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第五十三話 新しい生活

自分に割り当てられた部屋に戻ったジェイドは、ベッドに座り一息ついた。


「疲れているけど、まだ寝るわけにはいかないな」


横になる前に自分が記憶を失った頃の話を水の精霊たちから聞きたくて、彼らを呼び出した。


「水の精霊たち!ここに来てくれないか?」


ジェイドの一声で水の玉が五つ現れた。


つぶっこA《ジェイドが、私たちを呼んでくれた!》


つぶっこたちは喜んでジェイドの頭の周りをふわふわ飛んでいる。


「聞きたいことがあるんだ」


つぶっこ全員《知ってる〜!》


つぶっこA《赤ちゃんの頃の話でしょ?》

つぶっこB《違うよ!ワイバーンに攫われた話に決まってるだろ?》

つぶっこC《何言ってるの?孤児院で貴族に拾われた話でしょ?》

つぶっこD《違うよ!!人買いに攫われて、運よく逃げられた時の話だろ?》

つぶっこE《みんな、そこは曲芸師の一家と旅した話からのほうがいいじゃないか?》


ジェイドは、水の精霊たちの話を聞いて、愕然とした。


「み……みんな、俺の身に一体、何が起きたんだ?」


一瞬、目の前が暗くなった。指先が氷のように冷え、手のひらから冷や汗がじっとりと濡れた。胸の鼓動がいつもより早い。


「ワイバーンに、孤児院、人買い、曲芸師?全くわけが分からない……うっ!!」


ジェイドは脳みそが千切れるような酷い耳鳴りに襲われた。耳元でガラスを爪で引っ掻いたような異音は強烈な苦痛をもたらした。


ズキン、ズキン、ズキン――。


こめかみの血管が脈を打ち、ひどい頭痛が始まった。


「うぅっ!!……くそ、どうして急に頭が……頭が割れるように痛いんだ!!」


あまりの痛さに、ジェイドは頭を手で押さえ込んだ。


つぶっこA《ジェイド、大丈夫?じゃないみたいね》

つぶっこB《お前らがあれこれ言うからだぞ!!》

つぶっこD《私たちのせいにする気?》

つぶっこC《つらそうだね、ジェイド》

つぶっこE《そんなことより、フィーフィ呼ぼうよ》


つぶっこたちは、フィーフィを呼びにドアの細い隙間を通り抜けていった。


フィーフィが部屋に現れた時には、ジェイドは体が熱くなり、何も考えられなくなった。


「馬鹿たれが!!魔術で封じられた記憶に触れようとするからじゃ!!!」


フィーフィはすかさず、ヤギの糞のような黒くて丸いものをジェイドの口に放り込んだ。


「苦っ!?」


「いいから水を飲め!!」


口の中の薬をなくしたいがために、コップ一杯の水を勢いよく飲み込んだ。


吐き気で戻しそうになったが、ジェイドは口を塞いで堪える。


やっと胃のほうが落ち着くと、フィーフィの浮遊魔法でベッドへ寝かされ、布団を掛けてくれた。


(はぁ、魔術で記憶を封じられたのか、俺は……。ビクター大神官の仕業……)


ジェイドは重い瞼を落とし、そのまま意識を手放した。



❇❇❇❇❇


――翌朝。


ジェイドの瞼が軽くなり、ふと薄く目を開けたら、こげ茶色の梁が真上に見えた。壁側に寝返りを打つと、小さな窓から薄っすらと朝靄が広がっているのが見え、杉の森は不思議な空気感に包まれていた。


ジェイドは上半身を起こして、窓を少しだけ開けた。秋の朝は少し肌寒く、空気も草むらもしっとりとしていた。


昨夜の頭の痛みはもうない。


(でも、もう少し寝ていたい……)


ジェイドは横になり布団を頭からすっぽりかぶって、もう一眠りつこうとした……。が、いきなり布団を剥がされた。


「ふっ!?」


ジェイドは、寒さで反射的に体が幼虫のサナギのように縮こまる。


「もう、痛みは治まったろ?さあ、朝だ!働け小僧!」


音もなくやってきたフィーフィが、ニヤリと笑う。負けじとジェイドも布団を引っ張り返して寝ようとした。


「やだ、もう少し……」


「だめだ」


「あと、5分……」


「今、起きろ!!」


❇❇❇❇❇


ジェイドの朝の仕事は、ヤギの乳搾りから始まる。


何もかも初めてなことばかりなので、乳搾りのやり方をフィーフィから教えてもらう。


ヤギの乳が、こんなにもプルンとして柔らかく温かいなんて知らなかったし、体はそんなに大きくもないくせに、バケツが溢れるぐらいにミルクが出るのも不思議だった。


「次はニワトリ小屋から卵を取っといで!」


ジェイドがニワトリ小屋に近づこうとすると、おんどりが小屋の屋根に登って、ジェイドを警戒していた。


二羽のメンドリを守ろうとしているのだろうか。見たことない小さな生き物に警戒しているのかもしれない。


ジェイドは恐る恐るドアに近づこうとするが、飛ばない翼をばたつかせ威嚇し始める。


〈コォケェェーー!!!〉


「卵を取りたいだけだよ?」


〈コッコッコォケェェーーー!!!〉


鶏小屋の前で立ち往生していると、後ろの杉の木から鳥の羽音が聞こえた。


〈ピッ?なんだ。わがあるじは、ニワトリがニガテなのか?〉


――聞き覚えのある思念。ジェイドは振り返り、杉の木を見上げた。


「もしかして、ピギーか!?」


〈もしかして、ピギーだよ。ずっとご主人がめざめないから、とてもたいくつしていたよぉ〜!〉


シルヴァンイーグルのピギーは、ジェイドが一人で森を彷徨いていたときに魔獣契約した鷹だ。


誤って怪我させたお詫びに焼き魚を与えたら、勝手に契約されてしまった。


借りた恩はきっちり返すという、律儀な魔獣。


〈よかったら、あのおんどりのあいてをしてやろうか?〉


「陽動作戦か。助かるよ!」


ピギーは高い杉の枝から緩やかに滑空をした後、野菜畑の古びた柵の上に止まった。


「ピギィィーー!!!」


ピギーは薄茶色の縞模様の翼を大きく広げ、雄鶏に向け威嚇し始める。


〈コケェェーーー!!!〉


殺気立ったオンドリは、小屋から翼をばたつかせて地面に降り立つと、ピギーめがけて突進してきた。


(今だ!!)


ジェイドは素早くニワトリ小屋に入り、仕切られた巣箱の中から産みたての卵を手持ちの籠に入れる。二羽の雌鶏は藁をつついて、こちらを気にしていない。


卵を全部入れ終わると、さっさとニワトリ小屋から脱出し、扉を閉め、輪っかに小さな棒を差し込んだ。


「あっ、あの雄鶏、この小屋の中に入れなくてもいいのかな?」


とりあえずピギーに手を振って、終わりの合図を送った。しかし、ピギーは雄鶏をおちょくるのが面白いらしく、バタバタとはしゃいでいる。


「俺、家の中に入ってるよ!」


ジェイドは籠を持って家の中へと入っていった。


フィーフィに籠を渡すと、時間がかかりすぎると怒られた。なぜあの雄鶏だけは小屋の外で放し飼いになっているのか尋ねると、あの雄鶏はこの家の番犬代わりだという。


「確かに番犬みたいに凄く牽制していたよ」


「それに、あの雄鶏はものすごく面倒見がいいんだ。ヤギのピネが子ヤギだったころから世話させている」


(雄鶏に子ヤギの世話をさせていたのか?よく分からんが、変わってるな……)


変わってはいるが、雄鶏が番犬代わりというその発想は面白い。


「その雄鶏とは、どうやって仲良くしたらいい?毎回、ニワトリ小屋の前で威嚇されては困るんだ」


「そこはお前が考えろ。あれこれ作戦を立ててたら、きっと退屈しないはずさ」


「ケチだなぁ〜」


「あぁ、ケチで結構。厳しくするのも師匠の役目さ。朝ご飯を食べた後は、山菜とキノコ狩りに出かけるよ」


❇❇❇❇


朝ごはんを食べてから1時間後、ジェイドとフィーフィは、森へ出かけた。シルヴァンイーグルのピギーも水の精霊たちもついてきている。


「いつも朝ごはんは、あんな豪勢なものを食べるのか?」


今朝のごはんは、搾ったばかりのヤギのミルクで作ったホロホロチーズと、卵焼きに、大きなベーコンと採れたてのサラダ菜。チキンの野菜スープに、斜めにカットされたバケットが添えられていた。


「バカ言え!!臨時収入が入ったからだ。いつもはもっと質素だ」


つぶっこA《マリベラ様が金の塊をフィーフィに渡したのを見たんだよ》

つぶっこB《これで、愛し子に美味しいものを食べさせてやれってさ》

つぶっこC《だから、金を貰って得したのはフィーフィの方だよ》


「うるさい!!つぶっこどもめ!!余計なことまで言うんじゃない」


フィーフィが杖で水の精霊たちを追っ払う。でも、掠りも当たりもしない。


「もしかして、用意してくれた長袖の服も、マリベラ様がくれた金の塊をお金に換えてから買ったの?」


「それがどうした?」


「あの、服を買ってくれて、どうもありがとう……。そこまでしてくれるなんて、マリベラ様は本当に俺のことを子供のように思ってくれているのかな?」


ジェイドはあの日のことを後悔した。


『親でもないくせに?』


マリベラは眉を歪め、目の奥にある光が陰り、薄っすらとした口元は何かを言いかけて止めたようだった。


(あぁ、酷く傷つけたよな……)


「マリベラ様は俺が悪い愛し子でも、無条件で愛してくれるのだろうか……」


ジェイドがぼそりと呟いた。


「はぁ!?何か言ったか?儂は耳がデカいが、よう聞こえんのじゃ」


「いいや、別になんでもないよ……」


森の中で空を見上げれば、以前より日差しが緩やかになっていることに気がついた。


夏が終わり、涼しい秋が始まろうとしている。


モミジやカエデは、緑の葉先が赤や黄色に変色し始め、森のリスたちはこぞって冬に備え、どんぐり集めに勤しんでいる。


遠くで雄鹿たちがパートナーをめぐって、角をぶつけ合っている音が森にこだましていた。


右側で猫じゃらしの草むらがガサガサと揺れた。二羽のツノウサギの耳先がチラリと見えた。


フィーフィは俊敏に杖を振るい、風魔法でツノウサギを二羽捕らえると、術で真空状態にして窒息させた。動かなくなったツノウサギを、フィーフィは難なく亜空間収納に納めた。


「ツノウサギの角は、いい薬の素材なんだ」


それからフィーフィは、山菜やキノコや薬草を採取しながら、それぞれの効能や副作用について淡々と教えてくれた。


「森のキノコには簡単に触れるなよ。指先に触れただけでかぶれるやつもあるからね。儂は【鑑定】のギフトがあったから薬師として今まで生きてこれたようなものだ」


「エルフにもギフトが?ギフトに人種は関係ないんだなぁ……」


「そりゃ当たり前さ。全知全能の神のギフトは全て公平に与えられる。人間だけのギフトだとおこがましいことを考えるんじゃないよ?動物にだってギフトが与えられているんだ。その動物は知能が高いと言われているがね」


「俺は何も知らなかったんだな。いままで、死ぬほど勉強してきても、この世の中には、まだまだ知らないことがたくさんあるんだな……」


「生きるために学べ、ジェイド。やるべきことはまだまだたくさんある」


(やるべきことは、まだまだたくさんある……かぁ)


フィーフィの言葉は、今のジェイドにとって、希望に満ちた言葉に聞こえた。


読んでくださり、ありがとうございます。


次回で第一部も終わりますので、つぎも読んでくださったら嬉しいです。







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