第二章 6話 静かな病室と、消えた気配
それから、しばらく時間が経った――
安祐美は、やはり体調がおかしいらしい。
エリカは、当然のように騒いだ。
「絶対、あのバカセルが変な物食べさせたせいでしょ!」
だが――
「う〜ん……違うと思うんだけどな……」
安祐美は、あっさり否定した。
「なんか……ちょっと頭がぼーっとするんだよね?」
軽く笑う。
だが、その笑顔はどこか力が抜けていた。
「今日は、早めに帰る事にするよ……」
そう言って、病室をあとにした。
その後――
バルサも立ち上がる。
「では、私もそろそろ業務に戻るとしましょう」
「……あんた、ちゃんと仕事してたのね」
エリカが半目で言う。
「失礼ですね……」
バルサは、わずかに笑った。
「コーヒー豆ならば、何でもいいという訳ではありませんから」
「私の好みは、天界産の〝ロストマウンテンブレンド〝に限ります」
「……なにそれ?」
エリカには、まったく意味がわからない。
「ええええっ!?」
セルが絶叫した。
「そんな高級品を求めるのか!?」
「しかも、一年分だぞ!?」
「当然でしょう」
バルサは、平然と答える。
「品質の維持には、それ相応の備えが必要です」
「いやいやいや!我の財布が死ぬのじゃ!」
「期待していますよ」
軽くそう言い残し――
バルサは部屋を出ていった。
「むうううう……」
セルは、しばらくその場で悩み――
「……行ってくるのじゃ!」
覚悟を決めたように叫ぶと、姿を消した。
おそらく、天界へ向かったのだろう。
――こうして。
久しぶりに、病室は静かになった。
「……やっと、静かになった……」
エリカは、大きく背伸びをした。
体が、きしむように重い。
起きているだけで、体力が削られていく。
それが、今の自分の状態だった。
だからこそ――
人よりも、ずっと長い休息が必要になる。
「……少し、寝ようかな……」
ぽつりと呟く。
ベッドに体を預ける。
ようやく訪れた、静かな時間。
そのまま目を閉じようとした、その時――
『……変だな』
低い声が、静かに響いた。
「えっ……?」
エリカが目を開ける。
「何が変なの?」
『安祐美が、まだ病院内にいる』
「え……?」
予想外の言葉だった。
「でも、帰るって言ってたよ?」
『ああ……そう聞いている』
『だが、気配は消えていない』
セレグの声は、いつになく慎重だった。
エリカは、ゆっくりと体を起こす。
「……やり忘れた仕事でもあったんじゃないの?」
『……それにしては、おかしい』
わずかな間。
『位置が、はっきりしない』
「はっきりしない……?」
『ああ……』
少しだけ、間が空く。
『だが――』
声のトーンが、変わった。
『彼女の研究室ではない』
「……え?」
エリカの顔が強張る。
『しかも――』
わずかに、ためらうように。
『地下の、どこかだ』
その言葉が落ちた瞬間。
病室の空気が、わずかに冷えた気がした。
「……地下って……」
エリカの声が、かすれる。
この病院の地下。
そこが、どういう場所か――
詳しく知らない。
だが。
「……なんか、嫌な感じがする……」
直感だった。
説明はできない。
けれど――
明らかに、普通じゃない。
『ああ……』
セレグも、静かに同意する。
『これは……良くない流れだ』
短い沈黙。
そして――
エリカは、ゆっくりと立ち上がった。
「……ちょっと、行ってみる」
『やめておけ』
即座に返る。
「でも――」
『まだ、何も分かっていない』
『不用意に動くな』
エリカは、言葉を止めた。
確かに、その通りだ。
だが――
胸の奥が、ざわつく。
「……安祐美さん……」
その名前を、小さく呟いた。
静かな病室。
さっきまでの騒がしさが、嘘のようだった。
だが――
その静けさの奥で。
何かが、確実に動き始めていた。




