11-3:信仰が揺らぐ時
クー・ファディルの村は、以前と比べて幾分落ち着いたように思えた。外壁はおおよそ修復され、人々はそれぞれの仕事を着実にこなしている。表層を見る限り、村は過去を克服し、前進しているように見えた。
だが、内実は違っていた。かつて起きた襲撃は、現在も忘れがたい悲劇として人々の記憶に刻まれている。クロトールの報告を聞き終えたガロン隊長は、酒場の屋外席に腰かけたまま、部下のアキシオスに向かって悲観的な言葉を投げかけた。
「わたしが何を考えているか分かるか、アキシオス? これまでの懸念がついに現実のものになってしまった。ドラゴンが空を自由自在に飛ぶようになれば、森の戦士はますます勢いづき——ついには帝国を滅ぼすだろう」
「帝国はそう簡単にやられはしないさ」
隊長の部下であり、友人でもあるアキシオスが毅然と言い返した。
「ここで俺たちが頑張れば、悲劇は未然に防げる。そうだろう? 森の奥地にある要塞で、ドラゴンを退治すれば——」
「ずいぶんやる気のようだな、アキシオス」
クロトールは横から口を挟んだ。今のアキシオスの言葉は、以前の襲撃で顔を真っ青にしていた男の発言とは思えなかったからだ。
「威勢がいいのは悪いことではないが、作戦中に恐怖で気を失うなんてことは、やめてくれよ」
「もちろんさ。あの爬虫類に一泡吹かせてやる。やられっぱなしじゃ、格好悪いだろう?」
アキシオスはそう言うと、ベリージュースの注がれた杯を不意に高く掲げた。
「それなら、今から乾杯するとしよう。これより死地へ向かう、兵士たちの健闘を祈って!」
「いいや、残念ながらそれは無理だ、アキシオス」
ガロン隊長がアキシオスに反論した。
「ドラゴンの存在は脅威だが——いや、脅威だからこそ遠征はできない。我々の兵士は、先の襲撃によって数を大きく減らしてしまった。この状態では村の防衛で精一杯で、要塞の攻略など夢のまた夢だ」
隊長の主張は、もっともなことではあった。襲撃を受けたばかりのクー・ファディルは、防衛機能が十分回復しておらず、加えて周辺には犯罪者も潜んでいる。この状態で要塞攻略を強行することは、高いリスクをはらむ。
だが、兵力として活用できるのは、文字通りの”兵士”だけとは限らない。
「方法が全くないわけではない」
クロトールは好機を逃さず口を開いた。今こそ、イヴォから頼まれたことを実行に移す時だ。
「隊長、私の仲間の一人が、この問題についてあなたと話したがっている。彼に会ってもらえないか? これが罠や陰謀ではないことは、私が保証する」
言葉を受けたガロン隊長は目を細め、警戒気味に肩をそらした。
「あなたの言うことなら信じるが、”彼”とはいったい誰なんだ?」
「それは歩きながら説明する。仲間は森で待機しているから、そこまで案内しよう」
***
クロトールはガロン隊長を伴って森に入った。隊長には仲間の素性について事前にやんわり説明していたものの、それでも当人がその場で立ち止まり、しばらく硬直するのを止めることはできなかった。
無理もないことだ。ムカデと鳥の姿をした異形の神々や、森の戦士のイヴォを紹介されるとは、夢にも思わなかっただろう。
だが、さすがは職業軍人だ。ガロン隊長は数秒も経たないうちに落ち着きを取り戻すと、普段通りの表情で各々を冷静に見回した。
「彼らがあなたの仲間なのか、審問官? 何というか、個性的な集まりだな。どうやらあなたには、誰からも好かれる天賦の才があるようだ」
隊長は、クロトールと仲間たちをそのように評した。この時、隊長の言葉を聞いたエルゲオンが、視界の隅で体を震わせ、くすくすと笑う姿が確認できた。
隊長は、エルゲオンの笑いを無視して話を進めた。
「それで、わたしと話をしたいのは誰だ?」
「俺だ」
イヴォは怪我をした右腕を抱えて立ち上がると、隊長のところまで歩いていった。
「よろしく、ガロン隊長。おれの名はイヴォ。以前は森の戦士の指導者だった」
「”指導者”、と言ったのか?」
ガロン隊長は顔をしかめ、イヴォの言葉を繰り返した。
「なら質問させてくれ。少し前、クー・ファディルを襲った森の戦士の中に、あなたはいたか?」
「いや」
イヴォが首を振って答えると、隊長は間髪入れず別の質問をした。
「であれば、あの襲撃はあなたが命令したのか? そうでないなら、あなたは村の襲撃にどこまで関与し——」
「あれは帝国人のノガタスが計画したものだ」
イヴォが隊長の言葉を遮り、言った。
「あなたが何を言わせたいのかは分かる。俺の前科をひととおり知りたいんだろう? 確かに、俺は帝国人から金品を奪ったことがあるし、殺しもした。だが、それでも殺戮そのものを楽しんだことは一度もない。生きるために仕方なく殺しただけだ」
ここでガロン隊長はイヴォではなく、クロトールに対して厳しい視線を向けた。
「わたしは罪人の告解を聞くために連れてこられたのか、審問官? こういった仕事は、むしろあなたの方が得意だと思うが?」
「取引だ」
クロトールは隊長の皮肉に構わず、答えた。
「彼はあなたと取引をしたがっているんだ、隊長。私は仲介役としてここにいる。これは長い目で見れば、我々と帝国にとって利益になるはずだ」
隊長は気の進まない様子で、再びイヴォに目を向けた。
「それで、どんな取引を望んでいると?」
「あなたの軍事作戦に加わる条件として、俺と囚人の赦免を求めたい」
イヴォは隊長の目をまっすぐ見て、言った。
「クー・ファディルには、捕虜になった森の戦士がいるはずだ。俺は彼らを戦力として使いたいと思っている。帝国兵の被害を減らすために、最前線で戦う戦士として」
襲撃の際に捕まった森の戦士たちは、近い将来、罪人として鉱山や首吊り縄に送られる運命にある。イヴォは、彼らをこのまま死なせるくらいなら、兵士として活用すべきだと提案しているのだ。
しかし当然と言うべきか、隊長は首を縦に振らず、表情をいっそう険しくした。
「少し待ってくれ」
ガロン隊長は皆に向かってそう言うと、クロトールの腕を引いて人気のない場所まで連れていった。きっとありったけの不満をぶつけられるに違いない——そのように見積もったクロトールの予想は、実際ほとんど外れなかった。
「審問官、前回のあなたは村を救った英雄だった。それが今では犯罪者や妙な連中と手を組み——かつての誇りはどこへ行ったんだ?」
「彼らは旅の中で出会った戦友たちだ」
クロトールは淡々とした口調で述べた。
「ノガタスやドラゴンの居場所が分かったのも、彼らのおかげだ。あなたは母親でもないのに、私の交友関係に口出しするのか?」
「あなたが誰とつき合おうと自由だが」
その点については隊長も認めた。
「問題はあの男の提案だ。捕虜を使い捨ての駒のように使うという案は、さすがのわたしも同意しかねる」
「だろうな。私も正直、聞いていて気分が悪かった」
クロトールがそう言うと、隊長はようやく顔の緊張を緩ませた。村を救った英雄に、ほんの少しでも良心が残っていると分かって、安堵したのだろうか。
「それに、問題は他にもある」
と隊長は続けた。
「この計画の責任は誰が持つんだ? クー・ファディルの政務代行官は、後任が未だに決まっていない。つまり、ここには作戦を実行できる人間が一人もいないんだ」
「あなたがいるだろう、隊長? 現在、クー・ファディルの事実上の代表者はあなただ」
クロトールはそう言ったが、それでもガロン隊長は首を縦に振らなかった。
「だからといって好き勝手していいわけじゃない。囚人を解放し、都合のいいように戦わせるのは権力の乱用じゃないか。これはわたしの職権を大きく超えている。たとえ臆病者と罵られようと、わたしにそんなことはできない。わたしは——」
その後、言葉は途切れ、沈黙が流れた。
クロトールは、隊長を臆病者呼ばわりするつもりもなければ、罵る気もなかった。しかし、今決断しなければ、森や村だけでなく、帝国全体が危機に陥るだろう。
彼が規範の逸脱を恐れるなら、別の誰かが泥をかぶるしかない。それならば、とクロトールは意を決して重い口を開いた。
「それなら、私が審問官の権限を行使して、あなたに無理矢理命じたことにすればいい。あなたは命令を断り切れず、嫌々従ったのだと。現にそんな状況だろう?」
すると、ガロン隊長は息をのんでクロトールを見つめた。
「だが、それだと困ったことにならないか、審問官? 後々、責任を追及された時、直接的な不利益はあなたに降りかかってくるぞ」
「構わんさ」
クロトールはため息交じりに答えた。
「上の連中から何を言われようと、気にはしないさ。なぜなら、私の心はすでに——」
「——”決まっている”?」
ガロン隊長が途切れた言葉の続きを予想したが、クロトールは何も言わず、微笑するに留めた。
そうではない。”決まっている”ではなく”離れている”だ。神に尽くした歳月が誤りかもしれないと疑い始めた途端、これまで手にした多くのものが自分の元から離れていった。信仰と忠誠——それらが消えつつある今は、責任や権力といったものさえ、無意味なものに思えてくる。
「さて、どうする隊長? 役者はすでにそろっている。必要なのはあなたの勇気だけだ」
「すまない、クロトール」
隊長はクロトールに深く詫びた。その時の彼の姿は、自らの意気地のなさを心から恥じているように見えた。
「あなたの助けを借りて、要塞の掃討作戦を始めるとしよう。イヴォに村へ来るよう伝えてくれ」




