9-1:儀式の丘で
高台で一夜を過ごした一行は、翌朝、切り立った崖まで足を進め、周囲の景色を眺めた。崖の上からは、<黒鉛の森林>に点在する様々なランドマークを見渡すことができた。柱が並ぶ祭壇に、黄金の果実が実る巨木、そして断崖の中に浮かぶようにして建つ要塞。エルゲオンの話を信じるなら、ルキウス・アルコニウス・ノガタスが隠れているのは、あの要塞の中らしい。
「ずいぶん分かりやすい場所に隠れたものだ、と思っただろう? ここから見る分には、すぐにでも到達できそうだと」
エルゲオンが要塞に目を向けつつ、問いかけた。森の最奥部に築かれた古代の建造物は、朝の強烈な日差しを受けて純白に輝いていた。
「だが、現実はそう上手くはいかない。各地に点在する森の戦士が、不審者に絶えず目を光らせているからな。不用意に近づけば、彼らに気づかれ攻撃されるだろう」
「つまり、俺たちは泥棒みたいに、こそこそ進むしかないってことか」
フェリックスがつぶやくと、エルゲオンは長い体をくねらせてうなずいた。
「そういうことだ。我々は数が圧倒的に少ないから、敵との衝突は当然避けるべきだ。加えて、森には戦いとは無関係な<森の民>もいる。彼らを巻き込まないためにも、交戦は最小限に抑えたい」
「とはいえ、隠れながら森を進むのも至難の業に思える」
それまで黙っていたエイレナが、離れた場所から口を挟んだ。彼女とエルゲオンはどうも馬が合わないようで、会話の際は常に一定の距離を保っていた。彼らは洞窟を出た後、契約を交わして同盟関係になったのだが、相性の悪さはそれとは別問題らしい。
「それに、ノガタスのそばには森の戦士やドラゴンがいる。我々だけで敵の集団を突破できるかどうか」
「まず無理だろうが、それでもまだ希望はあるぞ」
とエルゲオンは言った。
「<黒鉛の森林>には、神々が未だに残っている。彼らを仲間に引き入れるのだ、エイレナよ。あの要塞にたどり着くには、神々の協力が必要不可欠となる」
「他の森の神々が、あなたのように協力的だといいんだがな。そもそも、この場所のどこに神がいるのか——どうした、ミア?」
話の途中、クロトールはしきりに視線を投げかけるミアに気づいた。彼女は空になった薬草の瓶を持ちながら、会話が終わるタイミングを待っていたのだった。
「邪魔をしてごめんなさい。どうしても相談したいことがあって」
ミアはそう言うと、薬草の空瓶を皆に分かるように掲げた。
「ヤンクログの一件で、ケシの在庫をほとんど使ってしまいました。このままだと、次に何かあった時に足りなくなるかもしれない。補充が必要です」
「そうだったな。薬草が足りなくなったのは私の責任だ。私が使うように頼んだのだから」
エルゲオンはうつむき、申し訳なさそうに言った。
「その件については力になろう。私はケシの花が見つかる場所を知っている。そして幸運にも、そこは私のような神の住処でもある。上手くいけば、神探しと薬草探しで一石二鳥を狙えるかもしれない」
そこまで言うと、エルゲオンは崖から見える景色を再び眺めた。
「柱の並ぶあの丘が見えるだろう? あそこは神を呼ぶための祭壇で、周囲には薬草が豊富に生えている。かつて森の呪術師たちは、丘で採れる薬草を使って儀式を行っていた。彼らと同じ儀式をすれば、祭壇の神と接触し、契約に持ち込めるだろう」
「儀式って、具体的に何をするんだ?」
フェリックスが若者特有の好奇心から尋ねたが、対するエルゲオンは、
「まあ、向こうに着いてから教えるさ」
と、もったいぶった返事をしただけだった。それから彼は、長い体を上方に伸ばすと、近くの木の幹に飛び乗った。彼なりの出発の合図だ。
「さあ、ついて来い。道中は私が案内を務めよう」
***
エルゲオンは道を先導し、方角を見定めながら四人を導いていった。周囲が安全だと分かると、彼は枝の先を小刻みに揺らして教えてくれた。そうでない時は、彼が戻ってくるまで待つことになった。直進すれば半時もかからないような距離も、十分に警戒しながらとなると話は違ってくる。この調子だと、到着する頃には昼になっているかもしれない。
合図が送られてくるまで立ち往生していたある時、クロトールは辺りの気配に用心しつつ、エイレナに気になることを尋ねた。
「エイレナ、あなたはドラゴンを追うことに決めたのか? 昨日は遅くまで悩んでいただろう」
これははっきりさせておきたい事柄だった。エイレナはヤンクログの帝国人殺しを止めるためにここまで来たが、その標的が死んだことで、今後の身の振り方を決めかねているようだった。ヤンクログが最期に残した言葉——”ドラゴンを殺せ”という一言が、心に引っかかっているのだろう。クロトールは彼女の考えを知りたかった。
「ヤンクログの最期の言葉を思い返していたのだ」
エイレナはうなずき、長い髪を揺らして答えた。
「彼はドラゴンを倒さねば、森の神々は死ぬと言っていた。<永遠の夜明け>は神々を守るための組織だ。彼の遺言に従うことは、我々の理念にもかなうだろう」
「正直言うと、あなた方と旅を続けられることを嬉しく思っているんだ。ヤンクログが死んだ後、我々はてっきり別れるものだと思っていたからな」
クロトールは素直に思いを打ち明けた。
「<黒鉛の森林>が危険な土地だということは、身をもって学んできた。信頼できる仲間がいるのは心強い。もっとも、あなた方は私とは違う考えを持っているかもしれないな。私は大抵、足を引っ張ることの方が多いから」
「そんなことはありませんよ、クロトール」
そう反論したのは、意外にもゴーレムのミアだった。
「皆があなたを歓迎していますよ。たとえばフェリックスは、あなたの剣術は頼りになると言っていました。剣士がそばにいることは、射手にとって安心材料になるのだそうです。それから、わたしのマスターは——」
「こら、ミア。誰が勝手に喋っていいって言った?」
途中、フェリックスが慌てて横やりを入れた。
「人の秘密を簡単にばらす奴は信用されないぞ。今後のために覚えておいた方がいい」
「覚えておくべきなのはお前の方だ、フェリックス」
エイレナがたしなめるように言った。
「何かを秘密にしておきたいなら、口をつぐんで黙っているべきだろう」
「それはそうかもしれないけど、ぺらぺら喋るのもどうかと思うぞ」
なおも食い下がるフェリックスに、エイレナはもうひと押しした。
「なぜだ? 互いの気持ちを共有するのは、良いことではないか。クロトールにお前の感情を知られるのが、そんなに恥ずかしいのか?」
するとフェリックスの耳の端が、誰が見ても分かるほど真っ赤になった。
「もういい! それ以上何も言わないでくれ」
<永遠の夜明け>の狩人は、羽根つき帽を深くかぶると、そのまま黙り込んでしまった。こいつはどうしたものか——クロトールは予想外の展開に困り果て、フェリックスとエイレナを交互に見やった。
クロトールと目が合ったエイレナは、茶目っ気のある笑顔で片目をつむってみせた。その様子から、彼女がフェリックスをからかっているのは明白だった。一方、ゴーレムのミアは目の前の事態を理解できないようで、しきりに首を傾げていた。馬のファリオンは状況を知ってか知らずか、沈黙を埋めるように鼻を鳴らしている。
この場の現状には、人間、ゴーレム、馬さえも困っているように見えた。ただ一人、エイレナを除いては。
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