第五十二話 薬師のフィーフィ
ダグラスたちと別れた後、ジェイドと水の精霊マリベラは、世話になっている薬師のフィーフィの家に戻ってきた。
杉の木に囲まれた古い二階建ての木造の家。少し歪な赤い三角屋根から石造りの煙突が突き出ている。そこから薄っすらと煙が棚引いていた。
ジェイドの目から見ても、粗末な魔女の家にしか見えない。
庭に目をやると、ささやかな家庭菜園のほかに、ぐっしょりと濡れた布団や枕が干されていた。
それだけではない。木のベッドやサイドテーブル、魔法スタンド、カーテン、高く積み上げられた本たちまで、雫が垂れるほど濡れているのだ。
「なんですか、あれ。全部濡れてるけど……」
〈お主がやったのだろう?まぁ、覚えてないものは仕方ないか……〉
「えっ!?」
マリベラは、ジェイドの戸惑いの声などつゆほども留めない様子で木のドアをノックした。
「あいよ、開いてるよ」
低い嗄れた声がドア向こうから聞こえた。
遠慮なしにマリベラは中へ入った。後に続くジェイドは、室内を見て驚いた。
「うわぁ……」
目の前に広がるキッチンは、天井まである棚に圧倒されていた。棚には瓶詰めされた素材らしき物がびっしりあって、乾燥させた草花や薬草たちがいくつも天井にぶら下がっていた。
野性的な草の香りと強いハーブの香りが入り混じった空間にジェイドは思わず鼻を塞いだ。
大きなテーブルには、古い本や薬草らしきものや瓶に入った調味料のようなもの、何かを擦り潰した後のメノーの乳鉢と乳棒がいくつも並んでいた。
レンガ造りの炉に大きな鉄鍋が乗せられていて、泥のような色をした液体がぐつぐつと煮込まれている。
「全く、おめぇは……。恩を仇で返すとはこのことだわ!!」
背の低い、腰の曲がったお婆さんが、目を細めてジェイドを睨みつけた。
二本あるほうれい線に眉間の深いシワ。昔は綺麗だったであろう金色の髪は白髪が殆どで、頭の上にお団子結びをしている。そして気になったのはツンと長い耳。
(エルフのお婆さんだ……!!エルフを見るのは初めてだ!)
「何をボケッと見とるんじゃ?」
「あの、すいません。お世話になっているというのに俺、何も覚えていなくて……フィーフィさんですよね?はじめまして、ジェイドです」
「子供のくせに、ご丁寧に『はじめまして』じゃねーわ!!おめぇさんの魔力暴走のせいで2階の部屋は丸々冠水してしもうて、そりゃ大変だったわい!!」
カツンと杖先を石床に叩く。
「ごっ、ごめんなさい!!」
「あほぅ、ごめんで済むか!!今日から一ヶ月は家全部の掃除でもしてろ!!」
「掃除ですか……。分かりました」
「魔法は使うなよ?ちゃんと道具を使って掃除をするんだ」
「えっー!!」
「『えっー!!』じゃない。儂は恩人じゃぞ?掃除は生活するうえで基本中の基本じゃ。まさか掃除すらできない木偶の坊なのか?」
ジェイドは首をブンブン振った。
「いいえ!!やります」
「だったら、2階のお前が使っていた部屋を雑巾で綺麗にしろ。分かったな?」
フィーフィが人差し指で『来い』の仕草をすると、雑巾とバケツが物置きからふわりと飛んできた。
(浮遊魔法か。詠唱もなしに指だけで操るなんて……本当に魔女っぽいな)
「何か言ったか?」
両手をヒラヒラさせながら、微笑んだ。
「ハハッ!なんでもありません」
〈では、ジェイド。また後でな〉
マリベラはジェイドの頭にキスをした後、人型が崩れ、水渦を巻き起こしながら、シュンと消えていった。
「マリベラ様と契約したのか?」
「はい」
「なら、今日からおめぇさんは精霊使いだな」
「精霊使い……?」
フィーフィはバチンと手を叩いた。
「日が暮れる前に部屋を片付けてきな!!」
「あっ、はい!」
ジェイドは慌てて、バケツと雑巾を手に取り2階へと上がっていった。
2階に上がると、部屋には何もなく、ただ湿った空気とビチャビチャに濡れた壁と床だけがあった。
「冠水したとか言っていたけど、一階は無事だったんだなぁ……。しかしこの床、水漏れしないんだな」
ジェイドは乾いた雑巾を二枚広げ、丁寧に床を拭き始めた。
濡れた床を拭いては、雑巾で絞ってバケツに水を貯めていく。それを延々と繰り返していると、頭の上の方から子供の声がコソコソと聞こえてきた。
つぶっこA 《ジェイドが起きたよ!》
つぶっこB 《やっと起きた。良かった無事で!》
つぶっこC 《私たちに気づくかな?》
つぶっこD 《気づいてくれなきゃ寂しいよ!》
つぶっこE 《見て、みんな。ジェイドがこっち向いてる》
つぶっこ全員 《《《あっ!!》》》
ジェイドの目の前に銅貨ぐらいの大きさの水の塊が五つ浮かんでいた。
ただの水の塊から声が聞こえていたのだ。
「君たちは誰だい?マリベラ様の友だち?」
つぶっこA《私たちは水の下級精霊だよ!》
つぶっこB《俺らはずっとお前のことを見守ってきていたんだぜ!!》
「見守っていたのか?ずっと?」
つぶっこ全員《《《そう!ずっとね!》》》
下級精霊たちが見守っていたなんて、全く気づきもしなかった。
「いつから見守っていたんだ?」
つぶっこ全員《《《生まれた時から!!》》》
その瞬間ジェイドは、胸がドキッとした。自分の葬られた記憶を知っている者が今、目の前にいる!!
「ということは、俺の……俺の生まれ故郷を知っているということだよね?俺はどこの国の出身なんだ!?父親と母親の名前は?今の両親はどこにいるんだ?俺はいつから一人になったんだ!?」
焦る気持ちを隠せずに、矢継ぎ早に質問をした。
しかし、つぶっこたちは黙り込む。
つぶっこC《ごめんね、ジェイド。私たち、人間が決めた国の名前とか全く分からないよ。でも、お父さんとお母さんの呼び名なら知ってるよ。せーの!》
つぶっこ全員《《《ジョエルとディーナ!》》》
ジェイドは腰が抜けて、ふらふらとしゃがみ込んだ。胸の鼓動が落ち着かない。
「ジョエルと……ディーナ!」
ようやくジェイドは、つばを飲み込んだ。
つぶっこA《安心して。赤ちゃんだったジェイドは、ジョエルとディーナにちゃんと愛されて育ってきたんだよ!》
その言葉で、つっかえていた物が取れ、ようやく肺で深く呼吸をすることができた。
「あははっ……!俺にもちゃんと両親がいたんだ。ちゃんとした両親が!!」
今度は目頭が熱くなり、ジェイドは震える両手で顔を隠した。
つぶっこB《あ〜あ、泣いちゃったじゃねーか!!》
つぶっこC《私、泣かせてなんてないからね!》
つぶっこE《みんなで泣かせた》
つぶっこD《やだぁ〜!!ジェイド、泣かないでよ!!》
つぶっこたちはジェイドの頭の上でよしよしと撫ではじめた。
ジェイドは、ハッとして顔を上げた。
「お願いだ!!どうして俺がここまで来たのかを順を追って説明して欲しいんだ!!」
つぶっこたちは互いに顔を見合わせた。
つぶっこE《それ、とーーっても長くなるけどいいの?》
つぶっこA《掃除終わらせないと、フィーフィに怒られない?》
つぶっこB《俺らは逃げたりしないから、掃除が終わったらゆっくり教えてやるよ!!》
「ありがとう。みんな!」
自分の身元がはっきりしてきたのが、たまらなく嬉しくなったジェイドは、ふわふわした気分で床を雑巾で拭った。
「そうか、ジョエルとディーナか……」
そればかり呟きながら、まだ見ぬ両親の顔を想像しながら手を動かす。
つぶっこA《ジェイドが掃除したら日が暮れちゃうから、私たちもお手伝いするね!》
そう言って、つぶっこたちは宙を舞い上がった。
つぶっこA《壁や床に染み込んだ同胞たち。出ておいで!!》
つぶっこの一人が声を上げると、無風だった部屋に突如、一陣の突風が部屋の中を駆け抜け、真ん中でつむじ風が起こった。
ビューーー!!!
やがて小さな竜巻のような形になると、ジェイドの頬に水滴が掠った。
ふと壁のほうを見ると、壁一面に水滴が噴き出し、それが風で飛ばされ、中央に集まっていく。
つぶっこB《同胞たちよ、もっと集まれ!!》
床からも同じく水滴が溢れ、飛ばされ、中央に集まっている
つぶっこC《さあ!遠い空の旅路へ急げ!!》
――ゴゴゴゴォォーーー!!!
そう言うと、部屋に集まった水の塊が竜巻に乗って開いていた窓を越えて、空高く消えていった。
「水の精霊の乾かし方って面白いな」
つぶっこ全員《《愛し子に褒められちゃった!》》
つぶっこたちはブンブンと嬉しそうに飛び回った。
「外にある家具たちも同じことができる?」
つぶっこC《できるよ!》
「頼んでもいいか?」
つぶっこ全員《《モッチのロン!!》》
ジェイドたちは外に出て、濡れたベッドやその他の家具たちも、水の精霊に任せて乾かしてもらった。
無事に乾いた家具を部屋に戻そうと、ジェイドは「身体強化」の魔法を使おうとしたら、ポカッと後頭部に軽い衝撃が走った。
「痛っ!!」
振り返ると、いつの間にかフィーフィが鬼の形相で立っていた。
「魔法を使うなとさっき言ったばかりだろ!!」
「でも……」
「でもじゃない!!」
フィーフィが杖を動かし、ベッドを宙に浮かべた。
「おめぇさんはようやく目覚めたばかりなんだ。魔力はいいと言われるまで使うな。分かったか?」
「……はい」
❇❇❇❇
日が暮れて夕食時になった。
キッチンはフィーフィの仕事場になっているので、食事はリビングで食べるのが普通になっているらしい。
フィーフィが暖炉の棒に鉄鍋を引っ掛け、レードルでかき回し、コトコトと煮込んでいるのは緑色が鮮やかなスープだった。
「これを食べれば、誰だって元気になるわい。残さずにしっかり食べろよ」
「ちなみに何の野菜ですか?」
「ラディッシュの葉とマスタードの葉、それにジャイアント豆を裏ごししたものが入っている」
「うわぁ……緑だらけ……」
「贅沢言うな。貴重なキャロットもオニオンも入っとるがな。ただ、お前さんの体調に合わせて作ったんじゃ。感謝せい!!」
木の器にスープを取り分け、小さく切ったパンには熱々のチーズがかけられた。
リビングの小さなテーブルにぎっしり並べられた料理を見て、久しぶりの食卓にテンションが上がった。
「ほれ、そこに座れ」
フィーフィは食事の挨拶をせずに、パンを食べはじめた。
『豊穣の恵みに感謝して、今ある食事を共に分かち合おう』
ダグラスの言葉が脳裏をよぎった。ジェイドは手を握り、食事の前に祈った。
「……豊穣の恵みに……感謝を……」
ジェイドは熱々のスープをスプーンでかき混ぜる。湯気から豆の香りがした。恐る恐る飲んでみると、意外と苦くなく、すんなり飲めた。
「見た目と違って飲みやすい……」
「ハッハッハ!そこは美味いですと言え!」
はじめてフィーフィが笑った。
ジェイドはどんどんスープを体に流し込んでいく。温かいスープは、心もお腹も落ち着かせていった。
「まろやかだろ?ヤギのミルクが隠し味さ。これをおめぇさんも作れるようにならなきゃいかん」
「料理も俺が?」
「当たり前じゃ。お前はまだ小さすぎる。お前が大きくなってこの家を出るまでには、いろんなことを覚えていかにゃ、生き延びることはできねぇ」
「おめぇさんは、今日から儂の弟子になれ。薬師の弟子になるんだ。儂の下で仕事を覚えろ。分かったな?」
ぶっきらぼうで素っ気ない態度だが、フィーフィはしばらくここに置いてやると言っている。
「なんで、こんな見ず知らずの俺に親切にしてくれるの?」
フィーフィの手がピタリと止まった。
「ふん!!マリベラ様とはしばらく、『持ちつ持たれつ』の関係でいたいのさ」
フィーフィは黙ってスープを食べ始めた。
(あの村を追い出されてから、広い森の中で一人で生きていくものだと思っていたのに、まさかこんな風になるなんて……)
暖炉の薪がパチンと爆ぜ、温かな空気が波のように打ち寄せる。
橙色の明かりがか細く揺らめく魔法のランプ。
冬の間に縫ったのだろうか、愛らしい花模様の刺繍のクッションとソファーカバー。
焦げ茶色の古い家具に囲まれた、落ち着いた空間。
その真ん中で食事をする二人。
(これから、この家で暮らしてもいいんだ……)
ジェイドに強く絡みついていた緊張の糸がほんの少し緩んだ。
もう1話、20分後に投稿します。こちらも読んでくださったら嬉しいです。




