第25四半期「チェダー星にて」
リョウは地球に到着した。
目指すはZAKURO社だ。
なぜか? それはこんなわけだった。
チェダー星へ行くまでのあいだ、リョウはアルとじつにいろいろな話をした。
なにしろ「AKUBI」が使えない。そもそもケータイがないし、あったとしてもビッグ・メッセへの船ではうまくドップリできなかった。
「AKUBI」によらない惑星間飛行はほんらい禁止されている。
が、アルの母星であるチェダー星には資本主義的なものがまだじゅうぶんに浸透していない、したがってZAKURO社の影響もおよんでいない。だからナントカ協定にも加入しておらず、「AKUBI」を使うのは勝手だが、使わないのもまた自由である。
ふたりはさまざまなことを語りあった。アルは人類学者なので、いろいろなめずらしい星の話を知っていた。
「セイイキ星というのがあるんですよ。わたしはそこへフィールドワークに行っていました。どこもかしこも聖域なんです。住民は、リョウさんみたいな人間の耳のほかに、ちょうどわたしのこの耳のような、けものの耳をもっていましてね。その耳で、こころの声を聴くんですよ」
リョウはどきっとした。
「それでおもしろいのは、街なかに牛やら象やら、ふつうに歩いているんですけどね。どうしてなのかときいてみたところ、――こういう知恵があるんだそうです。この星の民は、みんなこころの声が聴こえてしまう。すぐれたひらめきの降りてきたときも、邪悪な思惑にとりつかれたときも、ぜんぶつつぬけになってしまう。そうすると、聴こえてきた声のぬしをむやみと崇め奉ったり、集団でボコボコにしたくなったりしてしまう。いちいちそんなことをしていたらきりがなく、共同体も成立しないので、みんなでこういう取りきめをした。よい考えは牛のもの、悪い考えは象のもの、ということにしておこうじゃないかと」
「なるほど……? でも、じっさいはみんな知ってるんだよね。牛や象には、よい考えも悪い考えもうかんだりしないってことを。ほんとうは、聴こえてきたその声が、だれのものだか知ってるんだよね」
「もちろんです。でも、そう信じることにきめたんですね。それが叡智であるわけです」
こんなふうにリョウはアルからいろいろなことを学んだ。
いっぽうアルのほうは、なんだか少々この青年が、失礼ながら、気味わるくかんじられてしまうこともあった。
うまくいえない。
リョウが、なんだかリョウでないような――いやちがう。リョウが、妙な言いかただが、どうもリョウだけでないような気がすることが多々あったのだ。
それはなんでもない、ほんとうになんでもないあいづちの際などにかんじられたことだった。
「うん」といっているリョウが若い女の子にみえたり、「はは」と笑っているリョウが死にかけの老人にみえたりしたのだ。
もちろんそれはアルの思い過ごしなどではない。
チェダー星についたふたりは地球行きの準備がととのうまでのあいだ、かるく観光することになった。
「――あちらが、ゴーダ・ロックでございますわ!」
案内役を買ってでたのはアルのひとり娘・プリニーだ。
リョウはコインをいれ、高台で双眼鏡をのぞきこんだ。あの山はでかいチーズのかたまりで、青々としているのは森でなくぜんぶカビなのだという。
ものすごい臭気だ。
「そうかしら?」
プリニーは、旗を振り振り先導しながら、首をかしげる。
「わたくしいちど地球へ旅行にいったことがございますけれどもね! そのときおとずれたハコネ・シティのオオワクダニ・バレーなんかのほうが、もっとすんごい臭いがしましたわ」
硫黄はチェダー星にありませんからね、とアル。
三人はそれからドブ川クルーズ、シン・ディズニーランド、旧カマンベール邸などをめぐり、アルが、
「せっかくなので私の勤め先でも」
というので、そこはプリニーの進学先でもあるのだが、チェダー大学へ行き、ラクレット講堂をみてモッツァレラ像の前で写真をとり、いろいろあって、アルの恩師であるタタガッタ先生に挨拶をしていくことになった。
挨拶!
タタガッタはもう百歳をこえていて、自慢の前歯もぬけてしまって、ひまわりの種も食べられない、回し車もろくにまわせないよぼよぼのジャンガリアンハムスターだが頭はけっこうしっかりしていて、リョウは目をみて、
「はじめまして」
と挨拶したとたん、ニーサの声がして、この老教授の存在資産がいっきにリョウに投じられたのだった。
母が死んだ。父が死んだ。労働の美徳をたたえるドブネズミたちが権力の座について、チェダー星はいっとき冷酷な金持ちどもに掌握されかけた。
反・就活! 反・就活!
タタガッタも抵抗運動に参加した。友が死んだ。教え子たちが死んだ……。
リョウはよろめいた。
アルとプリニーに抱きとめられて、タタガッタの助手がすぐに椅子をもってきた。
リョウは老ハムスターの黒い目をみた。
いまリョウは、たしかに一瞬このひと――ハムスター――だったのだ。
このタタガッタ先生の半生を、たしかにタタガッタ先生そのひととして体験した。
しかしいまではリョウとして、ただ先生の記憶を保有しているばかりである。
リョウはこの先生の幼少期を思いだせる。死んだ母の顔を思いだせるし父の声も思いだせる。
ほお袋にエサをためこんだときの感触を思いだせるし、ドブネズミに雇われたイタチやフクロウが友だちのカンタスを目の前で食い殺したときのその光景、そのにおい、その気持ちまでも思いだすことができる。
けれどもそれらすべてにはもうリョウなりの感じかたがはいりこまずにはいられない。
さっき一瞬かんじたものと、いま何度でも思いだせるものとは、ぜんぜんちがうのだ。
いいや、「リョウなりの感じかた」?
それですむならタタガッタ先生もリョウをひきとめはしなかったとおもうのだが、リョウは、奇妙にもじぶんがリョウだけであるということはもうどうしてもいいきれないような気がしてきた。
たしかにいろいろなことがひっきりなしに思いだされてはいるのだが、それはコンビニ店員さんのひと月前の親子喧嘩だったり、床屋さんの三十年前の刃傷沙汰だったりするのだが、これらを思いだしているのはだれなのだろう、リョウなのだろうか。
タタガッタ先生のぬらりとした目が矢のようにリョウに向けられた。
「すこし、話をいたしましょう」




