第五十一話 対峙
――ゴォォォォォ……。
直線に轟く美しいマリベラの白滝。滝壺は浅葱色に揺らめく。近くの湿った岩の苔に色とりどりの蝶の群れが止まり、呼吸をするかのように羽を動かしていた。
ジェイドを抱いたマリベラは桑の木の影にある大岩に降り立った。
抱っこされたままの彼は、マリベラに降ろしてもらう。
大岩からダグラスたちを見下ろす。彼らに降り注ぐ木漏れ日が、風で揺れていた。
「よう、ジェイド……。久しぶりだな」
ダグラスの声が少し上擦った。
「……お久しぶりです。ダグラス副隊長」
レイアはこちらに目を合わせないまま、動かないでいる。
「まずは俺からお前に謝らなくてはならない。そして、許しを請わなくてはならない」
ダグラスは左膝を地につけ、右手の握り拳を胸に当てた。
「あっ、お父様!!」
謝らなくてはいけないというのは、ジェイドが『不倫の子』というデマの誤解が解けたということだろう。
挙動不審なレイアがチラリとこちらを見上げ、小さく唇を動かした。
「あの……、その……」
――ゴォォォォォ………。
蚊の鳴くような声は、滝の轟きにかき消された。
〈久しいの、レイアとやら。なぜここに来たのだ?確か、三年間、右腕はそのままだと言ったはずだが?〉
マリベラが口火を切った。
「そこを何とかなりませんか?相手は子供ですよ?」
ダグラスがすかさず言い返す。
マリベラとダグラスの会話の流れがよくわからない。『三年間、右腕がそのまま』とは何のことだ?
ジェイドはマリベラをじっと見つめた。
「マリベラ様。レイアに何かしましたか?どういうことか、説明してください」
マリベラは自分のおでこを擦りながら瞼を閉じ、再び目を開いた。
〈我は愛しの子を貶めた罰として、彼らに罰を三つ与えた。一つはジムナムの死。もう一つは、村が利用していた川を取り上げ、最後の一つは、レイアの右腕を『枯渇』させた。しかも三年間のみという軽い刑〉
「なに!?貶めた罰って……そんなの全く聞いてないよ!!」
〈当たり前じゃ、言ってなかったからな〉
「なんで、勝手な真似をしたんだ?俺はそんなこと頼んだ覚えはないぞ!!」
〈これは水の精霊全体の総意なのじゃ。お前の意思など関係ない。もし、これが親と子の関係ならば、傷つけられた我が子を黙って見ている親はいないであろう?それと同じことだと思えばいい〉
「本当の親でもないのに!?」
ジェイドの言葉にマリベラが眉を歪めた。目の奥にある光が陰り、薄っすらとした口元が微かに動いた。
――ゴォォォォォォ……。
再び、滝の轟音が耳の奥に大きく鳴り響く。
「……マリベラ様、ごめんなさい。命の恩人なのに、少し言い過ぎました」
〈いいや。ジェイドが謝ることではない。確かに親ではないが、我々精霊は愛し子を愛してやまないようにできている。傷つけられたら、どうにも腹の虫が治まらないのだ〉
マリベラは眉尻を下げ、目を細めた。微笑んでいるようだが、ぎこちない。
「……まず、レイアの右腕を『枯渇』させたといったね。三年間とか言っていたけど……」
〈……ああ〉
ジェイドはチラリとレイアの方を見た。フードの奥にある蜂蜜色の瞳が潤んで見えた。
「……レイアの腕を元に戻してくれないか?」
マリベラは素早く腰を下ろして、ジェイドの両腕をがっしり掴んだ。
〈何故だ!?あの娘のせいで、愛しの子は苦しい思いをしたのだろう?絶望を味わったのだろう?先程まであの娘を見て、手が震えていたではないか!!〉
彼女に掴まれた腕が痛い。
「確かに傷つけられたし、追い出されたことはつらかったけど!!だけど、そういうことはもう終わりにしたいんだ」
ジェイドはシリウスだった頃を思い返していた。
シリウスは学園生活で4年間もメリッサを言葉で傷つけ続けた。それが本意ではなかったとしても。そして、全てを告白して、許しを乞うつもりだったが彼女は許さなかった。
それがどれほど苦しかったか、今でも覚えている。
もしも、今ここで自分がレイアを許さなかったら、レイアは心に『後悔』を背負ったまま生きていくかもしれない。シリウスのような二の舞を演じさせたくなかった。
「マリベラ様。俺は許すよ。だからお前がやらかしたという右腕を元通りにしてあげてよ」
「ジェイド……お前……ありがとう!」
ダグラスは祈るかのように、深々と頭を下げた。
〈この娘の罰は軽い。たった三年の罰だぞ?そのままで良いではないか。三年経てば元に戻るのだから――〉
「あの……水さま!!私……私、あなたとの約束を破ってしまったの。あなたのことを誰にも言わない約束……。それを破れば、この腕は元には戻らないとおっしゃっていましたよね?」
突然レイアが、前に出て話に割り込んできた。
〈ああ、確かに言った。まさかお主、日も経っていないのに、もうそれを破ったのか?〉
レイアは黙って頷いた。
〈お前の口は羽根のように軽いのだな〉
蔑視するように彼女を見下ろした。
「この腕のことで質問攻めにあったから、つい口を滑らせたの……。お願いします!!どうか、この腕を元に戻してくれませんか?永遠に腕が戻らないなんて嫌です!!」
彼女は左手で右腕を擦った。ローブに隠れて右腕は見えてないが、酷いことになっているのだろう。
〈お主、前に言っていたな。ジェイドに会ったら謝ってほしいと。腕がどうのこうの言う前に、今がその時ではないのか?〉
レイアの動きが止まり、ジェイドと目が合った。
「ジェイド……」
彼女は意を決したようにジェイドを見上げた。
「ジェイド……あの日ね、私、風魔法のテストで先生に褒められたの」
約5日間程、レイアとみっちり勉強をして、浮遊魔法の練習をしてきた日々を思い出した。
最初はツンケンしていたレイアも、一緒に勉強をしていくうちに表情も明るくなり、ジェイドに質問をぶつけてくるようになった。元来のレイアは頭の回転が早い子だった。
「空高く、風に乗せて鳥の模型を飛ばせた時は嬉しかったし、胸が高鳴った。あの時までジェイドに『ありがとうとごめんなさい』を伝えようと思っていたの」
「ありがとうは分かるけど、ごめんなさいって?」
「……ジェイドが来たあの日、お父様はジェイドに付きっきりだった。いつもお父様は仕事が不規則で、こっちは付きっきりになることなんて滅多になかったのに。なのにあなたは、一緒にお風呂に入ったり、お布団で寝てたり、修行をしたりしてさ。やっぱりお父様は男の子が欲しかったのかなって……。それでお父様との距離を感じてしまったの……。それで――」
「嫉妬していたのは知ってたよ。あの時、泣いていたもんな」
「……嫌なことを言ってごめんなさいと伝えたかったの……」
ダグラスががっくりと肩を落としていた。
「レイア……」
「私ね、お父様が出張で家にいない夜は、部屋でお母様がくれたエメラルドの指輪をずっと眺めていたの。その指輪は、お母様と別れる前の日にくれたものでね、美しい指輪を人差し指に通して、心を落ち着かせていたの」
レイアは何もない左手を掲げて微笑んだ。
「私にとってお母様は心の支えだったから、あの『不倫の子』の噂は私を地獄に突き落とすには十分だった。結局、そのデマに振り回されて、私はジェイドを傷つけてしまった。あとから本当のことを知ってとんでもないことをしたと後悔したわ」
「私は細くてもいいから、お母様と繋がっていたかったのに、あの人はそうでもなかった」
「あの人?」
「あの人に言われたの。もう来ないでってさ」
「……レイアはお母さんに会いに行ったのか?」
彼女は黙って頷いた。
「馬鹿みたいでしょ?私は、あんな薄情な人のために怒ってあなたを追い出したのよ?」
お母さんを思い出したのか、頭をもたげ、赤い髪をくしゃりと乱暴にかきあげた。
「本当はね、水さまに殺される予定だったけど、水さまがこんな私に情をかけてくれたの。この腕の罰も一度は受け入れたのよ。私はジェイドに対して酷い仕打ちをしたから……」
「もしも、君が殺されたなら、俺は水の精霊を許さなかっただろうな」
ジェイドは、ギロリとマリベラを睨みつけた。
〈……でっ、でも、殺さなかったからよいではないか!!〉
「ジムナムは殺したんだろ?」
〈それは奴が元凶だったからな〉
「今度から、勝手な真似はしないでくれ。それと村の川も元に戻しておいてよ」
〈なっ!?それは無理だ。もう、水路は埋め立てたのだから無理だ〉
「だったら、今度から大ごとになるようなことはしないでくれ。俺はそんなことでは喜ばないぞ!!」
〈……分かった〉
「ジェイド!!死ぬまでこのまま右腕が使えないなんて、私、やっぱり嫌なの。お願い!!ジェイド。私を……私を許してほしい。お願いします!!」
レイアは土下座をして頭を下げた。慌ててダグラスも頭を下げた。
「マリベラ。今すぐ、レイアの右腕を戻してくれよ」
〈あぁ、分かった。腕を元に戻してやる。運のいい奴らめ〉
マリベラは右手をかざして、呪文を唱えた。
〈乾きの苦しみはここで終止符を打つ。その枯れた身に順々に潤いを満ち給え〉
マリベラの掌からミストのような風が吹き出した。霧の風はレイアを包み込むと、渦を巻いて無数の木の葉が舞い上がり散乱した。レイアの姿がボヤケていて見えない。
――ザザザザザザァァ………。
「レイア!!」
〈馬鹿者!!心配せずともよい。しばし待つのだ〉
やがて渦が弱まり、舞い上がっていた茶色の落ち葉がひらひらと落ち始めた。
姿を現したレイアは赤い髪からポタポタと雫が落ちる程びっしょり濡れていた。
恐る恐る濡れたローブの上から右腕をそっと触れてみる。
「……元に……元に戻っている!」
レイアはボタンを外し、ローブを脱ぎ捨てた。
半袖シャツから見える艷やかな右腕は、傷一つなく、関節も指先も綺麗に動かすことができる。
まるで奇跡が起きたかのようにレイアは感動していた。
「レイア!!」
ダグラスは涙目でレイアに駆け寄り、強く抱きしめた。
「お父様、腕が……棒のように枯れていた右腕が、元に戻りました!!」
「あぁ、良かった!!」
――ゴォォォォォ………。
滝の轟きが再び聞こえ始めた。ふたりの親子を大岩から見下ろしていたジェイドは、この二人の間には入る隙はないと思った。
「レイアはお母さんがいなくても、素敵なお父さんが君を抱きしめてくれるじゃないか。それだけでも君は幸せ者だよ」
ジェイドの指先は腕を強く握りしめた。
〈お主らの願いは叶えた。これ以上の願いは聞かぬ。では、ジェイド。我々も行こうか〉
マリベラはジェイドを抱え込もうとした。
「まっ、待て!!どこへ行くんだ!?」
〈知人のところだ。今のジェイドにとって必要な場所だよ〉
「ジェイド、受け取れ!」
「え!?」
ダグラスは懐からコンパクトのようなものを取り出すと、それを投げた。大岩の上にいるジェイドは無事にそれをキャッチする。
「それはな、魔法通話の道具だ。時間があればそれに連絡する。だから、時々会って双剣の修行をしよう」
「……会ってくれるの?」
「あぁ、会いたいんだ。俺が。それに双剣の師匠は俺だぞ。弟子の成長を見守らないとな!」
ダグラスはあんなことがあったのに、まだ俺と繋がろうとしてくれている。
それだけで胸が熱くなった。




