21.
頭の片隅にメモをしておいて、マンションの一室に帰宅すると、気まぐれなみいが出迎えてくれた。二人は「ただいま」と、僕の方を向いてそれぞれ一言言った後、すぐに作業に戻ってしまった。何やら黒いシートを貼り合わせているらしい。瀬戸田が説明書をよく読んで、彼女もよく見て、実際の部品と照らし合わせている。
「朝ごはん、適当にパンを買ってきたけど」
「先食べてて。今大事な作業してるから」
「はいはい」
恵里菜が真剣な目で作業しているのを見ると、それに対して反論する気は起きなかった。もちろん、ここで先程目撃してしまったものを話すのは論外である。
自分のコーヒーを淹れる前に、イレギュラーな朝だったので、犬と猫に朝食を与えていないことを思い出す。まず犬のためのフードを用意していると、猫二匹が擦り寄ってくる。猫は気まぐれだ、人間が相手をしなくても勝手に自由きまま過ごすものだが、犬餌の音に反応するということは、彼らはお腹を空かせているが、工作に熱中している二人は、彼らが空腹かもしれない、ということが頭にないに違いない。
「にゃーお」
「みゃーっ」
「ちょっと待ってね、ランに先にやるから」
犬にドッグフードをやり、水を新鮮なものに交換する。猫たちは犬の食事の邪魔をしない、続いて僕が出した、二匹分のキャットフードとミルクの方に駆けていく。誠に賢い連中である。
それからようやく、僕はモーニングの用意をする。恵里菜はまだコーヒーは飲めないだろう、僕と瀬戸田の分のコーヒーを用意する。電子レンジで作ったお湯を、サイフォンのフラスコ部分に通してそれを温め、そのお湯をコーヒー・カップに移す。二人分と、沸騰して蒸発する分の水をそこに入れて、ライターでアルコール・ランプに火をつける。
恵里菜は紅茶が好きで、特にアップルティーやミルクティーを好むと父から聞いている。まだ十歳にもならない子供なのに、紅茶が飲めるとは、と思ったが、父は祖母がイギリス人、つまり彼自身がクォーターで、幼い頃から日本だけではなく、英国文化にも多く触れて育ったという。彼は職場でも、コーヒーよりも紅茶を自分で淹れて飲んでいる、それなら、血が繋がっていなくとも、娘が父がよく飲んでいる紅茶に興味を持つのも無理はない。
彼女のために、普段は使っていないマグカップを出して、カップ一杯分のお湯を水道から入れ、薬缶で沸かす。彼女の父から、彼女が好んで飲むフォションのティーバッグも預かっていたので、それを一つ箱から出し、沸騰したお湯を注いだマグカップに封を切って投入し、百円ショップで買ったという、ペンギンの柄のコップ用の蓋を被せる。林檎の香りが華やかだ、いい家庭に育っている娘にはぴったりなのだろう。
サイフォンのお湯も沸いたので、アルコール・ランプから一度外し、漏斗にいつも通りの分量のコーヒー粉を入れて戻す。漏斗にお湯が上がってきたのを確認して、一分間、これも元の持ち主から譲り受けた、緑の砂の砂時計で測りながら漏斗の中を竹べらで混ぜ、砂が落ちきったタイミングで、アルコール・ランプに蓋を被せる。もう一度漏斗の中を混ぜると、コーヒー液が真空状態のフラスコに落ちていく。お湯を捨てたコーヒー・カップに分け、その一つをそっと、こちらに見向きもしない瀬戸田のすぐ側に置いておく。恵里菜の紅茶もティーバッグを出し、作業をしている彼女の手が当たらない位置にそっと置いた。
ダイニングのテーブルの上は、すっかり工作道具やできあがった部品に占領されていたので、僕はたまごサンドとフィッシュサンドを持って、自分に割り当てられた部屋に向かった。ベランダ付きの洋室、安物の薄紫のカーペットの上。蒸し暑さを感じたので、起きたときから換気のために開けたままだった窓を閉め、冷房のスイッチを入れる。少し前まで晴れ間があったのに、雲が広がり始めている。今日は天気予報が当たりそうだ。




