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61 中学二年初夏・霧島真の確固たる想い

みどり色の四季だより 幻の40


「霧島くん、私も、授業中、してしまったことがあるのよ」

 凛と言い放った佐賀会長の言葉を、僕は息を止めたまま聞いていた。

「誰にいじめられたわけでもないし、すべては私の責任だったわ。ちゃんとトイレに行きたいと先生に言えばよかったのに、言わなくてそのまま座ったまましてしまったの。自己責任よ」

「会長、それは」

 まったく表情を変えず、気品ある態度を崩さない佐賀会長。言葉が流れてくるのが信じられない内容だ。

「でも、クラスの人たちはみなやさしい人ばかりだったし、それほど引きずらないですんだの。そうね、今思えば私は、運がよかったの」

 ゆっくりと言葉を選ぶ。他の女子たちに比べて、礼儀ただしくそれでいて気持ちよいこの態度。

 僕の頭の中にある、「女子」とはまったく異なる存在だった。

 その佐賀さんが、まさか。

「渋谷先輩をかばうための嘘ですよね」

 つっぱねたかったが、佐賀会長は首を振った。

「新井林くんに聞いてみればわかるわ。本当よ」


 ──嘘だろ? だってまさかだろ? あの会長が。

 僕の概念では絶対にありえないことだった。僕の知っている限り佐賀会長以上の女子は存在しない。

 いや、彼女は「女子」という概念から外すべき存在だった。

 小学生レベルの漢字もルビを振らないと読めない頭の悪い女子が姉だった。青大附中には裏金を使って入学したもののついていけなかった馬鹿な姉。結局学校からも見放され、現在は底辺私立女子高に通っている。我が家の恥だ。さっさと卒業して、さっさと結婚して、霧島家から出ていってもらいたい。誰もがそう思っているはずだ。

 だから女子に幻想を持ったことは、生まれてこのかた一度もなかった。

 僕に手紙を送ったり、つきあいをかけてきたりする女子に対しても、まったく感情が動かなかった。

 ──どうせ、みな、うちの姉貴みたいにばかばっかりだ。

 馬鹿な頭を隠すために、懸命に威張ってごまかそうとし、結局ばれてしまうのが落ちだ。

 だから僕は、頭の悪い女子との交流を一切断っていた。しかたなく生徒会がらみで付き合わざるを得ない女子もいないわけではないが、それなりにきっちりとけじめをつけるようにしてきた。そうだ、まさに。だから、だ。

 ──会長が、もらしたことがある。まさか。


 ことの発端は、一年上の先輩で現在書記を担当している渋谷先輩の大失態だった。

 僕は下級生ということもあり仔細を確認したわけではないが、噂によるとかなり真実味のある情報が流れてきていた。

 まず、渋谷先輩は修学旅行四日目に、ホテルの客室にていわゆる「おねしょ」をしでかしたそうだ。それならよくあることだろう。その後、同じ部屋の女子に頼み込み入れ替わったという。どうしてばれたかというと、渋谷先輩は一日目にも同じ失敗をしていて、その際に布団を濡れたまま旅館にしまいこみ、知らん顔をしようとしていたからだという。

 話を簡単にまとめただけでも、まったくもって「馬鹿」としか言いようがない。

 いまだに夜尿症が治っていない、それだけでも情けない話だがそれは置いておく。

 保健の都築先生にはすでにばれていたらしく、その日の帰り、渋谷先輩は呼び止められ弁償およびその行為について厳しく叱責されたそうである。もちろんばれないように気遣いはしていたようだが、そんなのすぐにばれるだろう。次の日から一週間ほど、渋谷先輩は学校を休み、ことは公となったわけだ。

 つまり、「自分の失敗を人に押し付けて、しかも観ない振りをしようとした」その態度を責められたということだ。

 夜尿症の問題うんぬんではない。人間性の問題だ。


 僕は別にそのこと自体を責める気はない。だが、そういう人格の人間と一緒に仕事をすることが苦痛だっただけだ。

 さらに言うなら、僕を直撃していかにも能力がありげな態度をとる、それが気に入らないだけだ。

 能力の有り無しはすでに、僕にははっきり浮かび上がっているというのに。

 ──彼女は、姉貴と同じ場所の人間だ。

 そのことに女子は一切気付こうとしない。それどころか持ち上げようとする。能力があるのだと嘘で塗り固めようとする。

 結局そういう行為が続いた結果、評議委員会が生徒会に事実上の吸収をされてしまった事実を、誰も見つめようとしない。

 だから僕は、評議委員会の二の舞を踏ませたくない、そう考えていたのだ。

 それゆえに、僕は渋谷先輩にくぎを刺しておく必要性を感じていた。きちんと自分のいるべきポジションに戻るべく、きちんと助言をしていたに過ぎない。彼女が書記で、僕が副会長である以上、多少の力差はあるし、それは佐賀会長もわかってくれているようだ。しかし、当の本人が一年先輩という事実を肩にきて、威張り腐った口調でいろいろと命令をする。それは違うのではないだろうかと何度か僕は言い返したが、例の事件が起こるまではまったくもって、認めようとしなかった。

 僕がつい口走ってしまったのは、いわば必然といえよう。

 ──お言葉ですが、自分の過ちをきちんと認められずしかも人に押し付けようとするような人と、僕は仕事をしたくありません。僕は、渋谷先輩と一緒に生徒会室にいることに耐えられません。もしこれから先、共同作業を一緒に行いたいならば、自分の立場を反省して、その上でこれからのことを考えてください。先輩であることと、能力の差とは、関係ありません。

 僕が、能力あるものとしてみとめるのは唯一、佐賀先輩だけだ。

 きちんと僕より力がないことを素直に認めるだけではない。いろいろな人たちに好かれ、大切に扱われているのがその証拠だ。

 佐賀先輩は男子をきちんと敬うだけの礼儀をわきまえ、それ以上に僕たち後輩の能力をきちんと認め、好きにやらせてくれている。

 いわば「象徴会長」と言えるだろう。彼女は象徴であることにより、生徒会を守る能力をもっているのだ。決して渋谷先輩のようにずうずうしく割り込んでいって、自分がすごいとか頭がいいとか言いふらそうとしない。


 そんな佐賀会長が、まさか。

 立ち直れないくらいの衝撃だった。僕は半分口を開けていたと思う。

「佐賀会長、僕は」

「そういうことなの。私は副会長のお姉さんを知っているし、正直、つらいこともありました。だから、お姉さんと同じ風に渋谷さんが見えてしまうのもわかる気がします。それは、私もよくわかります」

 そうか、姉貴をこの人はよく知っていたのだ。一時期評議委員だったはずだし、あの無能姉貴にずいぶん嫌がらせをされたらしい。馬鹿は馬鹿同士くっつきたがる習性だとかで、結局は同学年の女子と自殺を企て……さっさと死んでくれれば丸くおさまったんだが、こうやって注意を引いて同情を求める態度もむかつくが……トラブルを最後の最後まで悪化させて追い出された。ざまあみろと僕は面と向かって何度も言ってやったが、まったく気付く気配すらない。

「でも、だからといって、渋谷さんを同じ扱いとしてしまうのはつらいわ。だって誰もが同じ失敗をしてきたかもしれないのに」

「会長、そういうわけでは」

 僕が言いかけると、悲しそうなまなざしで佐賀会長は続けた。

「もちろん私も、副会長にとって渋谷さんが迷惑だということも感じないわけではないの。ですから、なんとかしたいとは思っているんです。たとえば、彼女に直接、書記以上の任務を求めないでほしいとか、霧島副会長の業務に手を出さないでほしいとか。もちろんそれは、生徒会長として言うつもりなの。それは仕事ですもの。でも、彼女の性格をうんぬんするのは間違っていると思うわ。だって、直しようがないんですもの」

「直しようがない?」

 努力しないだけではないのかと尋ねたいが、相手は佐賀会長だ。黙っている。

「どんなにほしくても手に入らない人たちというのがいるの。私、それを小学校時代とっても感じてきたの。現在与えられている評価で十分なのに、どうしてもそれ以上に認めてもらいたがる人がいるの。でも、そんなもの、誰も与えたいとは思わないから自分たちで我慢してほしいというしかないの。それを嫌がった人たちが暴れるだけ暴れて、結局壊してしまったのが評議委員会だったと思うの」

「佐賀会長、僕もそう思います」

「渋谷さんは、書記の仕事をするだけならば、十分能力がある人だと思うの。だからそれ以上の仕事に手を出さないという約束さえしてもらえれば、かえって霧島くんの役には立つはずよ。私、それは確信しているの。友だちとしてではなくて、役員としての評価として」

「まあ、一応先輩ですからね」

「それだけまず我慢してほしいの。その上で、改めて私の方が渋谷さんに言います。書記としての職務だけまっとうしてと伝えます。そうすれば、いいでしょう? ビジネスとして、割り切れるでしょう?」

 僕はしばらく黙っていた。目の前で涼やかに語りつづける会長の瞳に見とれていた。

 ──こんなに完璧な人なのに。

「そのかわり、霧島副会長にもお願いしたいの」

「何をですか」

「もう二度と、修学旅行関係のことで、彼女を責めないでほしいの」

 ぐさりと来た。思考停止した。

「私もこういう話をするのは恥ずかしいけれど、霧島副会長ならわかっていただけると信じてるから言うわ」

「僕がですか」

「そう。私も五年生の時に失敗した時以来、たまに言われるの。五年の時におもらししたくせにって。恥ずかしいわ。でも本当のことだから言い返せないのよ。ちゃんとトイレに行きたいと言わなかった私が悪いんだとわかっているから、責められているようで惨めなの。でもね、あとで新井林くんたちから聞いたけど、男子同士でそういうやりとりはそれほど重いものではないそうね。だから、あまり気兼ねなく言えてしまうのかもしれないわ。でも女子にとって、その言葉は死になさいというのと同じ意味合いを持つの」

「自己責任のくせにですか」

 まずい、会長を責めてしまうように聞こえる。会長は気にしないように見えた。

「そうなの。だって恥ずかしいもの。お手洗いに行きたいというところがばれてしまうことも恥ずかしいの。それに渋谷さんの場合は、自分でコントロールできないところでの失敗よ」

「違うでしょうそれは。僕も都築先生から聞きましたが、普通夜尿症をもつ人は前もって、先生に報告する義務があるそうです。僕の通っていた小学校でもありましたが、修学旅行の時はきちんと報告していたはずです。夜中に起こしてトイレに連れて行くというのも仕事としてあるそうです。それを怠ったというだけで、まず自己管理を責められるべきでしょう」

「霧島副会長、そうね。それはその通りね」

 頷いた会長は小首を傾げ、そっと耳元の髪の毛に触れた。

「女子としては、たぶん知られたくなかったのねと思うけれど、自己管理をする上では渋谷さんは間違いを犯したわ。報告義務を怠ったことについては私もかばえないわ」

「ですよね、だからですよ。僕が言いたいのは」

 まくし立てた。

「僕は渋谷先輩が布団に地図を描いた点においてはそれほど追求するつもりもありません。トイレットコントロールのしつけができていない情けない人だとは思いますが、それは僕と関係ないところです。しかし、自分のしたことに責任が持てず人に物を押し付け、しかも自分の保身しか考えていない渋谷先輩の言動を、僕は生徒会役員としてどうしても許すことができないんです」

「そうね、霧島副会長は、きっと渋谷さん自身のことが好きでないのね」

「ええ、大嫌いですよ、無能な女子はただでさえ嫌いですからね」

「それならば、役員としての仕事の中でのみ責めればいいわ。それならば私は止めないから。ただ、修学旅行の件は、生徒会役員としての失敗ではないわ。三年の一個人、一女子としての、失敗なの。それを忘れてはいけないのよ。一個人の失敗をどういう理由があろうとも、仕事に絡めて責める権利は、霧島副会長にはなくってよ」

 

 佐賀会長の言う通りだ。残念ながら言い返す言葉が見当たらない。

「わかりました。その件については反省します。申し訳ありません。その代わり、生徒会役員としての枠を越えた行動をされた時には、僕はためらうことなく、抗議しますので、その旨お忘れなきよう」

 威厳を保つように言ってみた。佐賀会長も頷いた。相変わらずの静かな微笑みが残っていた。

「それとひとつだけ、僕なりの意見を伝えておきたいのですが」

「なあに?」

 やんわりと、あどけない声。ふとこの瞬間、火がともされたような気がした。


 ──今こそ、言う時だ。


 僕が渋谷先輩に発した言葉の多くは、おそらく「修学旅行でのおねしょ」に絡めてののしったように伝わっているのだろう。佐賀会長がいきなり、自分の失禁経験を告白したのも、そこに絡んでいるのだろう。もしこれが佐賀会長の言葉でなければ、僕も無理に訂正を必要とは思わなかっただろう。実際、姉の同級生で評議委員だったという女子の先輩も……どう考えてもしそうにない顔しているまともな人に見えた……五年の時教室で失態を犯したというし、その段階で僕は彼女に対する尊敬の念をなくした。所詮、ただの頭の悪い女子と認識したに過ぎない。しかし、佐賀会長に関しては、なぜかそのランク引き下げが行われなかった。それどころかむしろ、僕という男子に対して堂々と言い放った態度がりりしく、むしろ心地よく感じた。

 そんな風に感じられた女子は、佐賀会長しかいなかった。

 それはすなわち。


「僕は、佐賀会長のことが好きです」

 一息に告げた。

「仮に、渋谷先輩の行為が佐賀会長であったとしても、僕は佐賀会長のことが一人の女子として好きという気持ちは変わりません。半年後の改選で僕が佐賀会長以上の力を得た時に、ぜひ一度、ご検討ください。それまではきちんと、副会長としての仕事をやり遂げます。以上、よろしくお願いいたします」

 言った後、顔が火照ってきた。心臓がどきまきしている。かばんを持ち、僕は慌てて生徒会室を飛び出した。


 ──とうとう言ってしまった……。

 すでに佐賀会長には、評議委員長の新井林先輩がいるというのにだ。

 もちろん、思惑がまったくないわけではない。しつこく渋谷先輩が僕に張り付くのをやめさせてほしいから、カモフラージュというのも考えなかったわけではない。だが、新井林先輩率いる評議委員会を不要に敵にする気もない。となると、僕の告白は決してプラスのものではなかったはずだ。それでも、言わずにはいられなかった。

 この世の中で女子ほど馬鹿な存在はないと思ってきた。自分で責任も取れず、何も考えることができず、男子に甘ったれて何一つ片付けられない無能な存在。だから男尊女卑と呼ばれる思想が存在するのだし、それを否定できないのならば素直に言うことを聞いて迷惑をかけるなといいたかった。僕の馬鹿な姉もそうだ。あんなに能力がなく、それでいて自分を認めてもらいたがる醜さに、殺意すら感じていた。だが、生徒会に入り、僕は初めて、どんなしくじりをしていてもまったく価値の変わらない女子と出会うことができたのだ。姉貴を初めとする馬鹿な女子と同じ「おねしょ・おもらし」の失敗をしているにもかかわらず、動揺せず、堂々と認めて、心まっすぐに生きている女子と出会えた。それがたとえ、一年上であろうともかまわない。女子以上の女子、完璧な女子だった。

 この人以上の存在は、絶対にありえない。

 もしかしたらもう二度と、出会えないかもしれない。

 腐った女子だらけの中で、たったひとり見つけた完璧な輝きを、たとえ先約済みと呼ばれようが決して失うわけにはいかない。

 ──改選で、僕は生徒会長となる。その日にはきっと。


──終──

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