第3章 黒髪の射手
宿駅に着いたエリィとストラグルは、馬小屋に馬を繋ぐと、宿泊する部屋を取りに行った。酒場も兼ねている一階のカウンターでエリィは、
「ツインは空いていますか」
「なに?」その後ろに立っていたストラグルは、エリィの言葉を聞くなり目を見開いて、「おい」
「どうした」
店主とのやりとりを一時中断して、エリィもストラグルを見る。
「エリィ、お前、今、ツインって言ったか?」
「ああ。シングルを二つとるより安いだろ。少しでも節約しないと」
「いや……しかし……いいのかよ?」
「何が? お前は馬小屋にごろ寝でいいというなら、私ひとりでシングルにするが――」
「絶対に嫌だ!」
街道の宿駅はどこも通常、馬小屋に泊まる場合は無償で場所を提供している。宿代のない旅人や冒険者への配慮だ。
「そうじゃなくて」とストラグルは少しだけ声をひそめて、「俺は男で、お前は女だろ」
「……何だ、そういうことか。心配するな。もし私に何かしてきたら殺すから」
「表現が直接的すぎるだろ! それに『心配するな』じゃねえよ! 思いっきり心配するわ!」
「ということは、お前、何かしようという魂胆だった?」
「だ、誰が! お前みたいなきつい女相手に――うぐっ!」
ストラグルは、みぞおちにエリィのブーツのつま先を受けた。
部屋に荷物を運び入れ、二人は一階に下りてきてテーブル席についた。ほとんどの宿駅は一階が食事もできる酒場。二階以上が宿という作りになっている。簡単な食事にビールを一杯つけて、二人は遅めの夕食をとっていた。ストラグルは早々とグラスを空けて、
「なあ、もう一杯、いい?」
「駄目だ」
エリィは即座に答えた。ちぇっ、とストラグルはグラスをスプーンに持ち替えて、スープを口に運び始める。
「なあ」
「うん?」
エリィに声を掛けられて、ストラグルはスプーンを止めた。エリィも食事の動きを止めて、
「訊かないのか?」
「何を?」
「私たちの旅の目的」
「訊いたら教えてくれるのか?」
「いや」
「何だよそれ! じゃあ、お前のほうこそ訊くなよ!」
「昼間に、あんなことがあっただろ。だから、どういうことなんだ、って詰問されるかと思ったんだ」
「……別に。話したくないならいいよ。目的も教えられないまま雇われて殺し合いをさせられるなんて仕事、傭兵には珍しくないしな」
「今回のことには給金は出ないぞ」
「いいよ。ひと月もあの寺院に世話になったんだから。それを思えば安いものさ」
「……命を狙われるような目に遭っても?」
「傭兵だからな。慣れてる。命の危険がない仕事のほうが稀だ」
「大変なんだな」
「お前――エリィのほうこそ」
「私は寺院に、神に仕える身だから。でもまあ、いきなりあんなことになるとは思わなかった。明日以降は注意しよう」
「ああ、俺も盾は外さないで着けたままにしておく。それにしても……」
「ん?」
エリィはまた、ゆっくりとスプーンを動かし始める。
「エリィ、お前、なかなか堂に入った戦いだったぜ」
「それはどうも。うちは警備騎士団の仕事も委託されてるからな」
「普段の訓練を見てても、お前の動きは他の連中より頭ひとつ抜けてたもんな」
「プロの傭兵にそう言ってもらえるとは、うれしいね」
「長いの?」
「何が」
「僧侶になって」
「長いと言えば、長いな。私はあの寺院で育ったんだ」
「それは……」
「ああ」エリィは皿の底に残った最後のスープを掬って、「私は、寺院に捨てられてたそうだ。まだ赤ん坊の頃にね」
「悪い」
「別に」エリィは笑みを浮かべながら、スプーンを口に運ぶと、「じゃあ、今度はお前のことを聞かせてくれよ。どこで生まれたの?」
「忘れた」
「お前、そればっかりだな」エリィはひとしきり笑って、「そろそろ寝るか」
「ああ」ストラグルも残ったスープを掻き込んだ。
一階から客の姿は消えており、食事をしているのは二人が最後だった。
微かに鐘の音が聞こえる。これは近くのマール村の寺院で鳴らされている、終課(約午後九時頃)の鐘の音。普通の人であれば寝ている時間だ。街道沿いに建つこの宿駅から村までは、約一.五マイル(二.五キロメートル)の長さの村道分の距離があるが、両者の間は、背の低い木々と畑で隔てられているだけのため、余程酒場が騒がしくなければ十分に鐘の音を耳にすることが出来る。二人が二階へ続く階段を上がり始めると、店主がすぐにランプの火を消した。
あてがわれた部屋の前まで来ると、エリィはストラグルを振り向いて、
「何かしてきたら殺すからな」
「しねえよ! 笑顔で言うなよ! 余計恐いよ!」
翌朝、東の空がようやく明るくなってきた頃、讃課の鐘(約午前三時)と一時課の鐘(約午前六時)のちょうど中間ほどの時刻に、エリィは目を覚ました。隣のベッドで、まだ気持ちよさそうに寝ているストラグルを見ると、エリィは彼の肩に手を置いて揺すり起こした。
洗顔を済ませて一階の酒場に入ると、そこには、朝食にありついている数名の宿泊客の姿があった。これから出立を控えているためだろう、酒を飲んでいるものはひとりもおらず、酒場とはいえ現在は普通の食堂という状況。宿駅の朝に普段どおり見られる光景だった。エリィとストラグルも朝食を頼んでテーブル席につく。
出入り口のドアが開いて、二人の男が入ってきた。身なりからして冒険者や旅人ではない。ごく普通の農民の格好をしていた。二人の男は酒場の中を見回して、
「冒険者の方はおられるか」
年長の中年男が言った。宿の主人をはじめ、全員の動きが一瞬止まる。
「頼みがある」誰も返事をしないうちから、男は続けて、「私たちは、近くのマール村から来たものだ。魔物討伐を頼みたい」
「相手は?」
宿泊客のひとりが言葉を返した。隅のテーブル席を陣取っている三人組のひとりで、鎖帷子を着込んだ、彫りが深く色黒な男だった。
「巨大サソリ」
「数は?」
「恐らく、二体。大きさは六.五フィート(約二メートル)くらいだ。どこから紛れ込んだのか、村の近くの林に出没していることが確認された。被害の出ないうちに何とかしたい」
「報酬は?」
村の事情には興味はないとばかりに、男はぶっきらぼうに質問を続けた。
「金貨五百枚」
「……ふん」
男は連れの二人と額を付き合わせ、小声で話をしている。
「俺がやろう」
村人に返答をしたのは、その男ではなかった。まだ男が仲間と話をしている最中に、カウンターに座っていた人物が名乗りを上げたのだ。返答した直後、その人物は椅子から立ち上がった。夜の帳のような漆黒の髪を腰まで伸ばしている。髪は顔にもかかり、前髪が右目を覆っていた。身長は、五フィート半(約百七十センチ)のエリィを若干上回る。革鎧を着込み、腰には小剣を差している。座っていた席の傍らには、四十インチ(約一メートル)ほどの丈を持つ長弓と矢筒が立てかけてあった。軽装のため、しなやかな曲線を描いた肢体が服の上からでも見て取れた。
「なっ、何だ、てめえは!」
横やりを入れられた三人組の男は文句を投げたが、黒髪の人物は、そちらには、ちらりと一瞥しただけで村人に向き直り、
「その仕事、俺に任せてもらえないか」
改めて依頼を受ける旨を宣言した。
「おいおい、待てや、姉ちゃん」男も立ち上がった。
「何?」黒い前髪から除く視線を男に刺すと、「俺は男だ」
「はあ?」
男は唖然とした顔になり、そのやり取りを黙って見ていたエリィとストラグルも、黒髪の“男”の言葉を聞くと顔を見合わせた。無理もない。黒髪の男は、白い肌に端正な顔立ちで、さらには、しなやかな体つきに長く艶やかな髪とも相まって、一見して女性に見えたためだ。
「そんなことはどうでもいい」黒髪の男は矢筒を担いで長弓を手にすると、村人に向かって、「それじゃあ、案内してもらおうか」
「待て待て!」
黒髪の男と村人との間に、三人組の男が割って入った。その仲間であろう他の二人も席を立ち、男に続く。
「おい、この話は俺たちが先に受けたんだ」
「それは違う。お前たちは相談している最中だったろ。先に返答したのは、この俺」
黒髪の男は平然としたまま、親指で自分をさす。
「てっ、てめえ、ひとりだろ」
「ああ、そうだが、それがどうかしたか?」
「巨大サソリ二体をひとりで相手するって?」
「ああ」
「出来っこねぇ」
「お前には出来ないのかもしれないが、俺には出来る。それだけの話だ」
「てめえ……」男は憤怒の形相を露わにしたが、すぐにそれを引っ込めると村人に向いて、「俺たちに任せな。こいつの言ってることは“はったり”だ。たったひとりで何が出来る。俺たちは三人で、経験も豊富だ。巨大サソリ二体くらい、わけねぇ」
男の横で、仲間の二人も、うんうんと頷いた。村人は困ったように、黒髪の男と三人組を交互に見ている。
「じゃあ、こうしよう」黒髪が口を開き、「俺の報酬は、金貨四百五十でいい。もちろん成功報酬だ」
村人の言い値から金貨五十枚値引きした。それを聞くと村人は、もうひとりの若い村人と額を寄せて話し合う。三人組は、きっ、とした顔で黒髪を睨んだ。これで勝負は決まったも同然だった。村人にとってみれば、支払いは少ないに越したことはない。しかも成功報酬となれば、もしこの黒髪の男が魔物討伐に失敗したとしても懐は一切痛まない。そうなればまた、この三人組も含めた他の冒険者に依頼するまでだ。
「では、あなたにお願いする」
村人が黒髪の男に言うと、三人組は舌打ちをしてテーブル席に戻った。黒髪の男は荷物を背負うと、二人の村人と一緒に外へと出て行った。
「死ぬな、あいつ」
小声でストラグルが言った。エリィが怪訝な顔を向けると、
「巨大サソリが二体だけってことはねえ。俺の経験から言うと、あいつらは常に、少なくとも四、五体程度の群れで行動する。たまたま目撃されたのが二体だけだったんだろうな。ま、成功したらひとりで金貨四百五十総取りだ。命を張る価値はあるかもな……って、おい!」
それを聞くと、エリィは立ち上がって出入り口に走っていった。
「何だよ、もう!」
残りの朝食を急いで掻き込んでから、ストラグルもあとを追う。
「待って下さい!」
エリィに呼び止められて、黒髪の男は小型馬車に乗り込もうとした足を止めた。御者席には若い村人が座って手綱を握っており、もうひとりの村人はすでに馬車に乗り込んでいる。
「何? この依頼はもう成立してるから――」
「危険です」
「はあ?」
「巨大サソリは常に数体の群れで行動するそうです。二体だけでいるということは、あり得ない」
エリィは、ストラグルから聞いた言葉を黒髪の男に教えた。
「……別に、いいんじゃない」
「えっ?」
「構わんよ、俺は」と、涼しい顔で答えると、黒髪の男は先に乗り込んでいた村人を向いて、「心配いりません。もしサソリの数が増えても、追加報酬はいただきませんから。まあ、でも、何十匹もいたら、さすがに……」
「おい、待てって!」
宿から出てきたストラグルも追いついた。
「おい、お前からも何か言ってやってくれ」
エリィはストラグルに促した。が、ストラグルは黒髪の男を一瞥しただけで、
「ま、いいんじゃねえの。死ぬのは勝手だろ」
「おい!」
「俺は死なない」
黒髪の男は、乗りかけていた馬車から完全に降りて、ストラグルと向かい合った。
「大した自信だな」
「ああ、お前とは違う」
「何だと?」
若干上背に劣る黒髪が見上げる形で、二人は向かい合い、視線をぶつけあった。
「待て、ストラグル」間に割って入ったエリィは、黒髪の男に向くと、「それでは、こうしましょう。私たちもあなたについていきます」
「おい!」「いらん!」
ストラグルと黒髪の男は同時に叫んだ。
「何考えてんだ」黒髪の男は、呆れた顔でエリィを見て、「せっかく俺ひとりで金貨四百五十枚もらえるっていうのに――」
「いただきません」
「えっ?」
「私たちは報酬をいただきません」
「エリィ! ふざけんなよ!」
ストラグルが食ってかかった。エリィは、胸元から聖印を取りだして見せ、
「私、こういうものです。アークム村の寺院に所属する僧侶のエリィと申します」
「僧侶、か」黒髪の男はストラグルに目を向け、「まさか、そっちも?」
「いえ、彼は僧職ではありません。訳あって一緒に旅をしているものです」
「だろうね」
ストラグルの全身を見回した黒髪の男は、ふっ、と笑いを漏らした。
「てめえ! 今のはどういう意味だ!」
「お前みたいな、がさつなやつが僧侶なわけないって思ってただけだよ」
「何だと!」
「お前、傭兵崩れか何かだろ」
「それがどうした。そういうお前は何なんだよ。冒険者か?」
「そう見えるかよ!」
「見えんね。たったひとりでいる冒険者なんて、あるわけがない。あ、分かった、お前、性格悪いから、どこのパーティにも入れてもらえなかったんだな」
「何だと!」
「図星だろ」
「うるせえ! パーティなんか、こっちからお断りだ! 誰が、お手々繋いで仲良く地下迷宮探検なんざ――」
「ぷっ」
エリィが吹きだした。ストラグルは苦い顔をしている。
「何……?」
黒髪の男は怪訝な顔で二人に視線を送る。エリィは黒髪の男、ストラグルを順に見て、
「いいコンビになりそうだな」
「なっ、ふざけんなよ!」
「はあ? コンビって、俺が、この傭兵崩れとか? 冗談きついぜ」
「それはこっちの台詞だよ! 誰がこんな男女と!」
「なにおう?」
「何だ? やるのか?」
「なにコラ」
「タココラ」
「まあまあ……」
至近距離で睨み合う二人の間に割って入ったエリィが、双方を引き離したところに、
「あのう……そろそろ……」
馬車の中から村人が、恐る恐るといった様子で声を掛けた。
次回、巨大サソリとの激闘。
「第4章 風を切る矢」




