第29四半期「再会」
ジョオは走りながら、ジャケットも脱ぎすてながら、つららのネクタイをもぎながら、白い息を吐きながら、氷の階段を駆けおりながら、つまずきながら、みんなのいないほうへ、とにかく逃げながら、笑いながら、なぜだか笑いながら、脱出艇に飛びのった。
永遠に大便をしつづける男などいない。永遠に待ちつづける部隊長もいないだろう。
船はそのうち発つ。冥王星行きのも、地球行きのも。
ふいにこんな考えがうかんだ。
――しかし、永遠に延期されつづける作戦というものは、きっと必要なときもあるのだろう。
それ以上ふかく考えてみることもしないまま、ジョオはレバーを引き、快哉をさけびながら、ヒョウガの重力圏外へと発っていった。
地球に降りたリョウは、そっと「AKUBI」を閉じた。そしてだれにともなく頭を下げた。
家にもどると、ジョオはおらず、ゴキブリがいて、反重力ちゃぶだいが、しょうゆだけをのせ、ふよふよと定位置に浮かびつづけていた。
棚の引き出しの底らへんに、カイトの名刺はあるはずだ。
あった。
電話番号ものっている。かけてみると、つながった。
「もしもし……」
声をだしてみて、仰天する。
この部屋に、鏡はない。あわてて窓まで走っていく。
割れているので全身はうつらない。しかしこの長い髪をみればじゅうぶんだ。
おれは、ニーサになっている!
――もしもし?
カイトの声がする。十年ぶりくらいだろうか。しかしリョウはもう少女の声になっており、説明してみてもたぶんすぐには信じてもらえないだろう。
その心配はいらなかった。
いまのカイトには相手がだれでも関係ないのだ。
――もしもし? もしもし? まだ、つながってますか? どなたでもいいんです。話しましょう。
「カイト……?」
――なんでもいいんです。そうだ。「ビッグ・ヴァレー」の活躍をみましたか? 大むかし、地球に実在した伝説的野球選手のDNAをもとに弊社の開発したベースボールアンドロイドなんですよ。二刀流で、打率、九割ですからね。そのうち十割になるでしょう。あ、弊社っていうのはZAKURO社で、ぼく、いちおうZAKURO社の社員なんですよ。
年収は、まあもらってるほうだとおもいますけど、なにしろ仕事がいそがしくてね。仕事っていっても、
最近はろくにやってないんですが。まあ仕事かな。これがいちおう、仕事かな。うん。
やっぱりねえ、ぼくまあじぶんでいっちゃいますけどけっこうスペック高くて、まあ客観的にみても納得してもらえるとおもうんですけど、低収入の無能どもが、ろくに納税の義務も果たしてないくせに、――あ、もちろん税務署も、っていうか国税庁ごと弊社が子会社化しちゃったわけなんですけど、やっぱり嫉妬にまみれた底辺ブタどもがネットで弊社のアンチコメなんかほざいてるのみるとむかつきますよ。
いま? いま、じつはちょっとおもしろいところにいるんです。ぜひ来てくださいよ。さみしくて気がくるいそうだったんだ。来てください、来てください。独りじゃないんだが、独りみたいなものなんです。
そこは職業安定所だった。
どうみても、ニーサはまだ就業年齢にたっしていない。スーパーに行ったら、みりんや料理酒くらいは買えるだろうがビールやチューハイは年確でアウトだろう。
しかしカイトにいわれたとおりのことを窓口で告げると、いわれたとおり、奥にとおされて、いわれたとおり、エレベーターでくだっていくと、そこは存在賭博場だった。
たくさんのひとがいる。みんな奇妙な硬貨みたいなものを妙に誇らしげにじゃらつかせながら、カードゲームやパチンコや、ルーレットやダイス振りに熱中している。
涙がおちると硬貨になる!
リョウはあの船で目のあたりにしたあの光景、あのニーサによく似た女のひと、あの涙をぬぐわれていた就活生たちをおもいだした。しかしそれはもう記憶というよりはまた聞きの旅行のみやげ話のようによそよそしい、おぼろなイメージだ。
「やあ、はじめまして」
さっき「みんな」とひとくくりにとらえた賭博者のひとりが立ちあがり、手を差しだしてきて、それがカイトだった。
リョウは、ニーサは、ちいさな手をだして、カイトはほほ笑んで、奥へニーサをつれていくと、スロットマシンが三機あり、一機は空席、一機にカイトが「よいしょ」と向かい、そしてもう一機、リョウはおどろいた、レイカさんがプレイ中だった。
リールは回転しつづける。絵柄はなにもない。ぜんぶまっさらだ。レイカはその白いリールになにかみえるのか、にやけたり、真顔になったり、目をうるませたりしながら、いつまでもいつまでも三つのボタンを押しつづける。
空白が三つ、そろいつづける。
「『存在スロットマシン』です。――さっきぼくは、独りみたいなものだといったでしょう」
カイトはいった。レイカの背中を指さして、
「このズベ公、じぶんのことにしか興味がないんだ。いいや、じぶんのことですらどうだっていいのかな。ぼくはちがいますよ。ぼくはけっこう感受性ゆたかなほうなんです。なにしろ――」
「うるさいわね!」
レイカは金切り声をあげ、スロットマシンを殴りつけ、カイトにつばを飛ばす。
「負けちゃったじゃないの!」
「スロットにまわりの環境は関係ないでしょう」
いやみったらしくカイトはいいかえす。
カイトはこんなひとじゃないはずだ、とリョウはおもった。だが、それじゃあどんなひとかときかれると、それは、こたえられるのか?
「ツキがわるくなんのよ! まわりでごちゃごちゃいわれると! ああもう、――むしゃくしゃする!」
筐体をじたばた蹴る、蹴る、蹴る。
そんなレイカをカイトはあざけわらい、
「こんなふうに、IQが二十ちがうと会話がストレスフルなものになるんです。MENSAって知ってます? 高知能者集団。ご存知ない? ぼく、そこの会員なんですよ。会員証、みせましょうか?」
と、尻ポケットに手をのばした。
そしてかたまった。
ちかづいて来つつあるだれかにむかって、うつくしい九十度のお辞儀をする。
ニーサは後ろをふりむいた。
こういわれた。
「やあ。お帰り。――いや。はじめまして、かな」




