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13-1:新たな旅立ち

 国家委任調査官のカルドウィンが<黒鉛の森林>を訪れたのは、ルキウス・アルコニウス・ノガタスの死から数週間後のことだった。フェン・エノックに到着した彼は、村の外観をしばらく眺めた後、正門の両脇に立つ番兵の間を通り抜け、とある建物に足を踏み入れた。


 そこまでは順調だったが、扉を開けて玄関に入った直後、強面の用心棒と鉢合わせた。顔に戦化粧を施した、異国風の男——その恐ろしげな風貌を目にしたカルドウィンは、ぎょっとしてその場に立ち尽くした。


「どちら様で?」


 用心棒の男が、来訪者を見下ろしつつ尋ねた。男は非礼が何たるかを知らない様子で、こちらをじろじろと眺めている。異国の野蛮人め——カルドウィンは心の中で毒づいたが、表面上は平静を保っていた。


「国家委任調査官のカルドウィンだ。政務代行官がいるのは、この建物か?」


 カルドウィンはそこまで言ってから、用心棒の目を見つめた。互いの顔の位置は一尺ほどの違いがあり、無論、用心棒の男の方が上だった。


「彼に用事があって来たのだ。会わせてくれるかね?」


 だが、男が答える前に、探していた人物が奥から颯爽と現れた。狩猟用ズボンを穿いた、短髪の男——フェン・エノックの政務代行官、ティマイオスだ。


「お待ちしておりました、閣下」


 フェン・エノックの政務代行官は、丁寧に一礼した後、如才なく微笑んでみせた。全くもって抜かりない対応だ。


「どうぞ中へ。クー・ファディルの隊長はすでに到着しております」


 ティマイオスの案内に従い客室に入ると、兵士と思しき若者が胸に手を当て、敬意を表した。彼はおそらくクー・ファディルの隊長ガロンだろう、とカルドウィンは見定めた。亡くなった前任者の跡を継ぎ、森の戦士の掃討作戦を担った人物。若いがしっかりしていそうな男だ。それにしても”フェン・エノック”だの”クー・ファディル”だの、この辺りの地名は、なぜこうも覚えにくいのか。


 部屋の中央に置かれたテーブル席に座ったカルドウィンは、あいさつもそこそこに本題に入った。


「首尾はどうだ、諸君? 異端者が消えて、<黒鉛の森林>は平和になったか?」


「ええ。ルキウス・アルコニウス・ノガタスが排除されたことで、森の治安は劇的に改善しました」


 と答えたのは、政務代行官のティマイオスだった。


「同時に、ノガタスが率いていた森の戦士も影響力を失いました。<黒鉛の森林>に残る過激派はごくわずかで、多くが土地を去るか、捕虜となっています。今後、連中が脅威になることはないでしょう」


「素晴らしい。君たちの勝利は帝国の勝利であると同時に、文明の勝利でもある」


 カルドウィンは報告に満足して、うなずいた。


「首都の人間のほとんどが、君たちの行動を賞賛している。あいにく全員ではないがね。だが、気にすることはない。好き勝手に言う連中に限って、現場の過酷さを知らないものだ。そうだろう?」


 そこまで言って顔を上げると、用心深い笑みを浮かべるティマイオスと、反応に困ってうつむくガロン隊長の、対照的な表情を見ることができた。カルドウィンは、妙な空気が漂う部屋の中で話を続けた。


「君たちの苦労は報われるはずだ。国は近々、君たちに報奨と休暇を与えるだろう。よかったじゃないか」


「恐れ入りますが、閣下。我々はやるべきことを果たしただけで、決して褒賞目的では——」


 と述べたガロン隊長は、あくまで謙虚な態度だった。しかし、この若者が何を主張しようが、国家は必ず報奨を与えるだろう、とカルドウィンは思った。さもなければ、”帝国は治める領土に似合わず、度量が狭すぎる”と、陰で散々言われかねないからだ。


「とにかく、次の給料日を楽しみにしたまえ。それから休暇も。首都に住む帝国市民は休暇も休暇、お祭り騒ぎの真っ只中だぞ。ルキウス・アルコニウス・ノガタスの亡骸が、太陽広場の塔に吊るされたからだ」


「閣下はご覧になったのですか? ノガタスの、その——」


 言いよどむティマイオスに対して、カルドウィンは、


「死体か? もちろん見たぞ」


 と言葉をさらりと返した。


「ノガタスの死は、帝国市民の中である種の娯楽と化している。子供は剣術ごっこに夢中になり、商人は”ノガタスの血”という名のワインを売り出し始めた。吟遊詩人に至っては、こぞって歌の題材にし、町中の酒場で騒ぎ立てる始末だ」


「歌?」


 ここでガロン隊長が突然、年端もいかない子供のように瞳を輝かせた。


「ひょっとしてその歌の中に、クロトールという名前は出てくるのでしょうか?」


 カルドウィンは、ガロン隊長を無言のままじっと見つめた。すると、隊長ははっと我に返ったようになり、耳の端を真っ赤にして視線をそらした。


「クロトールか」


 カルドウィンは、隊長の口から洩れ出た名前を繰り返した。


「それこそ、私がここに来た理由だ。貴族出身の聖職者であり、審問官でもある男。作戦を主導して森の戦士を壊滅させ、ノガタスを仕留めた英雄。彼は今、どこにいるのだ?」


「彼はここにはいません。少なくともこの森には」


 ティマイオスが言って目配せすると、彼の隣に座るガロン隊長が申し合わせたようにうなずいた。この二人はどこか怪しい——顎先をなでながらカルドウィンは思った。私に言えない秘密を、裏で隠しているのではないか?


「行き先について聞いていないのか? 君たちは彼と知り合いなのだろう?」


「それはそうですが、しかし」


 ティマイオスから返ってきた言葉は、案の定、歯切れが悪かった。もう一押ししてみるかと、カルドウィンはわざと厳しい顔をして、大げさに腕を組んでみせた。


「クロトールを探しているのは、私だけではない。詩人に貴族に教会関係者——皇帝さえも関心を寄せている。私がわざわざここを訪れたのは、上から正式な要請を受けたからだ。仮に君たちがこの場で嘘をついたなら、それは国家や教会に対する裏切りとみなされる。私の報告は、最終的に首都の玉座や聖座に届けられることを忘れるな」


「承知しております」


 不承不承といった様子でガロン隊長がうなずいた。


「しかし閣下、こちらが持つ情報は、おそらく閣下のご期待に沿うものではないでしょう。確かに、わたしはクロトールとは知り合いで、作戦時は肩を並べて戦いました。それでも彼の消息は分かりません。彼は行き先を告げなかった。立ち去る前に、一言二言残しただけで」


「ほう。では、クロトールはどんなことを言っていたんだ?」


「内容は主に二つです。一つは”ノガタスが一族から奪った剣を、相応しい人物のところへ送り届けて欲しい”というものでした。それで、我々は使いの者を出し——」


「首都に剣を届けた、ということだな」


 カルドウィンは、続きを待たずに言った。ノガタスの剣については、首都を離れる前に目にしていた。装飾が施された鞘に、柄頭で燃えるガーネット——当時の職人の意匠がふんだんに散りばめられた、国宝級の剣だ。


 しかし、何より印象に残ったのは、刀身に彫られたドラゴンの模様だった。光を受けて複雑に輝く竜の紋章は、目にした者を瞬時に魅了し、同時に畏怖のような感情を抱かせるのだった。


「他には? クロトールは他に何を言っていたんだ、隊長?」


「二つ目の内容はこうです。”帝国は総力を結集して、ドラゴンを倒すべきだ”と。閣下、ドラゴンについては——」


「当然、知っているとも」


 カルドウィンは腕を組んだまま、胸を張って答えた。


「この件については、すでに調査してある。ノガタスの死亡と同日、翼のついた巨大な爬虫類が、帝国各地で目撃されたそうだ」


 ドラゴン——古くからその邪悪さで知られる神話上の生き物。人間を恐れさせ、苦しめる竜の性質は、悪事を重ねたノガタスの生涯と驚くほど似ている。


「これについて関係筋から詳しく聞いたところ、その生物は帝国の南東に飛んでいったことが分かった。自由都市リベロニアの方向だ」


「ドラゴンはリベロニアに飛んでいったと?」


 ティマイオスが興味津々といった様子で聞き返した。


「だとすれば、厄介ですね。当然のことながら、帝国はリベロニアの政治には関与できない。ましてや軍を派遣するなど、ご法度だ」


「その通りだな、ティマイオス」


 カルドウィンは、それまで組んでいた腕をほどき、今度は両膝に手を当てた。


「これは帝国にとって、面白くない結末だ。今の我々には、クロトールの所在をつかむことも、ドラゴンを追跡することもできないのだから。しかし、唯一幸運なのは——」


「何です、閣下?」


 ガロン隊長に続きを促されたカルドウィンは、膝上を指先でたたきながら、物憂げに息を吐いた。


「唯一の幸運は、ドラゴンが帝国からいなくなったという事実だ。誰だって自分の家より、他人の家が燃える方がいい」



***



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