紅茶一杯も飲めやしない
動揺して叫ぶ私を意にも介さず、猫をマントと首の間に入れている暴君はティーポットの破片の中に転がっている大量の真珠を無視してティーポットの注ぎ口を手に取った。
注ぎ口部分だけを手に取ってどうするんだと思っていると、暴君は私のティーカップへとその注ぎ口を向け、煙草の灰を落とす時のように指先でトントンと軽く叩く。
同時、その注ぎ口から温かい紅茶が出て来て、ティーカップの中へと納まった。
……うわ、赤い。
カップの中を覗き込むと、注ぎ口から出て来た紅茶の色とは明らかに違う色に変化していた。
しかし香りはとても良い物で、あまり詳しくも無ければ違いもわからない私にも良いとわかる香りが広がっている。
暴君はそのまま向かいに居る主様の方へと、机を迂回せずに移動して紅茶を注いでいた。
迂回せずに、だ。
宙を浮いたとか机の上を歩いたとかではなく、机に向かって歩いたと思ったら既に向かいに居る主様の横へと立っていた。
……何だろうな、こう、ゲームのバグ技見てるみたいな気分だ……。
特定の位置からダッシュするとマップのこの位置へとワープしますみたいな、そういうバグ技を見せられた気分。
どういう魔物が混ざってるんだこの暴君。
……というか、暴君って呼び名も多分、こういう常識外の部分が理由なんだろうな……。
自称姉とか医者みたいにわかりやすいタイプの呼び名だと痛感する。
成る程、コレは暴君。
「ミルクとシュガーはどうする?」
「要らない」
主様は端的にそう答え、カップを傾けて紅茶を飲む。
音もなくこくりと喉が動くその姿は、正に神話のようだった。
相変わらず主様の一挙手一投足は全てが全て絵画のようで素晴らしい。
一秒ごとに私からの信仰度が上がっていくレベルで完成されている。
「そっちのキメラは?」
「言ってなかったけど呼び名は変態な。眷属って呼び方でも別に良いけど」
「ふうん、変わった呼び名してるんだな。で、変態もミルクとシュガーは無しで?」
「あ、いや、出来れば欲しいな。ちなみにお前のトンチキ技なら今すぐに爆乳で搾乳可能な美女を出して生絞りの母乳紅茶に出来たりする?」
「何言ってるんだお前!」
混乱なのか照れなのかこれでもかという程に顔を真っ赤にして怒鳴られた。
何だよ変なところで初心なのかコイツ。
……つか、顔が真っ赤にも程があるだろ……。
頬を赤らめるとかじゃなくてマジで真っ赤に染まってる。タコかコイツは。
「まったく、変態ってそういう事か! 恥を知れ! そんな物を出すはずが無いだろ!」
「つまり出せるは出せるって事か?」
「鏡の向こう側に入って逆さまに扉を開いて鏡言葉を読み解き、少し行ったところにある森で小さなキノコの下を潜った先にのカフェに居る」
「クッソ! 実現出来るっぽいのに手順が意味わかんねえよ! もうちょっとイージーレベルに調節しろよ!」
二次元でしか叶わないだろう男の夢が実現出来そうだというのに謎の手順を提示された。
カフェに居るとかそれだけで点数高いのに何だよその無理難題は。
……いや、でも、かぐや姫に出て来た求婚者達は無理難題が相手でも真正面からだったり搦め手だったりでクリアしようと試みたわけだし、ワンチャンいけるか……?
「…………」
本気で作戦を練り始めたところ、何やら甲高い異音が聞こえた。
見れば、絶対零度の冷たい目でこちらを睨んでいる主様が左手で頬杖をついたまま、右手の人差し指を時計の振り子のようにゆっくりと動かしている。
その指先、鋭く尖った爪が先端を引っ掛けるようにしてテーブルの表面をキィーイ、キリリリリ、と引っ掻いていた。
不快な金属音と共に、爪の先で薄く削られた鰹節のような残骸がその場に一枚、また一枚と重ねられていく。
「待ってください主様! 浮気じゃないです! ただの欲望です! その欲望が叶うなら一発頑張ってみるべきかなって思っただけで!」
慌てて弁解するが、主様の目の温度は尚も冷えたまま、にっこりと優しく冷たく微笑まれた。
「今は何をしている時間だ?」
「お茶の時間です!」
つまりエロを絡ませる時間じゃないという事だ。
確かに今の私の発言は肉食ってる最中にモツの部位の話とかをして一緒に居る人の食欲を失わせるような、そういうタイプの発言だったかもしれない。反省。でも男の夢だから仕方がないんだ。男のロマンというよりは童貞向けのロマンって感じだけど。
……大人しく普通のミルクと砂糖入れるか……。
そう思い、テーブルの上に置いてある洋風かつオシャレなお盆を引き寄せ、ちんまりとした可愛らしいデザインのシュガーポットの蓋を開いた。
途端に広がるのは、カビ臭さ。
脳裏によぎるのは雨の日の土が濡れた臭い。
「って何でシュガーポットに土!? まさかミルクポットも……中身真っ白どころか超真っ赤!」
絵画に疎い私でも知っている牛乳を注ぐ女、が使ってる入れ物を小さく白くしたようなミルクポットの中身を確認すれば、たっぷり入った真っ赤な液体からぷわんと美味そうな香りがした。
遠くに鉄臭さがある、果肉たっぷりジュウシィなジュースを連想させる甘い香りは、
「人間の血……?」
キメラからすると確かに味を楽しむ為だけの紅茶よりはずっと腹を満たす物だが、何でミルクポットに入ってるんだ。
思わず眉を顰めてしまう。
……カップの効果で私の紅茶は既に真っ赤状態だけど、血を混ぜたら最早紅茶とは名乗れない何かになり果てるだろこんなの……。
キメラからすれば人間の血液入り紅茶の方が合う気はするが、ミルクティーのつもりで血液入り紅茶飲まされたら普通に大炎上どころじゃない騒ぎだろうがよ。
「なあ変態、お前何でシュガーとミルク入れるって言ったのにシュガーポットとミルクポットを確認して騒いでるんだ?」
「シュガーとミルク入れるつもりだったからだけど!?」
「何言ってるんだ」
マジでコイツ何言ってるんだという表情で、テーブルの上に飾られた花瓶を椅子代わりにして座っている暴君が首を傾げる。
「シュガーポットには土を、ミルクポットには人間の血を入れる。そんな事は常識だろ?」
「常識かなあ!?」
あと何でお前は花瓶に座ってんだよ。明らかにガラス製の花瓶に座るんじゃない。そもそもテーブルの上に乗るな。私にここまで常識的な事を思わせるとは何てヤツだ。
……いや、でも私が常識的な事を言う程にこの空間では非常識と扱われる、のか……?
私の中にある常識という定義が狂いそうだ。成る程まともに考える方が駄目なヤツ。
定義が狂うも何も揺らがずブレずにこの世へ君臨して普通に紅茶を飲んでいる主様を見てメンタル回復。流石は主様、旅人にとっての北極星のように輝いておられる。私のメンタルが毎秒回復していくぜ。
「シュガーはほら、そこに振り子時計があるだろ。時計の針の短針を取り外して傾ければ、その先端から出るに決まってるじゃないか」
「決まってるかあ!?」
「ミルクはほらここに、割れたポットの破片」
言い、暴君は自然な動きでテーブルから降り、テーブルの上に散らばったままとなっていたティーポットの白い破片を手に取った。
大き目の破片であるソレを、当然のように私のカップへと入れる。
……私のカップに何入れてんだコイツ!
あまりにも自然な動きだったので理解が遅れたが、カップの効果によって真っ赤にそまった破片は、そのまま溶けるようにして液体へと混ざってゆく。
警戒して獣のように顔を近付けてすんすんと香りを嗅いでみれば、確かにミルクが混ざった紅茶の香りだ。
……何だろうな、子供の時に読んだ七匹の子ヤギで狼がチョーク飲み込んで声変えてたけど、ソレを思い出させるんだよな……。
チョークを知らない年頃の時はミニ千歳飴の白いヤツかなと思っていたが、小学校に入ってから粉々しい書き物用アイテムと知った時は驚いたものだ。
こんなもん飲み込めるわけねえだろと思ったし、コレとは違うチョークと呼ばれるアイテムがあるのではと疑ったのを覚えている。
まあ、最終的には童話だからそういう不思議な事もあるよねって感じで納得したが。
……だからってリアルな現実にそんなトンチキ起承転結を持ってくんな……!
憧れた世界ではあるけれど、ある程度の常識が備わってから実演されるのはキツイ。
「シュガーはどの時計の短針でも良いんだが……折角ならとびきり甘い砂糖を入れるか?」
「は? そんなんあるの?」
「まあな! 角砂糖何個程入れたい?」
「じゃあ、二個」
「わかった!」
ニパッとした邪気の無い笑みを浮かべた暴君は私の手をするりと取って、私の手首を左手で確保したまま、右手で人差し指の先端を掴んだ。
直後、私の指先がパキリと軽い音を立てて割れた。
「……? ――いや待て待て待て!? 今何した!? 何が起きた!?」
「え? 角砂糖二つ分なんだろ?」
言い、暴君はへし折った私の指先をカップの中へと放り込み、もう一度指先をへし折ってまたカップの中へと放り込んだ。
第一関節と第二関節が小枝のようにパキパキ折られたが、痛みは無い。
……いや、激痛なら即座に痛覚が利かなくなるから痛くないのは当然だけど、
へし折られて割るように切り取られたというのに、血が出ていないのだ。
幾ら私の再生力が高いとはいえ、その瞬間だけ血が出るはずなのに。
間もなくしてすぐに指は回復したが、一体何がどうなっているんだか。
「本当は性別が女なら何でも良いんだけどな。でも紅茶にシュガーを入れるなら、女の一部を入れるのが一番甘い」
「えええ……」
確かに紅茶には甘い香りも混ざり、色合いさえ気にしなければ飲みやすそう。
しかしティーカップの破片に加えて私の指が入ってる紅茶というのは随分とハードルが高い。
人間を食い殺すようになって一年が経過したとはいえ、そこまで常識を捨てたつもりはないのだが。
「まったく」
向かいに座っていた主様はどうやらここまでの間に紅茶を飲み干したらしく、カップを置いた。
同時、私の隣に立っていた暴君の頭が弾け、噴水になった。
……うっげ、長い時間掛けてようやく飲み頃の味になった紅茶に暴君の血ぃ入った……。
キメラにとって人間の血液はジュースのような甘露だが、キメラにとってのキメラの血はただの血でしかないので真面目にただの異物混入。
ティーカップの破片と私の指先の時点でも異物混入だが、トンチキ効果で多分ギリセーフ。
しかし今の異物混入は確実にトンチキ効果の範囲外。畜生さっさと飲んどきゃ良かった。
「いや、でも主様の手によって殺された暴君の血液が入ったって事は、主様の手によって紅茶が淹れられたのと同義では?」
「そんな解釈が通るはずないだろう。暴君自身がそう言ったならともかくね」
「もっと夢を見させてくださいよ主様!」
「というか私は何で殺されたんだ?」
ああビックリした、と既に頭部が再生している暴君が確認するように首をぐるぐると回す。
結構しっかりめに動かしても頭に乗せられている王冠が落ちる様子を見せないのは凄い光景だ。
……というか突然殺されたにしては随分とあっさりな……。
まあ私は私で突然指を砂糖のようにパキンと割られてもそこまで派手な反応はしなかったし、不死身の体に慣れてるならこんなもんなのかもしれない。
「特に理由は無いけれど、そうだね」
椅子の背もたれに体重を掛け、主様は隣の椅子をぶん投げた左手を握るようにし、爪を見る。
本当にどうでも良い事であるかのように爪の先を確認してから、主様はこちらの方を見てにっこりとした笑みを浮かべた。
「何だか酷く苛立ったものだから」
「理不尽過ぎないか!?」
「そうは言っても、僕の眷属を無断で傷つけただろう」
「えっ!? 主様ってば私への心配から隣にあった椅子をぶん投げて暴君の頭を潰してくれたんですか!? 主様から心配されるだなんてこれはもう死んでも悔いが無いレベルにハッピーですね! いえ、出来ればまだまだ主様に仕えて主様の言葉や姿を脳に叩き込みつつ筋肉とか雄っぱいとかを堪能したいですけど!」
「心配はしてない。もう死んでる。気持ち悪い」
「褒め言葉です!」
端的に返されたがこちらとしては私が傷つけられた事で主様が不機嫌になってくれたというのが嬉しいのでヤッターと万歳。
隣についさっき頭を吹き飛ばされた暴君が居るけど知らん。私は嬉しい時は素直に喜ぶタイプである。キメラにそんな気遣いを期待しても無駄無駄に無駄。




