第30四半期「ヒョウガ来襲」
たしかに目をみて挨拶したはずだ。しかしリョウはその男になることはない。
なにもわからない。どんな記憶もなだれこんでこない。
男はダイクと名乗り、ニーサを、リョウであるニーサを、ZAKURO社の本社ビルまでつれていった。
廊下は無限にながい。そして暗い。前をいくダイクの背中だけがほんのりとみえる。
まるで宇宙空間を徒歩で横断していくみたいだ。縦断かもしれないが。
「きみは、ニーサじゃないね。きみは、だれなんだ?」
そんなこといわれたってもうわからない。
就活生だし会社員だし自営業者だし医師だし美容師だし居酒屋店員だし、学者だし弁護士だし政治家だしインフルエンサーだし小説家だし――。
「存在。それは、なんなのだろうね。ひとりひとりが宇宙であるというんだが、教えてくれないか? おれの宇宙はどこにあるんだい?」
わかるはずもない。
「きみに話したいことがあったんだ。きみといっても、ニーサのことだがね。ニーサ。おれはこの負債をイデコ様に完済できたらね。そうしたらようやくおれ自身の宇宙がひらけるはずなんだ。そのときにはきみの力が必要だ。もうすこし、聴いてくれるかい? ついてきてくれるかい?」
ついていくほかない。しかし、なぜ? なんのために?
「おれは就活を根本的に変えてしまいたいんだよ。
存在承認としての内定。
このプロジェクトはすごいんだよ、ニーサ。
いまの就活における内定、それは、いわば背広に宇宙を押しこめるようなものなのさ。笑えるだろう?
ある有名な本に、こんな話がある。
あるところにふたりのビジネスパーソンがいた。
かれらのもとを、渾沌という名の若ものがおとずれた。
OB訪問だ。
この若ものには目も耳も口も鼻もない。
それでは就活に不便だろうといって、ふたりは渾沌に七つの穴をあけてやった。
すると渾沌は死んでしまった――まさにこのビジネスパーソンのやってしまったようなことばかりが、この宇宙では称揚されているんだからね」
おれの考えはちがう。内定、それは存在のすべてを承認することであるべきなんだ。
そのひとがどんなにすぐれていようとまた役立たずであろうと、そんなことは関係ない。
おれはそのひとの宇宙をまるごと認めるぜ。
負債のなくなったおれならそれができるようになっているはずなんだ。
宇宙とは不気味であり、不穏であり、危うくおそろしく、ときに不可解でときに魅惑的でときにちっぽけで、いつ滅んでも生まれかわってもおかしくないようなものだろう。
お前はそれであれ。
お前は遠慮なくそれであれ。
相手の目をみてこころからそう宣言できるとき、ほんものの内定が授与される。
そこで就活は茶番でなくなる。
なぜならおれもまた、ひとつの宇宙であるはずだからさ。
宇宙であろうとするかぎり、ひとはなにかを賭さずにはいられないものだろう。
おれもはやく、「賭す」ということをしてみたい!
ふたつの宇宙同士の誠実な遭遇。あるいは衝突。あるいは融けあい。そんな就活がしてみたい。もちろんおれはもう二度と、おそらく、志願する側には立てないだろうがね。
ニーサ。きみはひとびとを宇宙へと向けかえる。なんてすばらしい仕事なんだろう。なんとおそろしい力なんだろう。
それであるひとは窒息し、あるひとはブラックホールに吸いよせられていくかもしれないが、それもまた、漫然と重力に安らいでいるよりはずっとりっぱないとなみなのだ。
もはやビッグバーンにも神秘をかんじなくなったわれわれは、ほんものの内定を授与されることでしか、ほんとうに解放されることはない。
ニーサ。きみが解き放つんだ。たくさんのひとを破滅させ、たくさんのひとを救うんだ。
警報がなった。
廊下はかたちを変え、目の前に作戦指令室があらわれる。
上空に、巨大戦艦フリーダム・フリーター号が出現した。
落下傘部隊がおりてくる。総勢三千名。四十五度のお辞儀のまま、主要企業のビルの屋上に着地する。
窓を蹴やぶって入室する。
ふつうに正面玄関からはいっていく――全員白銀のスーツを着用している。
任務遂行。
名刺を喉もとに突きつけられ、出した粗茶を顔面に噴射され、ノックでドアを破壊され、お辞儀で頭蓋をくだかれて、各企業、なすすべもなく内定を出していく。
「――IT。制圧完了」
「出版。制圧完了」
「飲食。制圧完了」
「コンサル。制圧完了」
「教育。制圧完了」
つぎつぎと報告がなされる。イシュテアは、
「――ご苦労」
といって、ジャケットを着用した。もちろんボタンは二つとも留める。
「イシュテア様、どちらへ……?」
部下の質問に、こうかえした。
「――仕事だ」
マルノウチ・シティはほぼ陥落。のこるZAKURO社に、勢力は結集した。
このビルはよく蜃気楼になぞらえられる。目前にあっても、徒歩五時間ほどかかることもある。
「かえって好都合だ!」
ひとりが気焔をはいた。
「そのあいだにジェイド様は冥王星へ到達してくださるだろう! そうしたらわれわれは唯一無二のアピールポイントを手にいれることになる!」
オオ! と一同。 ヒョウガ、万歳!
ばかなやつらだよ。
ダイクがいう。
「ほんとうにばかなやつらだよ。ああいうばかどもに、おれはたまらない嫉妬をかんじさせられる」
第一隊、エントランスに到達。
受付電話はイバラにまみれている。
率先して飛びこんでいったのはイワン、海王星出身だ。
イワンにとっての宇宙の真理、それは、「なんにもない」。
なんにもないのだ。宇宙も、世界も、じぶん自身も。
親もいる。兄弟もいる。友だちもいる。恋人も、いたことはある。
家もあった。ペットもいた。車もあった。けれどもなんにもない。
わかってくれたのはジェイドだけだった。
受話器をとる。トゲがささる。
なんにもない。痛みもない。
「わたくしーッ!」
恐怖もない。
「ヒョウガのオーーッ! イワンと、申し、まあーーーーすッ!!!!!!!!」
直後、応答がわりの弾丸がイワンの脳みそをぶちぬく。
なんにもない。なんにもない。
それはやっぱり、ほんとうだったのだ――。




