4-2:審問官と魔女
部屋をまたぐと神殿の大広間に出た。ひび割れた天井からは青空が見え、床には溝を埋めるように苔が生えている。二人は広間を横切ると、神々の像の間を抜けて、狭い通路を進んだ。神殿の奥に通じるその通路にも、森の神々が描かれていた。
「帝国人が海の向こうからやって来るまで、この森は神々の領域だった。そこに帝国に敗れた先住民が加わると、両者の文化は混じり合い、神々も多様化した」
エイレナが壁画を横目に見ながら、慣れた様子で歴史を語り始めた。
「その後時は流れ、戦は過去のものとなったが、帝国の影響力は留まることを知らない。<黒鉛の森林>は多くの神々にとって、最後の楽園となってしまった。彼らは森の奥に隠れて、自らの死に怯えている。帝国が勢力を伸ばすにつれて、神々の存在は消えていくのだ。天空の星々が、夜明けとともに見えなくなるのと同じように」
「“夜明け”か」
クロトールはエイレナの言葉をぼんやりと繰り返した。
「そういえば、あなた方は<永遠の夜明け>と呼ばれていたな。あのダイアウルフがそう言っていたのを覚えている」
「そうだ。我々は<永遠の夜明け>という組織に属している。文明の夜明けを押しとどめ、古き神々を守るのが我々の目的だ」
「”組織”ということは、あなた方の他にも仲間がいるのだな?」
するとエイレナは不意に立ち止まり、曇った表情で目をそらした。しまった、と気づいた時には遅すぎた。質問自体に深い意味はなかったが、エイレナはそれを審問官による尋問と受け取ったらしい。
「少し喋り過ぎたようだな。悪いがこれ以上は話せない。特に審問官の前では。自分の不注意によって、知り合いに危害が及ぶのは避けたいのだ」
エイレナは視線を避けたまま、よそよそしい態度で続けた。
「そもそも、今も十分危険な状況だ。こうして一緒にいること自体が。我々三人は顔と名前を覚えられてしまったし、お前も我々に関わったことで疑われるかもしれない。この出会いは将来、不幸をもたらす可能性がある」
「であれば、そうならないよう最善を尽くすとしよう」
とクロトールは言った。
「これから起きる問題については、私の方で何とかする。何か聞かれても上手くごまかすさ。あなたは何も心配しなくていい」
それでも、エイレナは頑な態度を崩さなかった。自分は彼女と永遠に分かり合えない運命なのだ、とクロトールは思った。なぜなら自分は審問官で、彼女は黒魔術を使う異端者だからだ。本来は肩を並べてお喋りする関係にはない。
その後は沈黙がしばらく続いたが、未だ目的地に着く様子はない。やがて気まずさに耐えられなくなったのか、エイレナは再び口を開くと、次のような質問をクロトールに投げかけた。
「ところで、前から気になっていたのだが——この場所についてどう思う? 審問官のお前にとって、異教の神殿は控えめに言って居心地が悪いのではないか?」
「驚くだろうが、そうでもないぞ」
クロトールは、ぎこちない微笑を浮かべて答えた。
「ここは思いのほか快適だ。部屋を占領して数日間寝転んでいても、神々は文句一つ言わなかったからな」
エイレナは即興の下手な冗談を笑ってくれた。
「だとすれば、お前は森の神々からいたく気に入られたのだな。だが、本音はどうだ? 自分の信仰と異なる神を眺めている気分は」
「他の連中はともかく、私は異教やそれを信じる人々については、意に介さない立場だ。加えて、審問官である私の追跡対象は、異教徒ではなく異端者——それも特定の個人だからな」
最後の言葉が引っかかったのか、エイレナが片側の眉を上げた。
「特定の? お前は誰を追っているのだ?」
「どうやら私も喋り過ぎたようだ。この続きは機会があれば話そう。あなたが見せたいものはまだなのか?」
「もう少し先だ」
曲がり角の先の通路を歩いていた時、エイレナがとある一室の前で立ち止まった。その部屋には扉がなく、最初から開け放たれた状態だった。
「着いたぞ。これがお前に見せたかったものだ」
部屋の入口に立ったクロトールは、想像以上の光景に目を見開いた。まず目についたのは、空間を縁取る巨大な黒帯だ。壁の大部分を占める圧倒的な漆黒は、<黒鉛の森林>の夜空を模しており、そこでは未知の星座が点と線で表現されていた。
きっとこれらの星座には、個別の物語があるのだろう。帝国に伝わるものとは異なる、全く別の物語が。それぞれの星座にまつわる様々な伝承。それらは今、時代とともに忘れられ、消えつつあるのだ。
天空を模した壁画は見事な出来栄えだったが、最も注目すべきは壁ではなく、床の方だった。継ぎ目なく敷き詰められた石床の上には、遠吠えをする二体の狼が描かれている。雪のように白い一匹と、草紅葉色をしたもう一匹。この二匹も森の神々なのだろうかと、クロトールは首をひねって考えた。だとしたら、この白い方の狼は——
「ここの壁画は比較的状態がいいな。絵がはっきり見える」
エイレナは部屋全体を見回した後、下の方に目を向けた。
「お前はこの白い狼に見覚えがあるはずだ。無論、記憶から消し去っていなければの話だが」
「ということは、この絵はやはり、あのダイアウルフなのだな」
クロトールは床に描かれた狼の、青い目を見つめながら言った。自分を襲ったダイアウルフも、確かに同じ色の目をしていた。
「ヤンクログという名前だったな。忘れるわけがない。奴は仲間の仇だ」
「あの狼を恨む者は大勢いるだろうな。ヤンクログはあちこちで敵を作り過ぎた」
何か思うことがあるのか、エイレナはその端正な唇をすぼめた。
「彼は森にいる帝国人を手当たり次第に襲っている。何か手を打たない限り、犠牲は今後も増え続けるだろう」
「あのダイアウルフはなぜ人を襲う? 森を荒らす帝国人への復讐か?」
「おそらく、それもあるだろう。だが、一番の理由は文明の夜明けに抗うためだ。さっきも言ったように、森の神々は帝国の台頭によって存在を脅かされている。ヤンクログはそれを食い止めようとしているのだ。彼は帝国人を森から追い払えば、夜明けを止められると信じている」




