第四十八話 川が消失した日(2)
《グルルルゥゥーーー!!!》
ダグラスたちは洞穴の手前で立ち往生していた。
目の前の足元は大きな落とし穴が隠されている。洞穴の外にはブラッディーハンズベアーが待ち構えている。
ブラッディーハンズベアーは頭と胴体部分は黒い毛で覆われているが、手足が赤黒い毛並みをしているのが特徴だ。普通のクマよりも一回り体が大きく凶暴だ。
ブラッディーハンズベアーは血の匂いを嗅ぎつけたのか、鼻を鳴らしながらこちらをじっと見つめている。
(おっ、丁度いいのがあるぞ)
ダグラスは地面に横たわるラビットバットの耳を掴んで、持ち上げた。
「こいつが食いたいのか?」
《グォォーーーーン!!!》
ブラッディーハンズベアーの口から大量の涎が出ている。
「もしかすると、ヤツは喉が渇いているから、血を欲しがって――」
「違うよ」
後ろから少年の声が聞こえた。ダグラスとポールは、はっとして、振り向きざまに素早く身構えた。
「動物たちには別に何も落ち度はないんだ。動物たちの為に森のなかにいくつかの泉を作っておいた。それもウィリデーヌに頼まれていたからね」
(また、ウィルデーヌか!!)
「ふ〜っ。エルドだったよな?いたずらにしてはひどすぎないかい?」
ダグラスの額から汗が滲み、ポタリと地面に滴り落ちた。
「こんな落とし穴、可愛いもんじゃないか?愛し子に優しくしておいて、後になって追い出す人間の方がえげつない。ウィリデーヌも腹を立てていたぞ」
冷やかすように言うエルド。
ダグラスの胸の奥に亀裂が入った音が聞こえた。
「よそが何を言っても理解できるはずがないさ。当事者じゃない限りな。例えそれが水の精霊でもな!!」
ダグラスはずっと心の内で『こんなはずではなかった』と連呼していた。
ジェイドと過ごしたあの日を思い返す。
一緒に夕ご飯を食べ、お風呂に入り、同じ布団に寝て、まるで親子のように過ごした1日。翌朝の双剣の修行も楽しかった。
いつかあの子とレイアが笑って過ごせる毎日がくると思っていたんだ。
なのに、俺が出張に行っている間にめちゃくちゃになっていた。
――全て、あのくだらない噂のせいで。
「俺はただ、あの子のことを思って……それなのに、何で!!」
ダグラスの拳が震え、体内から熱気が漏れ出す。
「――人の気も知らないで!!!」
「じゃあ、僕は行くよ。ここから出れるようにせいぜい頑張って!」
エルドは手を振ると、ふわりと姿を消した。
《グルルルゥゥーーーー!!》
我慢ができなくなったのか、ブラッディーハンズベアーがダグラスのもとへ駆け出した。
「うわぁ、こっちに来たぁーー!!!」
ポールが頭を抱えてしゃがみ込んだ。
――ドシャァァーーーー!!!
大きな振動がした後に、大量の土煙が舞った。熊が落とし穴にはまったのだ。
「ゴホッ、ゴホッ……ゴホッ!!」
やがて土煙が落ち着いてくると、大きな落とし穴にブラッディーハンズベアーが尻もちをついていた。しかし、落とし穴の深さはヤツが仁王立ちをしたら届く程度に浅い。
「竹の槍が埋め込まれているわけではない、だたの浅い落とし穴ですね」
「確かに。でも、こいつを倒さないと、外には出れない」
ダグラスは掴んでいたラビットバットを落とし穴に
放り込んだ。
《ガルルルルゥゥーーー!!!》
ブラッディーハンズベアーは、すぐそれに飛びついた。
「ほら、ポールも後ろにあるラビットバットを穴に放り込め」
ダグラスとポールは3匹のラビットバットを穴へ放り込んだ。
ヤツがラビットバットを捕食している間にダグラスは双剣をしまい、ハチェットを2本取り出した。
「何ですかそれ?手斧じゃないですか!?しかもリーチも短いし、……熊相手だと危険なのでは?」
「ハハッ、これはこれで便利だぞ?斧の反対面は金槌みたいに打撃もできし、投擲にも向いているぞ」
「こんな重そうなものを2つも?腕の筋力がないと、無理そうですが……」
「逃げ場のない落とし穴で戦うのは少々ハードルが高いが、今はむしゃくしゃして、いい感じなんだ」
ダグラスの瞳が鋭く光り、こめかみにうっすら血管が浮き出ていた。
肌心地のよい牛革の手袋を両手につけてから、手斧をブォンと素振りをする。
「えっ、ダグラスさん。本気ですか!?ブラッディーハンズベアーですよ?普通のクマとは違うのに!!」
ブラッディーハンズベアーの爪は、鋭くて長い。槍のように仕留めて獲物を食らう。
「魔法無しでもやれるところを見せてやるさ」
ダグラスは落とし穴の中へ飛び降りた。
それに気づいたブラッディーハンズベアーがラビットバットを投げ捨てて、こちらを見据え、鼻筋に皺を寄せた。
《グォォォーーン!!!》
威嚇するかのように吼え、後ろ足で二本立ちをすると、いきなり赤血塗られた鋭い爪が襲いかかってきた。
――ガキィーン!!!
重量のある爪の攻撃を斧の刃先で上手く力を逃がし、素早く懐へ回り込んだ。
「セイ!!!」
――ブゥン、ズシャ!!
ダグラスはブラッディーハンズベアーの脇腹を斬りつけた。シャワーのように血飛沫が弾ける。
《グォォォォーーーン!!!》
(ここでしゃがむ!!)
血走った目をしたブラッディーハンズベアーは、振り向きざま、ダグラスを覆いかぶさるかのように襲いかかった。
――ブォーン、ズザン!!
《グォォォォーーーン!!!》
ダグラスは膝をつき、ブラッディーハンズベアーの両膝を一閃した。血飛沫が顔にかかり、後ろ足がズルリとずれた。
バランスを崩したブラッディーハンズベアーは、まるで巨木が倒れようとしている。
(まだまだ!!!)
矢のように飛びかかったダグラスは、倒れる寸前のヤツの心臓をめがけて、2本の斧を叩き斬った。
――ブォォーーン
斧を振るう音が洞穴内に響く。
(逝け!!!)
――ドスン!!!
《グォォォォーーーン!!!》
土埃が舞い、巨体は弾むように地面に叩きつけられた。白目をむき、口から血を吐き、悲鳴を上げたブラッディーハンズベアーは、息も荒く巨体を震わせながら、やがて動かなくなった。
「いっ……、一方的すぎる!!」
ポールはこれ以上にないぐらい目を見張り、感嘆するように叫んだ。
「はぁ……はぁ……腹減った」
ダグラスは崩れるようにしゃがみ込んだ。
朝から何も口にしていないから、疲労感が半端ない。
「はあ……ポール、降りてこいよ。早く外へ出よう」
ポールは慎重に落とし穴に降りると、おびただしい血を避けながらこちらへやってきた。
「ほら、君を上げるから、この手のひらに足をかけて」
「わっ、分かった!」
返り血を浴びた両手でダグラスは、ポールを引き上げた。ダグラスもポールの手を借りて、落とし穴から引き上げてもらった。
洞穴に潜って30分以上は経っただろう。
巨大な森の木々の隙間から差し込む日差しが、久しぶりに心地よく感じた。血生臭い洞穴から出れて、森の清らかな風が鼻の中を浄化してくれているようだ。
川溜まりのところで、ダグラスは深いため息をついた。
今回の件。どうやって村人に説明したらいいのか。しばらく考えていると、ポールが話しかけてきた。
「凄いです、ダグラスさん。ブラッディーハンズベアーを倒したとき、まるで野獣みたいでしたよ!」
目を輝かせてダグラスを見つめるポール。
「ハハッ、なんだよそれ。鼻をつまんで言われても、褒められた気にならねぇな」
「嗅覚が敏感なんです。それより、このブラッディーハンズベアーの遺体どうします?」
この洞穴から『ウィリデーヌ』が消えたのなら、もう使えないだろう。もう川は死んだのだ。
「……この洞穴ごと埋めてやるさ」
ダグラスは胸ポケットから杖を取り出した。
「大いなる大地よ、隆起せよ【アースウォール】」
足元から振動が走ると、ガラガラと岩や土がひとりでに集まった。ボコボコと地中から土が盛り上がっていく。
「わぁ〜お!!」
土煙が辺りに舞うなか、洞穴をピッタリと塞ぐ土壁ができた。
「ダグラスさんは、土属性だったんですか?」
「俺は風と土、2つの属性を持っている。洞穴内が、魔法無効化されたときは、内心焦ったよ」
「あ〜あ、魔法か……。俺にも属性があったらなぁ……」
彼が羨ましそうに杖を見つめていると、ダグラスは首を横に振った。
「今回はお前の五感強化能力で助かったんだ。ここにいるのもポールのお陰だよ」
「へへっ、お役に立てれば光栄です!」
ダグラスはマジックバックからスクロールを2本取り出した。
「今から短距離用の移動スクロールを破って、魔法城へ行くよ。君の分もやるから、ほら!」
ダグラスはスクロールをポールに手渡した。
「あざっす!!」
人懐っこいポールは、すっかりダグラスの子分みたいになっている。
ダグラスはスクロールを広げて魔法城の座標を杖で書き記すと、両手でスクロールを破いた。地面から湧き上がる光の奔流にダグラスたちは飲み込まれた。
❇❇❇❇❇
ダグラスとポールが移動スクロール魔法城の園庭に着くと、森に住んでいる住民全員がすでに避難していた。魔法城前の広場は、荷物を持った村人でごった返す。
不安を抱えながら話し合う大人たちの足元で、無邪気に走り回る子どもたち。
人口の一番少ないE居住区だが、世帯数は20世帯で、人数は68人はいる。
そんな大人数を泊めるスペースがあるにはあるのだが、大広間で雑魚寝をして寝てもらうわけにはいかず、こうして文官たちが動いているのだ。
魔法城の文官たちは、他のA〜D居住区のアパートや宿場に問い合わせをしたりして、転移手続きで大わらわだ。
村人はダグラスの姿を見て、息を呑んで驚いていたが、ハンナがダグラスに声をかけて駆け寄ってきた。
「あんた、血だらけになって!!このひどい格好はどうしたの!?まさか、どこか怪我でもした?」
ハンナはダグラスを見るなり、体をペタペタ触りだした。ダグラスは力なくハンナの手をどける。
「ああ、大丈夫だ。ちょっとブラッディーハンズベアーとやり合っただけだ」
「ちょっとって……ちょっとどころじゃないじゃないか!!」
「それよりも、水を1杯飲んで、風呂に入ってから上に報告することがあるんだ」
「そうかい。で、上流はどんな様子なんだい?」
ハンナは不安そうにダグラスに尋ねてきた。
ダグラスとポールは視線が合った。彼が小さく首を横に振る。
「……今、村に戻るのは難しいだろうな。あの川は元には戻れないよ」
ダグラスとポールは魔法城へ向かった。
ハンナはよほどショックだったのが、これ以上ダグラスに聞いてくることはなかった。
❇❇❇❇
魔法城のエントランスホール。
ラピスラズリの濃紺の石床を汚れたおじさんが二人、カツカツと歩く。湾曲した白い階段の間にいる受付嬢に軽く手で挨拶をした。
「この場所と血まみれのダグラスさんとこの豪華なお城は全く不釣り合いですね」
後ろからついてきたポールが素直に呟く。
「ハハッ、本当だな」
ダグラスの右の視野から、金色の眩い光が飛び込んできた。
(ん?スクロールか)
黄金色の光の渦からカルロスとマーサ、そして、白いローブを纏ったレイアがそこに居た。
「あっ、お父様!!」
「レイア?どうした、お前たち。戻ってくるのが早くないか?」
「えっと、ちょっと話したいことがあって……」
レイアが指先をモジモジさせながら、視線を外した。
レイアの後ろで、カルロスとマーサの沈んだ表情が気になった。
「何かあったのか?」
すると、カルロスがレイアの隣に近寄ってきた。
「その前にお前のその格好をどうにかしろ。話は、私の執務室で話そう」
いつもとは違うカルロスの様子に、ダグラスは嫌な予感がした。
投稿……遅れました!!すみません!!
そして、読んでくださった方、ありがとうございます!




