17.
「ということは、恵里菜と猫ちゃんを預かってほしい、と」
「本当にごめん! 土日だけでいいから! あとで二日分きっちり有休出すから! 一生のお願い!!」
帰ってからの夕食では、瀬戸田も疲れていたからか、珍しく仕事の話題には一回もならなかった。そのまま、普段通りに入浴も済ませ、それぞれの個室に入って寝ようとしたのだが、明日、猫の半年に一度の健康診断の予約を入れようと思い出して、スケジュール帳にメモしていると、急にまだおやすみモードにしていなかった携帯電話がけたたましく鳴ったのだ。発信者は所長になっていた。何か急なトラブルでも発生したのかと身構えて出ると、その用件は意外なものだった。
「どうしたんですか、こんな夜遅くに」
「いや、その、ちょっと、仕事じゃないんだけど、プライベートの方で急用が入ってね、でもそこに、恵里菜とレイナを連れて行けないのよ。今からペットホテルを探すのもきついし、そこに託児所的なところも用意されてないし。それでなんだけど……」
そして冒頭に戻るのである。
「ああ、まあ、いいですけど……土曜日は雨で現場検証もできませんし、僕たちで良ければ、ですが」
「君たちを頼ってんの。うちんとこ、他の三人は皆結婚して、それぞれ子供がいるのよ。そこにさらに子供を預けるのは酷だと思ってね。ほら、恵里菜は君たちに懐いてるし、レイナもみいちゃんとランちゃんと仲良くしてるじゃない。だから……」
こんなに切羽詰まった様子の所長の声を聞くのは初めてだった。詳しい事情は聞かないでおくが、急に降って湧いたが断れない用事である、というのは察した。僕も瀬戸田も、所長に良くしてもらっている身である。彼女らの扱いにも慣れている。仕事を頂いている恩もあった。
「……分かりました」
*
翌朝、所長は午前五時に来た。しかも、いつものように車ではなく、電車とタクシーを乗り継いできたという。服装も、常日頃職場でしている、白い長袖シャツにベスト、という姿ではなく、黒いスーツに黒いネクタイだった。
「じゃ、悪いけど、月曜の朝までよろしくね。また、いつものように迎えに来るから」
「分かりました」
「気をつけて行ってらっしゃい!」
彼はアパートの下で待ってくれていたタクシーに足早に乗り込み、駅の方向へと消えた。彼はなるべく明るく振る舞っていたが、服装からして、何があったかは察した。誰か身近な人が亡くなったのだろう。それも、恵里菜は知らないような人物が。
しかし、急に恵里菜らがやってきたが、どうすればいいか分からない。土曜日は仕事があれば、各自出勤する、というスタイルだが、外は天気予報通り大雨、警察から「やはり今日は現場検証は難しそうなので、月曜にしましょう」というメールもあったばかりだ。
そう考えていると、瀬戸田は恵里菜に声を掛けていた。
「恵里菜、何かやりたいことはある? 今日はこんな雨だから、家の中でできることがいいかなって思うけど」
「うーん……えと、おうちの中、色々見て回っていい?」
「どうぞー。気になるものがあったら、ここまで持ってきていいよ」
恵里菜はあまり荷物を持っていなかった。彼女の愛用の紺色のリュックの中には、勉強道具は入っておらず、着替えと日用品だけだった。父曰く、放って置くといつも座学ばかりしているので、たまには五感を使って体験するようなことを、意識的にさせる必要がある、と言っていた。
手を洗い、うがいもさせた彼女は、狭い室内をキョロキョロと見回す。すべての部屋を一通り回ったあとで、彼女は一つの黒い箱を持ってきた。
「これ、やりたい!」
僕たちの前で高々と掲げたそれは、プラネタリウムを自作しよう、という、大人向けの工作キットだった。僕の持ち物ではなかったが、持っていたらしい瀬戸田は、よく見つけてきたね、と彼女の頭を撫でた。
「いいの?」
「いいよ、やろう! おれもやろうやろうって、ずっと思ってたんだけど、なかなかやる気が起きなくてさあ」
僕には、大人向けのそれでありながらも、彼女なら少し大人の手を借りたぐらいで、ほぼ自力で組み立てることができるだろうという確信があった。
それもそのはず、彼女は以前、事務所の実験用の部屋で、図工の課題の「木を使った工作」に取り組んだのだが、材料を適当に集め、のこぎりや金槌、接着剤などの使い方を父が一通り教えたところ、あとは勝手に制作し、大きなカバを作って、見に来た担任が度肝を抜かれていたという。そのカバは今もそこに置いてあり、先日の小爆発で飛び散った粉がそれにも付いていたが、彼女自ら、濡れたティッシュでその粉を取って綺麗にしたという。




