふり仰ぐ。
「灰李……。夏生に適当なことを吹きこむな」
「英語の幸恵ちゃんはすぐ冬也を当てるし、現社の並ちゃんなんて、資料運び冬也にしか手伝わせないだろ」
「お前らが予習してこないからだよ。第一、並木は俺以外のA組の面子を覚えてないだけだし」
さらに言うなら、並木栄美子はもう三十代半ばだ。灰李のストライクゾーンがわからない。頭痛を覚えた俺に、口を尖らせた灰李が言いつのる。
「絵里ちゃんだって、用事はだいたい冬也に頼むじゃん」
「知ってる? クラス委員なんだ、俺は」
夏生が、笑った。
「冬也、昔から人気あるもんねー」
あまりに無邪気に言うもんだから、少し、面食らう。……それは、そういう風に振舞っているからだ。味方は多いに越したことはない。印象を良くしておいて、損はない。
「そう? ――うわ!」
あいまいにお茶を濁すと、灰李から肘が飛んできた。勢いを殺せずに、軽くつんのめる。
灰李は、昔から手が早い。その影響で、夏生もすぐに手を出すようになってしまった。兄としては、不満なところだけど。
「謙遜をしろ、謙遜を」
「灰李こそ、もうちょっと社交性身につけた方がいいんじゃない?」
「大きなお世話だ」
ありのまま、飾らない自然体で過ごす灰李のことを、眩しいと思うこともあるけれど。しょせん、人は無い物ねだりでしかあり得ないから。
――と、強い視線を感じた。ぞくり、と背筋を這う冷えた感覚に、勢いよく振りかえる。
「……。いない」
なんの変哲もない、いつもの路地。俺たち以外のひと気はない。……気のせい、か? でも。煮えきらない思いを抱えて、首をひねる。
「冬也?」
「あ、いや……なんでもない」
嫌な視線だった。単に注目されるのとは違う、粘着質につきまとうもの。観察していた? 俺たちを? ――その中の、誰を。
「暗くなってきたし、急ごう」
不思議そうに目を見合わせた二人を、引きずるようにして歩きだす。……忘れよう。今は。
最悪、ストーカーの類だとしても、まずはもう少し様子を見て――もし、害があるようなら、排除すればいい話だ。




