第9章 開かれる扉
「行くぞ……」
「いつでも」
エリィも胸元から出した聖印を握った。
死霊は上昇を止め、追撃のため急降下してくる。
「我放たん! 魔法の矢!」
ストラグルが文字を読み上げると、光を放った巻物から、白く輝く矢――矢そのものの形をしているわけではなく、棒状の光の塊といった外見――が浮かび上がった。同時に、魔法の矢は一瞬縮んでから高速で飛び、目標に突き刺さる。死霊は空中で動きを止め、発せられる声は、苦悶を表しているかのような階調に変わった。
エリィは亡者撃退のための祈りの言葉を呟き始める。魔法の矢によるダメージはとうに終わっているはずだが、死霊は未だ空中に留まり続け、半透明の体をよじらせている。
「……行けるか?」
固唾を呑んで見上げるストラグルの手から、巻物は塵と化して消え去っていた。ヴォルトレイドも不安そうに見守る。
死霊は抗うように体を捻らせ続け、発する声も元の階調に戻りつつある。エリィの額には汗が浮かぶ。
「駄目……なのか?」ヴォルトレイドが呟く。
「アンデッド野郎、とっととあの世に行けよな。何の未練があんだよ……」
ストラグルの言葉を聞いたディープダウンは、はっと目を見開くと、エリィに駆け寄り、聖印を握るその手に自分の両手を被せる。そしてまぶたを閉じると、小さく呟き始めた。
「私……帰って来たよ……院長……みんなに……会いに来た……だから……」
ディープダウンの呟きは小さく、すぐ隣に立つエリィにも完全に聞き取ることは出来なかった。
エリィが片膝を突いた。
「エリィ!」ストラグルとヴォルトレイドが同時に叫んで駆け寄る。
「大丈夫だ……」
荒い呼吸をしながら、エリィは見上げる。そこには、夜空に溶けていく死霊の姿があった。半透明のその体は、輪郭がさらに曖昧になっていくように次第にぼやけ、やがて完全に夜の闇とひとつになった。最後まで残っていたその顔は、安堵するような笑みを浮かべていたように見えた。
四人は水筒の水を飲んでひと息つくと、まずディープダウンが立ち上がり、ランタンに灯した明りを頼りに裏庭を歩き回ると、その一角にしゃがみ込んだ。そこには三フィート(約九十センチ)四方に渡り、雑草が全く生えていない四角形の一区画があった。エリィたちもそれを覗き込む。ランタンを地面に置いたディープダウンが土を払い除けると、鉄製の扉のようなものが露出した。
「もしかして、地下室?」
エリィの言葉に頷いたディープダウンは、懐から奇妙な形状に曲がった針金を取りだして、鍵穴らしき隙間に差し入れた。地面に伏せ、時折扉に耳を当て、ディープダウンは針金を動かし、時には道具を細いピックに替え、鍵穴との格闘を続けている。
「開けようとしているのか、この扉を……」
一心不乱に作業を続けるディープダウンを見ながら、ストラグルは呟いた。
夜空に浮かぶ月が大きく角度を変え、終課の鐘(約午後九時)の音が微かに響く頃、扉から、ガチャリ、という金属音が聞こえ、
「……開いた!」
ディープダウンは、泥まみれの顔を輝かせて鍵穴から体を離した。ストラグルとヴォルトレイドの二人で、重く閉ざされた扉を引き開けた。そこには地下へと続く階段が延びている。ランタンを手に階段を下りていくディープダウンのあとに三人も続いた。階段の下は、一辺が十フィート(約三メートル)程度の狭い地下室だった。その床には……。
「これは……」
エリィは足を止めた。ストラグル、ヴォルトレイドも同じだった。地下室の冷たく暗い床には、数体の白骨があった。そのいずれも、
「子供……だな」
ストラグルの言った通りだった。白骨は身長四フィート(約一メートル)ばかりのものが三体。体を寄せ合うように横たわっていた。
「二年前の、あの日……」ディープダウンは、白骨のそばに屈み込んで、「魔獣の襲撃があったあの日、私たちは院長たちに連れられてここから逃げた。でも、逃げる途中で、子供の数が足りないことに気が付いた。孤児院を出るときは全員いたはずだったのに。いなくなったのは三人。アミナとヘスとグルモア。いつも一緒の三人組だった。あの三人はこの地下室が好きで、森や川辺で見つけた宝物をここに持ち寄って隠してた。だから、それを取りにこっそりと戻ったんだって思った。院長と何人かの大人が孤児院に引き返して、私たちはそのまま町に逃げた。でも、途中で足の速い魔獣に追いつかれて、結局生きて町まで辿り着けたのは、私だけ……」
ディープダウンは地下室の一角を見た、そこには、綺麗な色の小石や、かつて木の実や枝であったと思われる朽ち果てた残骸が置かれていた。彼女は視線を白骨に戻して、
「魔獣との戦いは何日にも及んで、そのあともごたごたして、子供だった私は何も身動きがとれなくって。私がここに来ることが出来たのは、逃げ出した日から数週間も経ってからだった。あの三人や院長たちが町に逃げ延びたっていう話は聞かないし、どうなったんだろうって思って……。孤児院は魔獣の仕業と戦いでボロボロになってて、そこらには、魔獣、騎士団、冒険者ごちゃまぜで死体が転がってる。でね、この裏庭に……大きな魔獣の死体があったの。ここの……扉の真上に」
ディープダウンの声が詰まった。彼女の言わんとしていることが理解出来たのだろう。エリィたちも神妙な顔になった。
「院長や他の大人たちの死体はなかった。ううん、あったのかもしれないけれど、私には見分けがつかなかった、死体はどれも腐ってたり、バラバラになってたりしてたから。魔獣に食べられた人もいたと思うし。でもね、アミナとヘスとグルモアの三人がどこにいるか、それだけは分かった。子供の力で、あんな大きな魔獣の死体が被さった扉を開けられるわけない。私、ひとりで魔獣の死体をどかした。死体はほとんど腐ってたから、私ひとりでも何とかバラバラに出来た」そこでディープダウンは、天井の一角、地下室の扉を見上げて、「この地下室の扉の鍵は、ずっと前になくなってたの。だから、あの三人が内側から鍵を掛けていなければって思った。私は扉を引いたの、でも……」
「施錠はされていた、ということか……」
ヴォルトレイドが言うと、ディープダウンは涙を流しながら頷いた。ストラグルは嘆息して、
「魔獣の襲撃中や戦闘中は、怖くて扉を開けられない。外の様子は振動や音で地下室内にも伝わっていただろうからな。扉に施錠して、ここでじっとしていたんだろう。で、静かになった頃、外の様子がどうなったか、確認するために扉を開けようとしたが、なぜだか扉は開かない。運悪くその上に魔獣の死体が覆い被さってしまっていたんだな。どういうことか分からないが、仕方なくまた扉に鍵を掛けて地下室で眠るうちに、その三人は力尽きて……」
ストラグルの視線が三人分の白骨を捉えた。エリィは、ディープダウンのそばに屈むと、その小さな肩を抱いて、
「だから、盗賊になったんだな。自分で、この扉を開ける技術を身につけるために……」
青い髪の小さな盗賊は、エリィの胸に顔を埋めて泣いた。
ディープダウンが、無理をしてでも地下迷宮深部に下りていこうとしていた理由は、出来るだけ高度な罠の解除や宝箱の鍵を開けることにより、盗賊としての水準を上げるためだった。仕事の区切りがつくたびに彼女はこの孤児院を訪れ、地下室の扉の解錠を試みたが、成功することはなかった。「ここに取り付けた鍵は、名のある職人が作った業物だそうだよ。昔はここは商人の別荘で、大事な宝物を入れておくための地下室だったらしい」院長はそんなことをディープダウンをはじめ、子供たちに話して聞かせていた。ときには生活費を稼ぐため、チェスターの町に入って“仕事”をやることもあったが、常に顔を隠し、“仕事”もその都度一回切りと決めていたため、今まで盗賊ギルドに見つかることはなかった。
ディープダウンを胸に抱き寄せたまま、エリィは聖印を握り、三つの小さな亡骸を前に祈りを捧げた。その後ろでは、ストラグルとヴォルトレイドも、そっとまぶたを閉じていた。
「ディープダウン、私が寺院に働きかけて、ここに慰霊碑を作るよ。あの三人だけじゃない、孤児院のみんなや、その魔獣災害で亡くなった人たち全員が安らかに眠る場所にしよう」
地下室を出てからエリィは言った。ディープダウンは神妙な顔で、「いいの?」とエリィを見上げた。
「いいさ」とエリィは腰を屈め、ディープダウンと目線の高さを合わせて、「だいたい、ここをこんなふうに放っておくってこと自体が寺院の怠慢だ。チェスターの寺院が渋っても、うちの僧長が中央に話を通すから大丈夫さ。アークムなんて田舎に引きこもってはいるけど、うちの僧長は結構なやり手なんだよ。若い頃は寺院の仕事そっちのけで、冒険者専属の僧侶として、あちこちで地下迷宮に潜るわ、鎚矛を振り回して魔物と戦うわの戦闘僧侶だったんだから。怒らせたら怖いよ」
「……エリィみたいな?」
それを聞くと、ストラグルとヴォルトレイドは同時に笑いだした。「何だよ」と眉を釣り上げたエリィは、
「あ! そういえば!」と懐に手を入れて封筒を取りだした。「ああ!」と二人の戦士も声を上げる。
「お、おい、封蠟が開いてるじゃねえか……」ストラグルが、エリィが持つ封筒を指さして、「そういやお前、ここで最初に、この書簡を読んだのか俺が訊いたとき、知らない、って答えてたな。なにが知らないだ。しっかり読んでるじゃねえか」
「知らない」
ディープダウンの答えは当初と変わっていなかった。
「と、とにかく、開けて中を見てみろよ」
「し、しかし……」
ストラグルに促されたが、エリィは躊躇している。
「ここまで来たらいいだろ。封蠟を破ったのは、エリィじゃないんだから」
「かといって、見てしまうというのは……」
「そんなものはな」とヴォルトレイドが入ってきて、「開封された封筒を落とした拍子に便箋が出て、それがたまたま表が上になって開いて、そのつもりはないけれど見てしまいました、と。そんなシチュエーションを想定して読んじまえばいいんだよ」
「お前な……」
言いつつも、エリィはゆっくりと中の便箋を封筒から引き抜いた。二つ折りされた便箋がエリィの手に摘まれている。
「ここまでしっかり折られてたら、自然に開くことはあり得ないぞ」
「もう! いいから!」
「あっ! こら!」
ヴォルトレイドはエリィの手から便箋をもぎ取ると、折り目を開いて目を走らせる。
「おい! 何が書いてあるんだ? スキャンダル的な何か?」
興味津々でストラグルも覗き込んだ。が、
「……何、これ?」
二人ともが、便箋を見たまま固まった。エリィも二人の後ろに回り込んで覗き込むと、
「これは……魔法文字、だな」
「魔法文字……てことは」
ストラグルが振り向くと、エリィは、「ああ」と言ってから、
「魔法使いじゃないと読めないな」
「何だよー」
ヴォルトレイドは便箋を放った。「おい!」とエリィは宙に舞う便箋をキャッチして、
「でもまあ、これで、この便箋の重要さが分かったとも言えるな」
「確かに、単なる書簡に、わざわざ魔法文字を使う必要なんてないからな」ストラグルも顎に手を当てて、「それに魔法文字なら、いくら雨に濡れたって、インクで書いた文字のように、滲んで読めなくなるなんてことはないわけだ」
「それほどに価値のあることが書かれている、ということだな。もしくは、何か大変なことが……」
「あー、一気に疲れが出た」
ストラグルはその場に寝転んだ。
「今夜は、ここで野宿だな」とヴォルトレイドも腰を下ろして、「この時間じゃあ、街に戻っても門が閉まってて入られないぜ」
エリィは、自分の荷物をまとめているディープダウンを見ると、
「ディープダウン、あなたもここで寝るんでしょ」
青い髪の少女は、手を止めてエリィを振り向いた。
「馬に寝具があるから、一緒に寝よう」
と笑みを投げかけた。きょとんとしていたディープダウンだったが、すぐに頷いて、微笑みを返した。
「よし、ストラグル、馬から寝具を持って来てくれ。あ、ついでに近くの川から水を汲んできて、馬に飲ませるのもやってくれないか。食べるものは、そこらの草を食ませておけばいいだろ。馬を繋いでおくのも忘れるなよ。躾してある馬だけど、念のためにな」
「何だよ、次から次へと! 何で俺がそこまでしなくちゃならねえんだよ!」
文句を言いながらも、立ち上がったストラグルは、
「おい、ヴォルトレイド、お前も手伝え」
「何で俺が」
「いいから!」
「何だよ! もう!」
ストラグルは手を引っ張り、無理矢理ヴォルトレイドを起こさせた。
「あのさ、本当の名前、何て言うの?」
並んで座るディープダウンに、エリィは訊いた。
「ディープダウン」少女はすぐに答える。
「それは、盗賊ギルドに付けられた名前でしょ。孤児院にいたときは、何て呼ばれてたの?」
ディープダウンは首を横に振って、
「あのときの私は、死んだの。だから今は、ディープダウンが私の名前」
「……」
横目でエリィを見たディープダウンは、その瞳に悲しそうな色が浮かんでいるのを見て取ると、
「……ギルドのボスが付けてくれた名前なの」
「あ、そうだったんだ」
「うん。私、孤児院では院長が、ギルドでは、ボスがお父さんだったって思ってる」
「そっか……でもさ、その名前、かっこいいかもしれないけど、長くて呼びにくいよ」
「そう?」
「うん……あ、そうだ。“ディーダ”でどう?」
「ディーダ……?」
「ディープダウンを縮めて、ディーダ。どう? すっとかわいくなったでしょ。ディープダウンは本名として取っておいて、ディーダを愛称にしようよ」
「……うん!」
少女――ディーダは満面の笑みを浮かべた。
「おおい、川はどっちにあるんだ? 暗くて分からん」
「私、案内する」
ストラグルの声が聞こえて、ディーダは立ち上がった。
「ディーダ、暗いから気をつけてね」
「うん!」
「ディーダって、何だよ?」
「あ、俺、分かった」
ストラグルとヴォルトレイドの声に挟まれながら、ディーダは川へ出る道を案内した。
エリィはもう一度書簡を広げる。解読不能な、不可思議な文様で構成された魔法文字が羅列された便箋が、月明かりとランタンの火に照らされていた。
次回、ディーダを仲間に加え、旅は続く。
「第10章 旅の再開」




