第四十七話 川が消失した日(1)
ダグラスが村の異変に気付いたのは、レイアが王都へ行ってから、翌日のことだった。
誰もいないツリーハウス。ジェームスにはしばらく暇を出したので、レイア達が戻ってくるまでは、ひとりっきりだ。
誰にも起されずに、ゆっくり寝たのは数年ぶりのことかもしれない。
「ははっ!自宅謹慎様々だな」
ダグラスはベッドから起き上がると、両手を伸ばして背伸びをした。まずはカーテンと窓を開け、部屋に朝の爽やかな空気を入れる。
澄んだ香りと木々のざわめきが、眠気を覚ましてくれる。
ボサボサの赤髪に、ゴマ粒のような無精ひげ。筋肉質なお尻をボリボリ掻きながら、中年男は脱衣所へ行く。
いつものように顔を洗おうと蛇口をひねった。
「ん?」
ダグラスがいくら蛇口をひねっても水が出てこない。こんなことははじめてだ。
「故障かな?」
蛇口にある魔法円陣を確かめても特に問題ない。
「こまったな。これじゃあ髭も剃れやしない」
ダグラスはとりあえず服を着替えて、朝ごはんを買いにパン屋へ出かけることにした。
****
外へ出て、しばらく小路を歩いていると、たくさんの村人が『憩いの広場』に集まっていた。なにやら、騒々しい。みんなが揃いもそろって険しい表情をしていた。
「おはよう。みんなで集まってどうしたんだ?」
「あっ、ダグラスさん。丁度いいところへきた。大変なことが起きたんだ!!」
パン屋の亭主グルドが珍しく勇ましい。
「どうしたんだ?」
「森の川が消えたんだ」
「えっ?」
「水道の故障じゃなかったんだ。水自体が消えたんだよ」
「ダグラス!!これじゃあ、子供たちの朝ごはんが作れないよ」
ハンナがダグラスに不満を漏らした。
「洗濯もできない」
「お風呂にも入れない」
「パン屋も開けられないよ」
「喉がカラカラだよぉーー!!」
村人たちが口々に訴えてきた。
ダグラスは居ても立っても居られなくて、川の方へ走っていった。
アーチ形の木橋に着くと、本当に川の水はなくなっていた。水がない川底には翡翠色の石ころと薄茶色に色褪せた水草があるだけだった。
子供たちが枯れた水草を引きちぎり、綺麗な楕円形の小石を拾って集めていた。
「嘘だろ……こんなことがあり得るのか?」
ダグラスはすぐさまポケットからコンパクト型の魔法通信機を開いて、魔法城の特別任務課へ連絡をした。
「あっ。先輩、こんな朝早くにどうしたっすか?」
取ってくれたのは、若者三人衆の一人、アレンだった。
「アレン、済まない。緊急事態だ。E居住区の川がいきなり枯渇したんだ。各世帯水が出ない。私は今から川上の方を見てくるから、上の方に報告しておいてくれ」
「かしこまり!でも、住民の皆さんはどうしましょう?」
「水がないと、いろいろと不便だ。とりあえず、住民を一旦魔法城へ避難させよう。騎士団の応援要求をしてくれ」
「了解しました!先輩」
早速、ダグラスはジムナムの後釜である、水道局員のポールと一緒に水源へ行くことにした。
❇❇❇❇❇
――1時間後。
ピーヨロロロロォォーーー。
巨木の森の上空では、鳶の群れが騒いでいる。きっとあの鳥たちも川の水がないことに驚いているに違いない。水は人間だけではない。この森に住んでいる動物にとっても死活問題だ。
「はぁ……はぁ……ふぅ〜!」
枯れた川底をポールと2人でひたすら上流に向かって歩く。足元は水気すらなく、砂利と大きな岩がゴロゴロとしていて行く手を阻む。
上流に向かうに連れ、川幅が狭くなり、いくつもの岩の段差を越えなければならなかった。
「まさか、枯れた川底の上を歩くとは、思ってもみませんでした」
ポールが首にかけたタオルで汗を拭う。
「でも、川底を歩くのは失敗だったな。こんなに歩きづらいとは思ってもみなかった。遠回りでも山道を歩くべきだな」
「確かに。でも、道には迷いませんでしたよ。ほら」
ポールは左斜に指を差したのはドーム型の洞穴だった。横幅が3メートルはあるだろうか。水がないので、トンネルのような形になっている。
川は一旦左側に曲がっており、洞穴の前には円状に高く積まれた巨大な石切り壁が鎮座していた。
石切り壁の壁面は年季が入っている為か、表面がツルツルしている。途中から石の色が変化しているので、いつもの水位が一目で分かる。
「洞穴からこちらに水が流れ、石切り壁の開けている部分から川へと続いていたんだな」
「この辺は石灰岩で出来ているので、鍾乳洞が多くあるのですよ。洞穴の入り口には、このように人工的に作られた川溜まりに統括魔法円陣が組まれているのです」
確かに円状の川溜まりの地面には、統括魔法円陣があり、円の中に浄化魔法と転移魔法が複雑に組み込まれていた。詠唱の文字が書かれた外円に、真ん中には対になった円陣が二つ。この円陣には問題がなさそうだとダグラスは思った。
「洞穴の中まで見に行きましょう。もしかして岩が崩れて水が堰止められているのかも」
ポールは怖い者知らずなのか、意気揚々と洞穴の中を進もうとする。
「おい、もっと慎重になれ!!」
「平気ですって!」
その無鉄砲ぶりにため息をついたダグラスは杖を取り出すと『ライトアップ』と唱えた。
「危険と判断したら、すぐに引き返すからな!!」
❇❇❇❇
洞穴の中は岩肌が粗く、高さも2メートル半とそんなに高くない。天井も足元も気をつけて歩かないと怪我をしそうだ。
ダグラスの杖の先に緑色の光が辺りを照らす。色のせいだろうか洞窟の雰囲気が一気に幽霊が出てきそうな、ひんやりした雰囲気になった。
「俺が火属性だったら足元までクリアに見えていたんだが、すまんな風属性で」
「いいえ。俺、無属性なので助かります」
「無属性か、珍しいな。で、どんな能力があるんだい?」
「主に五感能力系ですかね。嗅覚、聴覚、視覚、味覚、触覚が人より優れているんです」
「ほう、じゃあ弓矢は得意かい?」
「そうですね。得意の部類になります。でも身体強化とかできないんで、戦闘向きではありませんが、その代わり危険を察知する能力には長けてますよ」
「そりゃ頼もしい!」
そんなたわいのない会話を続けながら、しばらく歩いていたら、ポールの動きが急に止まった。人差し指を口に当てて『静かに』と手でサインを出す。
ダグラスはマジックバックから短剣をそっと取り出し、構えた。
「よく分からない匂いの塊があの先にあります」
ポールは目の前の暗闇に指をさした。だが、何も見えない。
「なにがあるっていうんだ!?」
ダグラスはその先にある暗闇に緑色の光を当てて、目を凝らした。
『ふふっ。ウィリデーヌの言う通り、……人間が来た』
少年のような声が聞こえた。
闇の向こうから靴音が聞こえる。
ポールはダグラスの後ろに下がると、ダグラスは短剣と杖を構えた。
緊張の時間が過ぎていく。
「なっ、子供!?」
現れたのは、レイアと変わらないぐらいの少年だった。
緑色のライトに照らされている為、髪の色や肌の色まではよく分からないが、膝丈ぐらいのマントをつけており、ラフなシャツに半ズボンと編み上げブーツ。それに片耳には金のピアスをしている。
ポールは震える手でダグラスの腕を引っ張った。
「ダッ……ダグラスさん、今すぐ逃げましょう。この子は人間じゃない。心音が聞こえないんだ!!」
「なに!?」
「あれ?分かっちゃったの?せっかく人間の恰好を真似てみたのに」
癖っ毛の愛らしい少年は、ケロッとした顔で小首をかしげる。
「やあ、少年。おじさんたち二人はね、この川の水が突然止まった原因を調査をしている所なんだ」
すると、少年はにこりと笑った。
「それ、知っているよ」
ダグラスの短剣を持つ手が、僅かに震えた。
「知っているって何をだい?」
「君達、ウィリデーヌに嫌われたんだよ」
「ウィリデーヌ?……知らないな」
「「この川の名前だよ!!」」
ポールと少年の声が重なった。
「なんだよ。名前も知らないで、この川の恩恵にすがっていたのかよ。後ろのお兄さんの方がよほどしっかりしているじゃないか!!」
「すみません、ダグラスさん。俺、最近ここに来たばかりなもんで、下調べはしてきているんですよ」
頭を掻いて詫びるポールが、なんだかズルく思えてきた。
「で、なんで川のウィリデーヌに嫌われると、川の水がなくなるんだ?」
すると、少年は頭を抱えて、ニヤリと笑った。
「『水精霊の愛し子』を虐めた村だからに決まっているだろ?」
ダグラスは心臓がビクンと跳ねた。膝に力が抜けるような、体中の血液が重くなったような感覚に陥った。
「ま……まさか、ジェイドのことか?」
「さぁ?愛し子の名前など僕は知らない。僕の名は土の中級精霊エルドだよ。この川の主であるウィリデーヌに頼まれて、複雑な水路の一部を埋め立ててきたんだ。生意気な人間どもが来たら、いたずらをして追い払ってくれって言っていたよ」
「いたずらって……」
少年の足元が一瞬、オレンジ色に光った。
(ん?なんだ)
「へんな音があの足から聞こえました!!」
ポールがダグラスの背中にしがみついた。
「実は、おじさんたちが来た道にさ、落とし穴を掘ったんだよね。落っこちないで帰れたら、おじさんたちの勝ち。落ちたら僕の勝ちってところだ」
「なんだと!?」
「あぁ。それからここから向こうは行き止まりになっているから。水源を掘り当てるのはほぼ不可能と思っておいてね」
「じゃあ、ゲーム開始!」
少年が笑顔でふわりと姿を消すと、闇の奥から甲高いなき声が聞こえた。
「ダグラスさん、ラビットバットが一斉にこちらへ飛んできます!!」
ダグラスは杖で魔法攻撃をしようとしたその時、緑色のライトが消えた。
「わっ、なに!?」
「何!?魔法が無効化されたぞ!!」
「ダグラスさん、もう目の前にラビットバットが迫ってきています!!」
ラビットバットはウサギぐらいの大きさの蝙蝠で、鋭い爪と前歯が特徴だ。爪には毒を持っている。彼らは魔物で群れで襲ってくる。
《キィーーーー!!!》
ダグラスはマジックバックからもう一つの剣を素早く取り出した。
――シュッ、ズバッ!!
ダグラスの一閃で、飛んできた一匹のラビットバットが血を噴き出して落ちていく。
「ポール!!視力と聴力がいいんだろ?位置を教えてくれ!!暗くてよく分からん!!」
「了解!」
「ダグラスさんの2時の方向から2匹!!」
――シュッ、シュッ、ズバッ!!
「10時の方向からも3匹!!」
――シュッ、シャッ、フォン、ズバン!!
「12時の方向から大量のラビットバットが一気に押し寄せてきます!!」
「ええい、ままよ!!」
ダグラスは砂利を蹴り上げ、剣舞を舞うように体を回転させながら、自在に双剣を操る。
敵の羽ばたく音、吐く息に耳を澄ませる。
――シュッ、シャッ、シャッ、ブォーン、ズバン!!
《キィィーーーー!!》
次々とラビットバットが地面に落ちる音が聞こえる。洞穴には血の匂いが辺りを充満している。死体とヌルヌルした血のせいで足元が転びやすくなっていた。
「ポール!!ラビットバットはあと何匹ぐらいいる?」
「あと、5匹ぐらいです!」
「よし、脱出するぞ。ポールの五感の能力を使って、落とし穴の地面から空気が漏れている場所を避けて通るんだ!!」
「分かりました!」
ポールを先頭に、ダグラスは後ろから追尾してくるラビットバットを倒しつつ、外へ向かって歩いていく。
「魔法が使えないなんて、本当に厄介ですね」
「おかげでポールの凄さが改めて分かったよ」
――シュッ、シャッ、ズバッ!!
右側へ寄ったり、左側へ寄ったり、真ん中を歩いたり、ポールと背中合わせに進んでいく。
《キィーーーー!!》
――シュッ、シュッ、ブォーン、ズバン!!
洞穴の出口の前まで着く頃にはダグラスはラビットバットを殲滅させていた。が、ポールの動きが止まった。
「大変です!この一帯全部が落とし穴になっています!!」
「なに!?」
しかも外には、1頭のブラッディーハンズベアーがこちらを睨んでいた。
普通のグリズリーよりも一回り体格が大きい。
「ダッ……ダグラスさん!!熊がこちらに近づいてきています!!」
ポールが尻もちをついた。
「血の匂いに誘われたか……」
洞穴にいる限り魔法は使えない。
ダグラスは額に汗を滲ませていた。




