第五十五話 秋生まれのメイプル
薬師フィーフィとの生活。
朝のヤギのミルク搾りから、ヤギ小屋と鶏小屋の掃除、井戸の水汲み、野菜の世話、家の掃き掃除、フィーフィの手伝いに、食事の手伝い……結構やることが多い。
その合間に薬草採取に出かけ、薬草の効能やその特徴を言葉で教えてくれる。それでも足りないときは、本棚にある薬学書を全て読んでおくようにとフィーフィは言う。
回帰前、ジェイドがシリウスだった頃。学園生活では、薬草学の科目に取っていなかった。ゼロから覚える知識に、負けず嫌いのジェイドは新鮮な気持ちで挑んでいるところだ。
杉以外の木々が赤や黄色の落ち葉を降らす秋半ば。
以前ダグラスからもらったコンパクトが突然、鳴り響いた。掃除の途中だったジェイドは慌ててコンパクトを開く。
「よっ、ジェイド。体の方は良くなったか?」
コンパクトが青白く光ると、ダグラスの声が響いた。
「ダグラス副隊長!」
彼は以前と変わらず、渋い大人の声をしている。
「今日の午後、双剣の修行でもしないか?」
魅力的な誘い。あの夏の朝、一度だけ庭でダグラスと双剣の訓練をしてから何もしていない。あの家に置いてきたダグラスからもらった双剣の木剣。
「いいですけど、どこで修行をしますか?」
「マリベラの滝の前まで来れるか?少し外れに原っぱがあるんだ。そこでやろうか」
「はい。分かりました」
「そうだな。お昼を済ませてからだな。ちゃんとお世話になっている人に許可をもらえよ?」
「伝えておきます。では、また後で――」
コンパクトを閉じたジェイドは、喜びのあまり自分のベッドへダイブをした。
ジェイドは、双剣の訓練でダグラスと対峙したときのことを思い出す。
あの時ジェイドのなかで、ダグラスは理想な父親像そのものだった。大きくて、強くて、温かくて、ダイナミックで、それでいて子どもの目線に合わせてくれる大人……。
でも、レイアの父親なんだ。俺の父親ではない。二人の絆の間に割って入ることなどできない。そんなことを分かっていたはずなのに、心の中で期待が膨らみすぎてしまった。
「……俺にも本当の両親がいる。早くその人達に会いに行きたい……」
ジェイドは顔を枕に埋めながら、ボソリと呟いた。
「早く旅ができるように、力をつけて準備をしなくては……」
本当は分かっている。今の幼い俺には長旅は耐えられない。路銀もないし、力も、知恵も足りない。
今はここで生きる術を学ぶ時期。ここを旅立つ日その時まで……。
「……おっと、いけない!!フィーフィに早くダグラスのことを伝えて、午後出かける準備をしなくては」
ジェイドはベッドから起き上がると、急いで1階へ降りていった。
❇❇❇❇❇
数時間後――。
食事を済ませてから、お昼過ぎに水の精霊たちとマリベラの滝の前までやってきた。
――ゴォォォォ………。
真っ白な水しぶきを上げて垂直に轟く美しい大滝。
マリベラの滝の周りの木々は、七割ほど赤や黄色に染まり、たゆたゆと流れる滝つぼには真っ赤なモミジや黄色いカエデの葉が水面を滑らせていた。
美しい景色を前に、ジェイドは手を広げ大きく深呼吸をする。
程よい良い湿度と爽やかな風が心地よい。
「ここはいつ来ても癒やされるね。秋衣を纏った大滝もとても綺麗だ」
〈ふふふっ、愛し子に褒めてもらえるなんて光栄だね〉
ふわりと冷気が漂ってきたなと思ったら、霧のようにマリベラが現れた。足元まで長く美しい銀色の髪と白衣が秋の景色にとても良く映えていた。
「あの……マリベラ様、久しぶりだね」
〈あぁ、そうだな。愛し子も元気そうで何よりだ〉
マリベラの瞳の奥には慈愛に満ちた光が映っていた。
「あのさ……俺、マリベラ様に、お礼を言わないとって思っていたんだ。俺になに不自由のない生活をさせるためにフィーフィに金塊を与えたでしょ?……俺はマリベラにあんなひどいこと言ったのに……」
指先をモジモジさせながら、ジェイドは視線を落とした。
〈気にするな、愛しの子よ。『親子ではない』というのは当たり前のことだ。そのようなことで心を痛めたなどおらぬ。それにな……フィーフィに手渡した金塊など、いくらでもこの辺に眠っているわ。それが愛し子の役に立つのなら、それでいい……フィーフィには愛し子が大きくなるまでしっかり面倒見るように契約を交わしているからな。安心なさい〉
「ありがとう……マリベラ様!」
マリベラはそっと白魚のような白い手でジェイドの頭を撫でた。
〈ところで……愛し子はそのことを伝えにわざわざここへ来たのか?〉
「謝りに来た目的もあるけど、実はここにはダグラスと待ち合わせをしているんだ。双剣の剣術を教えてもらうために」
マリベラの細い眉がピクリと動いた。
〈ここにいるつぶっこたちは、愛し子の魔力のほとんどを所有しておる。精霊の力をもってすれば戦闘に関して負け無しと思うのだが……〉
「剣術も学んでおきたいんだ。いつか大きくなって両親を探す旅に出る時に備えて……強くなっておきたい。自分自身を鍛えたいんだ!!」
ジェイドは真っ直ぐにマリベラの瞳を見つめた。ジェイドの決意は固い。
〈……ならば、ここにいるつぶっこたちに肉体を持たせてやろう。そして剣術とやらを共に学ばせるがいい。ひとり稽古よりはまだマシであろう……〉
マリベラは大滝の方へ指をさすと、一瞬だけ青白く光を放った。すると滝の中から一本の白い苗木がゆっくりと現れた。
つぶっこ全員《あ〜っ、あの木は!!!》
つぶっこたちの様子がおかしい。何やら興奮しているのか、あちらこちらにブンブンと飛び回り喜んでいる様子だった。
白い苗木はマリベラの前に移動すると、根っこのほうだけ地面へ潜り込んだ。ジェイドの膝丈ぐらいしかない小さな苗木。
「この苗木を一体何に使うのですか?」
マリベラが今からしようとしていることがジェイドには把握できない。
〈これはな、精霊界にしかない特別な苗木。本来なら大精霊が世界を歩くときに使うものだが、大精霊からの許可は以前から取っていた。ただ時期が早くなったと思えばいい〉
つぶっこA《私たちが使ってもいいのですか?》
〈下級精霊がこれを使うのは異例のことだが、特に問題はなかろう〉
マリベラは苗木に手をかざした。
〈我らは森羅万象の理の根源なり。生命の樹、仮初の器へ清らかな水の御霊を受肉せよ!〉
唱えた瞬間、マリベラの指先から青白い光の粒子が零れ落ち、白い苗木の幹へと吸い込まれていく。
苗木の葉がサラサラと音を立てて波打ち、苗木が徐々に伸びていく。
ジェイドは不思議な儀式を固唾を飲んで見守っていた。
〈下級精霊たちよ、お入りなさい〉
マリベラの言葉で5つの小さな水の玉たちがすっと吸い込まれるように白い木に吹い込まれていく。
すると、目に刺すような強烈な光が放った。
「うわぁっ!!」
ジェイドは反射的に瞼を閉じ、たまらず顔を伏せた。
しばらくして、辺りがしんと静まり返った。滝つぼの轟く音しか聞こえない。
「……何が起こったんだ?」
ジェイドはそっと目を見開いた。マリベラは傍らで微笑むだけで、先ほどあったはずのものがない。
「えっ、苗木が……消えた?」
「わあっ!!」
いきなり背中に誰かが触れ、心臓がビクンと飛び跳ねた。今の声はマリベラじゃない。
振り返ると、銀髪の子供が立っている。しかも全裸。背丈はジェイドよりも少しだけ低いぐらい。
「やっほー!ジェイド!」
肌艶の良い、オカッパ頭の子供が青い目をキラキラさせてこっちを見てる。
「誰?」
「つぶっこたちだよ!分かんなかった!?」
この明るいテンションは間違いない。あの水の精霊たちが人間になったのだ。
「みっ……水の精霊って人間になれるのか!?」
ジェイドは胸をドキドキさせながら、その子の手に触れた。
「あっ……温かいし、柔らかい……。なんで?」
〈人間のように擬態しただけだが、人間の感触により近い〉
「普通に食事もできるの?」
〈できる。ただし、排泄はしない。食べたものは体内で跡形もなく消える〉
「あっ、でも服を着なきゃって……女の子!?」
ジェイドは素早く背を向けて頭を抱えた。
「うん、女の子にしたの。変だった?」
なんとなく思っていた。つぶっこたち五粒は、男の子っぽいのも混ざっていたけど、ほとんどが女の子みたいな口ぶりだった。
「あぁ……。でも、服は着なきゃだめだよ。」
「だったら精霊の衣でも着てるね」
ジェイドはそっと横目でチラッと見てみた。『精霊の服』というのが気になったのだ。
すると、マリベラがその子に手をかざしていた。
「わーい!!」
自分と歳が変わらなそうなその子はくるくると回り始めた。白い糸のようなものがキュルキュルと高速でジェイドとそっくりな白いシャツを作り上げていた。下も、同じく半ズボンのようだ。
〈今は、これでよかろう。フィーフィに靴は買ってもらえ〉
「ありがとう、マリベラ様!!」
純粋にはしゃぐ、水の下級精霊は、ぴょんぴょんジェイドの周りを飛び跳ねた。
「待て待て待て!!!靴を履かないと足をケガするぞ。水の精霊なら、足を水の玉でガードするんだ!!」
ジェイドは靴の大切さを知っている。靴を履かずに一人で森を彷徨ったことがある。足の裏は傷だらけになり、ジェイドは心底、靴の重要性を骨身に知っていた。
「あっ、知ってる。ジェイドもやっていたあれのことね。分かったよ!」
その子はすぐに足の周りにぴったりな水の玉を作り出した。見た目はスライムを踏んづけている格好にみえる。
「でも、名前はどうするの?」
マリベラは少し考えた。
〈お前が名付けをしたら、この子との親密度が高まり、遠くからでも意思疎通が可能になる。精霊力も増すであろう。この子に名前をつけてはもらえないだろうか?〉
「名付け親になるのか?俺が!?」
「いぇ~い!なまえ♪なまえ♪なまえをつけて〜♪」
妙なリズムで踊り出した。
「分かった、分かったよ!!君の名前は――メイプル。今日は君の誕生日だ。秋のモミジに囲まれて生まれた女の子のことだよ」
「メイプル……メイプル……メイプルかぁ〜。かわいい音の響きだね!気に入ったよ、ジェイド!」
メイプルはジェイドに抱きついてピョンピョン跳ねた。
「ジェイドと同じ人間だぁ!同じ背丈だぁ!わあ〜い!!」
下級精霊たちは精神年齢が若いのか、まるで子供そのものだ。
「俺より子供っぽいぜ!あはははっ!」
「ジェイドが、笑った!やったぁ、あははっ!」
――ガサッ。
メイプルがはしゃいでいるところで、後ろから落ち葉を踏む音が聞こえた。
「よっ!ジェイド。久しぶりだな」
「あっ!」
息を切らせたダグラスが、そこに立っていた。




