第5四半期「涙をぬぐう女」
せまい船内、とさっきおもったがそれは外界とくらべての話で、船としてはじゅうぶん大きくて、しかも乗客は問題解決能力にすぐれた選りぬきの就活生たちであることが前提なのだから、お節介な案内表示などはなく、トイレも自力で探しださないといけない。
しいんとしている。
みんなドップリにはいっているのだ。リョウはわざとでかい足音を立ててみたくなったが、やめておいた。ゲームコーナーを通りすぎながら、最悪ここで時間をつぶそうとおもったが、そんなにおカネをもっているわけでもない。
放尿がすみ、いっきにおそろしさが強まった。
――もしも、アプリの不具合だとしたら……。社員さんに伝える? いや、社員さんもドップリに入ってる?
ほかに、おれとおなじようなひとはいないだろうか?
リョウは階段をおりていった。
雑魚寝といったってそこはマナーを重んじる就活生たちなので、十人かける十列くらいでみんな整然と寝そべって画面をみている、そのあいだをリョウはそろそろと歩いていく。
みんな涙が垂れている。
だれかくる。
リョウはとっさにみんなの一員に紛れこんだ。ちょっと列からはみ出しているがしかたがない。あわてて端末をとりだして、いそいで「AKUBI」を起動した。
ゆったりとした足音がちかづいてくる。一歩すすんで立ちどまり、一歩すすんで立ちどまりながらこっちにくる。リョウがきたのと反対側の通路のほうからくる。
顔をあげたい。正体をたしかめたい。でもそうしたら擬態がバレる。バレてもいい、むしろバレたほうがいい気もするのだが、ぞわぞわとなにか不穏な感じもする。
やがて目のはしに長いまっしろなドレスのすそのようなものがみえた。ようやくそのひとが横をすぎてからふりかえると、髪もまっしろで長い、女のひとらしかった。
――社員さん?
しかしZAKURO社のひとたちはみんなおそろいの、ロゴ入りのネイビーの模造不可能なスーツの着用が義務づけられている。
ふいにそのひとがひざまずいた。そして就活生のひとりの頬に手をのばし、指先で、やさしく涙をぬぐった。
リョウは警戒もわすれてそのさまを見ていた。おなじことが、何人ぶんでもくりかえされていく。
――まずい!
と気がついた。どういうことだかわからないが、おれのところにもくるかもしれない。
おれだけ泣いていないのはへんだ。
リョウは過去のかなしい記憶とか、玉ねぎをきざんだときのことだとかを必死でよみがえらそうとした。
逆に笑えてくる。
足音はひたひたとちかづいてくる。何人もの涙がぬぐわれていく。
完全に気配の消えたのをたしかめてから、リョウは走って部屋をでた。
――なんだったんだろう?
入りくんだ通路を走り、自室のドアを開けると、そこは自室ではなく、
「わっ」
と声がでた。
目の前に一脚、パイプ椅子があってそこにさっきの女のひととよく似た、とてもよく似た、しかしあきらかにあのひとよりはずいぶん幼い白髪の、白いリクルートスーツの少女が腰かけていたからだった。
リョウは見とれた。その姿勢のよさに。こんなきれいにのばされた背筋はみたことがない。骨盤が立っていて、あごも軽く引いていて、微動だにしない。
けれどもすこし表情がかたい――とおもっていたら、その少女が口をひらいた。
――そして気がついたらリョウはもとの部屋にいて、船は着陸態勢にはいったところで、ジョオが顔をあげ、涙のあとはすっかり乾いていた。
ホテルへ向かうバスのなかでも、リョウはそのできごとがずっと忘れられなかった。
――夢だったのかな。
ドップリのなかでドップリできない夢をみていただけかもしれない。ありそうなことだ。
ジョオとなにか話したい。なんでもいいから話したいのだが、ジョオはパンフレットばかりみている。
「酔うよ」
リョウがいうと、
「おう」
とジョオはいった。そしてまた一ページめくる。
ホテルはすごい。ジョオいわく「オーソドックスなビジネスホテル」だが、リョウには宮廷だ。
さっきまでのもやもやも一気にふっとんだ。
エンペラーサイズのベッド。不快指数上下機能つきのエアコン。機嫌をそこねない薄型テレビ。
「ジョオ!」
リョウはバスルームからさけんだ。
「ジェットバスもある!」
するといきなり、
「うるせえな!」
怒鳴り声がとんできておどろいてリョウがもどるとジョオは机でパンフレットに書きこみをしていた。
「ジョオ、さっきから、なにやってるの……?」
「はあ!?」
ジョオはドラマにでてくる金星人みたいにおおげさに肩をすくめた。
「それはこっちのせりふだよ!」
といったって、リョウはべつになんにもしていない。
「なんにもしていないことが問題なんだよ! お前、わかってるのか? たった十日間。それしかないんだぜ、おれたちに与えられたオポチュニティは」
「オポチュ……」
「お前、なにしにここにきたんだよ?」
いわれてリョウは思いだした。レイカさんに連絡しなければ。どんなやりかたでZAKURO社の評判をおとそうか――。
「ちがうだろ! 内定獲って、就職するんだよ! そんで年収一千……いや、二千万! タワマン住んで、フェラーリ乗って、焼肉行って、たまにスシ食って――」
「そんなこと、いってたっけ……?」
「成りあがるんだよ! のしあがるんだよ、宇宙のてっぺんに! おれらこのままじゃ、くずだぜ。くず中のくずなんだぜ」
そういってジョオはまた作業にもどった。ちょっとだけのぞきこんでみると何日目にここへ行く、あそこをめぐるということがびっしりきめてある。
「明日の夜、懇親会」
ジョオは手を休めずに顔もあげずにいった。
「すぐそこの、ジュピタリアンレストランで。お前も行くだろ?」




