第15章 大魔導師との対面
エリィと目を合わせた少年、アルサスも、「あっ」と声を発して、ぺこりと小さく頭を下げると、ぱちぱちと瞬きをして、屋敷の前に広がっている光景を大きな双眸に映した。
「何なの……? あ、そっちは、昨日の警備騎士団の」
アルサスはマックと目を合わせ、彼が昨日宿駅にいた騎士だと気づいたようだ。マックの側でもそれは同じだった。
「お、お前は……」
宿駅での推理劇を思い出したのか、若い警備騎士の顔に苦々しげな表情が浮かんだ。
「き、君は……」とエリィが、「ここに住んでいるのですか? そういえば、魔法使い見習いだと。もしかして、ダンバルフ老のお弟子さん?」
「ここで師匠の身の回りの世話をしているんだ。師匠はもう弟子は取らないので、見習いという身分だけど、まあ、実際は半分弟子みたいなもので……」と、アルサスはもう一度玄関目の光景を見回して、「それよりも、何が起きたの?」
「お前には関係のないことだ」
エリィが口を開く前に、マックがつっけんどんに撥ねつけると、扉の隙間から顔を覗かせたまま少年は、
「ここをどこだと思ってるの。偉大な大魔導師の邸宅前だよ。こんなところで警備騎士が狼藉を働いていいの? 上に言いつけるよ、師匠の名前を出して」
「……」
明らかに渋々といった体で、マックはこれまでの事情を説明した。話を聞くうち、玄関を出て扉にもたれ掛かっていたアルサスは、説明を聞き終えると、
「死体の検案書を見せてよ」
と手を差し出した。マックは、またも渋々、少年の手に検案書を預けた。ひと通り書類に目を通したアルサスは、
「……全員、数箇所に致命傷がある。側頭部を――恐らく槌矛で――殴られて、さらに左肩口から心臓に達するほどの大きな創傷を負っている。首をとばされた死体は、腹部にも間違いなく致死クラスの刺し傷がある。左腕を失った死体も同じ」
「それがどうかしたというのか?」
「ここまでするかな?」
「……どういうことだ?」
「金品を奪うだけが目的にしては、やりすぎだ。動けなくするだけで十分のはず」
「顔を見られたから、口封じのために殺したんだろう」
「それにしても執拗すぎる。例えば、この二体目の死体なんか、首をとばすか腹部を刺した時点で死んでいたはず。そこに、さらに追撃を加えるというのは……」
「そういうことを平気で出来る、残忍な連中なんだ」
マックはエリィたちに目をやる。ストラグルとヴォルトレイドは声を上げかけたが、エリィに制され、鋭い視線だけで抗議の意思を示した。
「まだあるよ」と、アルサスは、「創傷を負った身体の箇所……これはどれも位置的に、鎧を着ている相手に対して、鎧の隙間を狙って付けられたもののように思える。普通の服を着ている非武装の市民が相手であれば、胸のど真ん中や眉間とか、もっと狙いやすい、かつ確実に致命傷を与えられる位置に攻撃を加えるんじゃないかな……こういったことは、本職の皆さんのほうが詳しいよね。どう?」
アルサスが、一番近くにいた警備騎士に死体の傷の位置が描かれた書面を見せると、捕縛縄を持ちながら書面に目を落としたその騎士は小さく頷いた。少年は、さらに、
「側頭部に鎚矛による打撃を受けたと思える死体も、恐らく本当は兜越しに攻撃を受けたんじゃないかな。生身の頭部に受けたにしては、傷の程度が大人しい」
「だ、だが……」と、マックは、「死体は全員、鎧など着ていなかったし、武器も所持していなかった。創傷に当たる位置の服も破れていたぞ」
「それもおかしい。確かに傷口に当たる部分の衣服も破れているけれど、報告では、血痕がほとんど見られない。衣服ごと創傷を受けたのであれば、間違いなくおびただしい出血で染まっているはず」
「じゃ、じゃあ、どういうことだと言うんだ?」
「この死体は二度殺されている、ということだよ。しかも、鎧を着た状態でね。経緯はこう。一度殺された死体を何者かが亡者作製でゾンビ化して、再び戦闘を起こさせる。ゾンビを完全に倒すには首を撥ねるのが最も効果的だけど、中にそういった死体は一体しかないから、恐らく残りの二体は、僧侶の亡者撃退で無力化されて、ただの死体に戻ったんだと思う。さらに、倒されたゾンビたちから何者か――恐らく亡者作製を使ったのと同一人物だろうね――が武器を取り去り、鎧を脱がせて普通の服を着させて、さらに、創傷を負ったのと同じ位置を破って一般市民に偽装させた。さも、彼らが」ここでアルサスは一度エリィたちを見て、「狼藉を働いたと思わせるためにね」
屋敷玄関前は静寂に包まれた。林に住む鳥の鳴き声が響き、それを契機としたかのように、マックが、
「な、何のために、そんなことをしたというんだ?」
アルサスは首を横に振って、
「そこまでは分からない。僕は、実際の状況から、何が起きたのかを推理したまでだから」
「そ、そんな亡者作製を使うようなやつと関係があるとは、どの道こいつらは怪しい……」
マックは下げかけていた剣を持ち上げ、改めて切っ先をストラグルに向けた。
「まあ、待ってよ」と、アルサスが扉の前から歩いて、「もしかしたら、どうしてこんなことが起きたのかも推理することは可能かもしれない」
「何だって?」
剣はストラグルに向けたまま、マックの顔はアルサスに向いた。
「考えられるのは」足を止めたアルサスは、「彼らが何か重要なものを所持していて、それを奪うため、とか」
うっ、とストラグルが息を吞み、エリィ、ヴォルトレイド、ディーダの三人も目を見張った。アルサスは、検案書をマックに返してから話を続け、
「例えば、濡れ衣を着せて彼らを警備騎士団に捕縛させ、身体検査という名目で目的のものを奪ってしまうため、というのは?」
「馬鹿な! 誇り高き警備騎士団の騎士に、亡者作製を使う亡者使い魔導師もどきがいるとでも言うのか?」
「そう」とアルサスもマックを見て、「亡者作製を使うからには、相手は魔法使いだ。魔法を使える……」
アルサスは、エリィたちを取り囲む騎士たちをぐるりと見回して、
「……あなた」と、ひとりの騎士を指さし、「名前は何て言うの?」
「ヘアーズが、どうかしたか?」
マックが先に名前を言った。アルサスはため息をついて、
「本人に名乗らせたかったんだけど、まあ、いいや。ヘアーズさん」少年は自分が示した騎士を見て、「あなた、左利きじゃないの?」
マックからヘアーズと呼ばれた騎士は、右手で剣を構えていた。
「あっ」とマックも声を漏らし、「そういえば、ヘアーズ、お前の利き腕は確か――ヘアーズ!」
ヘアーズと呼ばれた騎士は、マックに向かって剣を投擲した――が、手を離れた瞬間、剣は煙のように虚空に消え失せてしまった。その動きに一同が怯んだ隙に、剣を投げつけた騎士は騎馬に跳び乗ると、そのまま馬を回頭させて林道を駆け出した。
「追え!」
マックの怒号で、残された警備騎士も全員が騎乗し、逃げた騎士を追走に出た。蹄鉄が地面を踏む音が遠ざかっていく。
「……な、何なんだ?」
静寂を取り戻した玄関前で、ストラグルが呟いた。
「あの、ヘアーズという騎士は本人じゃなかった」と、アルサスが、「自己変身の魔法で変身していたんだ。投げた瞬間に剣が消えたのがその証拠。自己変身の魔法は、装備一式まで含めた他人に化けることが出来るけれど、あくまで幻。身につけているものなどは、自分の体から離してしまった瞬間に消えてしまうからね」
「魔法……。魔法使いが化けていた?」
エリィが呟くと、
「あのときの魔法使いだ!」
ヴォルトレイドが叫んだ。
「彼――彼女かも――は、あなたたちに強盗殺人の罪を着せて、所持品を調べるふりをして何かを奪おうとしたんじゃないかな。そのために警備騎士に化けた」
アルサスは、騎士団が駆けていった林道の向こうを見ながら言った。
「どうして、あのヘアーズという騎士が偽者だと?」
エリィの疑問にアルサスは、
「彼が腰に提げていた鞘だよ。彼の鞘は右腰に提げられていた。通常騎士や戦士は利き腕の反対側に鞘を提げるよね。抜剣が楽だから。であれば、あのヘアーズという騎士は左利きのはず。だけど、実際は右手で剣を構えていた。自己変身の魔法で真似られるのは姿形だけ。あの変身者自身は右利きだから、利き腕側に鞘が提がっているという、おかしな恰好になってしまったんだよ。変身対象者の利き腕まで、入念に調べるべきだったね」
「……凄い」と、エリィは驚嘆の声を上げてから、「ありがとうございます」と一礼して、「二度も助けていただいて。お礼の言いようがありません」
その隣で、ディーダも、ちょこんと頭を下げた。アルサスは微笑んで、
「僕がこの場にいなくとも、誰かしらが見破っていたでしょ。その場しのぎで練った策に違いないよ。あちこちに綻びがあった」
「ですが、それに気が付く頃には、我々はあなたが言ったように、あの書簡を奪われてしまっていたかもしれません」
「書簡?」
「あ……そ、そうです。実はですね――」
「エリィ!」
ストラグルが声をかぶせると、エリィは、
「あ、あの、こちらに、ダンバルフ老はご在宅ですか?」
「師匠? うん、いるよ。奥の書斎で本を読んでいるんじゃないかな。師匠に何か用があるの? 悪いけど、師匠はもう弟子を取る気はないみたいで」
「いえ、弟子入り希望ではなく……」
エリィが否定した、そこに、
「アルサス、お客か?」
玄関扉がゆっくりと開き、ひとりの老人が姿を見せた。豊かな白髪と、その三倍はあろうかという白髭がまず目を奪う。顔に刻まれた皺は年齢を感じさせるが、落ちくぼんだ眼窩に座した目には、鋭い知性の色を秘めた、若々しさすら感じさせる光が宿っていた。
「ダンバルフ老……?」
目を見張ったエリィに、老人は、
「いかにも、わしがダンバルフだ」
と大きく頷いた。
とりあえず、と屋敷内に招き入れられたエリィたちは、そのまま広間に通された。玄関を入ってここまで来る途中、部屋、廊下の区別なく壁はほとんど書架で覆われていた。そのため、廊下などは本来よりも幅が狭くなってしまっている。ただ書架が設えられているだけでなく、その棚はほぼ全て、何かしらの本で埋められていた。来客用の広間とて例外ではなかった。食器棚と窓、それに出入り口以外の壁は全て書架で塞がれている。アルサスは、茶を用意するよう言いつけられて台所に向かったため、エリィたち四人にダンバルフを加えた五人で、広く豪華なテーブルを囲んでいた。
「アルサスのやつが、何か失礼をしなかったかな?」
ダンバルフが訊いてきた。エリィは、「とんでもありません」と手を振って、
「彼、アルサスくんには助けられました。それも、二度も」
「二度?」
「はい。昨日、コンバロ村近くの宿駅で……」
「ああ、その話は聞いたよ。そうか、君たちもあの場にいたのか」と、ダンバルフは得心したように頷いて、「あのとき、アルサスはコンバロ村まで使いの最中でね。宿駅で一泊して帰ってくるところだったんだ。何でも、巷を騒がす狂戦士騒ぎに巻き込まれたとか」
「そうなのです。見事な推理で、その場に狂戦士がいるはずはないと看破してくれました。さらに、先ほどは、警備騎士に化けた魔法使いの企みを見事阻止してくれました。何とお礼を申してよいやら……」
「ほほっ、お役に立てたのであれば、わしも師として鼻が高いな」
ダンバルフは豊かな口髭を上下させて笑った。
「ダンバルフ老は、もう弟子はお取りにならないということを聞いたのですが、であれば、彼が最後の弟子、ということになるのですか?」
「ああ、まあ、そういうことになるかな。あの子、アルサスは、小さい頃からわしのところにいたものでね。弟子を全員送り出したあとも、アルサスだけには残ってもらったんだよ。わしもこの通り歳なもので、身軽に動ける若い者がいると重宝するという理由もあるが……」
ダンバルフがそこまで言ったとき、ティーポットとカップを載せた盆を抱えて、アルサスが広間に入ってきた。彼は盆をテーブルに置くと、カップにお茶を注ぎはじめる。
「アルサス、お茶の濃さが均等になるように、カップには少しずつ何回かに分けて注げと言っとるだろ」
「ああ、そうでしたね。はいはい」
注意されたアルサスは、「いつもは自分と師匠の二人しかいないもので」と言い訳を呟きながら、その時点からポットのお茶を均等に注ぎ始める。各人の前にカップを配り終えてから、アルサスもダンバルフの横に座った。彼がカップを配るとき、客ではなく先に自分の師匠の前に置いたときには、老魔法使いはまた何か言いたげな表情をしたが、それは黙って飲み込んだようだ。
「で、どのような要件で来られたのかな?」
ダンバルフに尋ねられると、エリィは、「実は……」と言い淀んでから、ちらとアルサスに目をやった。すると、
「アルサス、買い物に行ってきてくれんか」
「はい?」
突然、頼み事をされた見習い魔法使いは、頓狂な声を上げて師の横顔を見た。
「買い物に行く日は明日ですよ?」
「いいから。予定が変わったんだ。行ってきなさい」
改めて申しつけられたアルサスは、お茶を一気に飲み干すと、不服そうな表情をしながらも広間を出ていった。その背中を見送ってから、ダンバルフは、
「優秀な子なのだが、我が儘で世間知らずなところがある。目上の者に対する言葉遣いなど、一向に直らない。あなた方にもご無礼があったのでは」
「確かに、生意気なガキですね――痛っ!」
ストラグルはテーブルの下でエリィに脚を蹴られた。
「そんなことはありません。先ほども申しましたが、彼には助けられました」と、エリィがフォローをして、「ご用件というのは……こちら」
鞄から書簡を取りだした。
「この中の便箋に書いてある魔法文字を解読していただきたいのです」
「魔法文字……」ダンバルフは呟いて、「拝見しよう」
と手を差し出したが、
「その前に」と、エリィはすぐには書簡を渡さず、「頼み事をしておきながら、失礼なのは承知しております。ぜひとも、ここに書かれていることは他言無用でお願いしたいのです」
「……どういう理由で?」
大魔導師も差し出していた手を引いた。
「ダンバルフ老を信用してお話します……」
エリィは、この書簡を預かった経緯を話して聞かせた。その間、ダンバルフはひと言も口を挟むことなく、カップを持ち上げて茶をすすってはテーブルに置く、という動作だけを繰り返していた。
「……封蠟に、セントリーア王家の紋章が」
「はい」
エリィは、封蠟が彼にも見えるように封筒を裏返した。老人の鋭い視線がテーブルに置かれた封筒に注がれる。
「拝見しても?」
ダンバルフは書簡に触れようとしたが、
「秘密は守っていただけると考えてよろしいのですね」
エリィの言葉に、伸ばしていた手を止めた。
「安心しなさい。魔法使いだからといって、魔法文字を一瞥しただけで解読など出来ない。しかるべき魔法――魔法文字読み――を使わなければ、何が書いてあるか分からないのは皆さんと同じだ。とりあえず、魔法文字がどの程度のものかを確認したいだけだ」
「失礼しました」
エリィは頭を下げて、書簡を手に取るよう老魔法使いに促した。ダンバルフは封筒から取りだした便箋を広げて目を走らせると、
「……これは」
「どうかされましたか?」
「これは普通の魔法文字ではない。何重にもロックが掛かっている。一度、“魔法文字読み”を使って、すぐに解読出来る類いのものではないぞ」
「ダンバルフ老でも、ですか?」
「丸一日程度、時間が欲しい」
エリィたちは互いに顔を見合わせた。
「秘密は守ると約束しよう」
大魔導師から言葉をかけられると、エリィは一同を代表して立ち上がり、
「よろしくお願いします」
深く頭を下げた。
次回、街に戻ると、警備騎士団では狂戦士討伐のための会議が行われており……。
第16章「魔法使い見習い」




