第26四半期「タタガッタ先生の話」
アルはさっきのタタガッタ先生のお話についてリョウに講義することになった。いくら頭脳は現役でも、前歯なしでは発音も明瞭でなく、先生はけっこう訛りもきつい。
「先生は、こうおっしゃいました」
研究室のホワイトボードに図をかきながら、アルは話しはじめた。
これはケージ。これはそのなかにある回し車です。
われわれの遠いご先祖さまたちは、宇宙はこのようなつくりをしていると信じていたのです。
ハムスターが走り、この車がまわるように、空がまわる、太陽がまわる、月がまわる、星がまわる――。
ケージの外側にはおそらく、「飼いぬし」のごとき何者かがいる。けれどもわれわれはけっしてそこまで到達することはできないだろう。
これが古代チェダー人たちの宇宙観でした。
いいえ古代人だけでなく、われわれチェダーのものどもはこんなふうになにごとにつけ、たとえばひとりひとりの「こころ」とよばれるものについても、ケージのなかの回し車、すなわち、あるかぎられた領域のなかのたえまない変転としておもいえがく習慣といいますか、まあ文化的な癖のようなものがそなわっているのです……。
どういうことか。
たとえばここに一匹のハムスターがいる。
かりにハム太郎とすると、そのハム太郎はハム太郎なりのまあ人格の檻をもっている。
この檻にとらわれたハムスターは、回し車の回る範囲であるていど、自由に運動することもできる。
ハム太郎にはハム太郎なりのさまざまな精神のうつろいがゆるされているということだ。
けれども檻の外へはでられない。
ましてリボンちゃんだとか、タイショウくんの檻へ入りこんだり、かれらをじぶんの檻に招きいれたりすることはできない。
そういうことができるとしたら、どうなるか。
もともとリョウの檻のなかにいたハムスターは、どこへ追いやられてしまうのか。
招かれた側のハムスターのもともとの飼いぬしらは、空っぽのケージを抱えこみ、どういう気分になるのだろうか――。
「――どうなっちゃうんだろう?」
アルは力なくかぶりを振った。
しかし目をみて挨拶をすることがそういうことになるきっかけだというのなら、それは避けておくのが賢明だ。アルのいうことはもっともだった。
けれどもそんなにうまくいくだろうか。
おはよう、を無言でながしたり、こんにちは、を黙殺したり、どういたしまして、なしにありがとう、をやりすごすのはリョウには度胸のいることで、けっきょくその日が終わるころにはリョウはジョーイでありスティーブでありメルローでありワッツであり、ハニーでありリンカでありその他おおぜいのチェダー星人になっていた。
するとジョーイはもぞもぞするのである。スティーブはそわそわするのである。メルローもワッツもハニーもリンカも、その他おおぜいのチェダー星人らも、急にスーツなど着こんで、急進的な就活賛成派の仲間にくわわって、シュプレヒコールなどあげながらゲッシ大通りをザッザと行進しはじめるものだから、アルは驚愕した。
「みんな労働とは無縁なのらくらものたちだったんです。もちろんほめことばですよ。それなのに――」
リョウは落ちこんだ。
そこへプリニーがお茶をもってきた。
「まあ、――まだあなたのせいだと決まったわけじゃ、ございませんわ! わたくしいまだに信じられませんもの。存在がどうとやら、口座がどうとやら。とってもふしぎなお話ですわ!」
リョウはお茶をもらい、おもわず目をみて、
「ありがとう」
といってしまった。
アルがお茶を噴いた。
プリニーはぞわぞわしはじめた。
キッチンに料理用のチェダーワインがある。
プリニーはそれをはじめちびちびと、つぎにはごくごくと、しまいにがぶがぶとやりはじめ、駆けつけたアルにちいさな胃のなかみをみんなぶっかけて、子どものころの仕打ちについてねちねち非難しはじめた。
アルは逃げだす。
逃げる父親を、プリニーは、ナイフとフォーク手に追っかける。
止めようとしたリョウは、この地球猿、お前らがゴム人間だということは知っている、このレプリカントめ、人口削減計画で七月五日に人工地震を起こすつもりだろう、というような趣旨の罵言をあびせられた。
まるい食卓の周囲を何週かめぐったあと、プリニーは、ふいに飽きたように銀器を投げだして、そこの戸棚から海王星みやげのハーモニカを取りだし、じぶんは旅人になる、この家も今日で見おさめだ、探してくれるな、アデューといいのこし出ていこうとしたのでアルは必死にすがりつきながら、
「リョウさん! 恨みますよ!」
「そんなこといわれても!」
リョウもけんめいにプリニーを部屋に押しもどそうとする。
「ほっといてくださいな!」
絶叫するプリニー。
「わたくし、こんなところにおさまる器じゃないんです! 歌手になって、俳優になって、アイドルになって、詩人になって、社長になって、弁護士になって、医者になって、大統領にも、なるんですわ!」
「チェダー星は、大統領制では、ありません――」
「わたくしが、革命の、女神になるんですの!」
さすがに人間の腕力にはかなわずプリニーは押されてひっくりかえり、はずみでアルも尻もちをついた。
気絶した娘をベッドに運んでから、アルは、疲れきったようにこういった。
「これはなかなか深刻な問題であるようですね」
こくり、とリョウ。
「あなたを責めるつもりはありません――さっき恨みます、といってしまったことについては謝罪します――しかし責任はとってほしい」
リョウは恨みがましげに、となりのニーサをみた。
「なるほど、そこにその、ニーサさん、とやらがね……」
アルは、だれもすわっていないスツールを見つめながら、うめくようにつぶやいた。
「まるで理解を超えている。それなりにいろいろなことを勉強してきたつもりですが、けっきょく、なにもわからないまま死んでいくんだろうな。それで、リョウさん。あなたはそのニーサさん、という少女と、いったいどちらでお知り合いになったんです?」
あっ。どうしてそのことをふかく考えてみなかったのだろう。
考える間もなかったのだ。なにしろリョウでない時間があまりに多すぎたのだから。
「ZAKURO社の宇宙船ね。――それなら、順当に考えればZAKURO社がなにか手がかりをにぎっているはずですね。あの会社はまあ、どんなことでもにぎっているのでしょうが」
だとしたら地球に行かなければならない。アルはほんとうならリョウを送っていくつもりだったのだが、プリニーがこうなってしまった以上、目をはなすのはあまりにも危険だし、つれていくのはもっと危険だろう。
「地球へは直行便はありません。ドーハ星、ドバイ星、もしくはインチョン星あたりでトランジットするのが一般的です。いっしょに行けないのは残念ですが……。わたしもいろいろと調べてみますし、タタガッタ先生にもまたお話をうかがってみます」
そして、なにかわかったことがあればすぐ連絡します、とアルは約束してくれた。
うん、とリョウ。そして目をみて、ありがとう。
「あ」
ふたり同時につぶやいた。




