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第四十六話 レイアの罪と罰

ザァーーー。


ここはどこ?


さらりとした柔らかな地面。砂の上?


重い瞼を何とかこじ開け、辺りを見渡した。


真っ暗で何も見えない。闇が深すぎて奥行きすら分からない。


ただ海のように青く揺らめく場所が一つだけ。


私はゆっくりと立ち上がると、暗い所からその青く光る所まで歩いた。


細やかな砂の上をゆっくりと歩く。


(足の裏が気持ちいい……)


砂はさらりと乾燥していて、それでいて冷たい。


私は青い光の真下に辿り着いた。


光の下では砂まで青白く浮かび上がって見える。


ザァーーーー。


私は砂の上にしゃがみ込んで膝を丸めた。


ザァーーーー。


「………雨、止まないね」


〈お前がレイア・アルガバンスか?〉


「?」


目の前に現れたのは髪が腰まで長い女性だった。頭から足元まで輪郭だけがくっきりと青白く、肌は半透明で、人ではないと一目で分かった。


「あなたは誰?」


〈私はな、お前なんぞに名乗る者ではない。『水』と呼べ〉


「……水さまが、私に何の用?」


〈……う〜ん。お主、心が冷たくなっておるな〉


「……罰が下ったからよ」


〈罰?何をした〉


「……愛を求めて期待しすぎていた罰。知らないうちにお母様をずっと苦しめてきた罰。私はこの世に生まれてくるべきではなかったかもしれません……」


頭によぎるのは、凛としたお母様の強い眼差し。



『私は結局、貴方を捨て、舞台を選んだの。何も変わらない。それが全てよ』


『今だから言うわ。私のことは忘れてちょうだい』



自然と目頭が熱くなる。


〈……この世は常に必然なのだ。そなたが生まれたのもまた必然。意味がある〉


「……意味なんてあるのか分からない」


〈ふむ。我の愛し子もお前と同じような罰が下ったと言っていた〉


「何の罰?」


〈お主ら家族に期待した罰。お主の父に愛を求めようとした罰だ〉


その言葉を聞いて心臓がビクンと跳ねた。


「我の愛し子って……まさかジェイドのこと?」


すると、半透明の女はニヤリと笑って、私に近づいた。瞳は赤く不気味に光っている。


〈そうだ……我の愛し子はジェイドと言う〉


背中に鳥肌が立ち、ゾクッと肩を揺らした。震える気持ちを抑えて、レイアは女に質問をした。


「ジ……ジェイドが私たちに期待していたとか、愛を求めていたとか、どういうこと?」


〈ジェイドは父と母の顔を忘れた哀れな子だ。なのにお主の父ときたら、愛しの子に中途半端に情を入れるものだから、ジェイドも浮かれてしまった。あの子は、父を求めていた。心の底から温かい家族を欲していた〉


「家族を欲していたって……。ジェイドは森を彷徨ったあと、木こりの人に保護されて、それからご両親が迎えに来て引き取られたのよね?優しい両親じゃないの!?」


〈いいや、お主は何か勘違いをしているようだ。ジェイドは親になど会ってはいない。……愛しの子は森を彷徨った後、マットウルフに襲われ、大怪我をした。川に流されたところを我らが助けた。今は我の古い知人が預かっている〉


「えっ、そんな……襲われたの?私、聞いてないわ!!お父様が私に嘘をついていたの?待って……ジェイドは?ジェイドは大丈夫なの?」


〈我が愛しの子の体の傷は癒えた。が、お前らが傷つけた心はそう簡単には癒えない〉


レイアは彼の柔らかな髪を掴んで引きずり、力任せに玄関から放り出したことを思い返していた。


「……今、ジェイドはどこにいるの?」


〈聞いてどうする?〉


「謝りたいの。ひどいことをしてごめんなさいって、本当に謝りたいのよ!!」


〈顔も見たくないと追い出したのは、お主の方ではないか〉


レイアはひゅっと息を呑んだ。


「それは……」


〈謝れば、お前のここに刺さった棘が取れるからな?〉


「なっ……!?」


女は胸をトントン叩くと、赤い目が光りニヤリと笑った。


〈棘は刺さったままにしておけ。我がお前のもとに来た本来の目的はお前の命を刈る予定だった〉


「命を……刈る?」


〈……そうだ〉


〈今日は、あの子を貶めた嘘つき男の命を刈ってきたところだ。そして、お主の元へ来た〉


「嘘つき男って、ジムナムのこと?」


〈名など、どうでもよい〉


「今度は私の番ということね」


〈そうだ〉


私は天を見上げた。暗闇のなかに一点だけ光る青い揺らめきを見つめると、ここで死ぬのも仕方がないと思えてきた。


「いいよ。命を刈っても……」


〈ん?……なぜだ〉


「私が死んで、ジェイドがそれで気持ちが収まるならそれでいい」


〈……〉


「元々、生まれてこなければよかったのよ」


私は小さな両手をじっと見つめた。そこにポタリ、ポタリと涙が落ちてくる。


「母親を苦しめたい子供なんていないんだからね」


濡れた手をぎゅっと握りしめた。


〈……今、お主は絶望の中にいる。ジェイドとは違うが、それに似た罰を受けている。だから命まで取るのはやめておこう。ただし、小さな罰を3年間受けてもらう。それが妥当だろう〉


女はレイアの目の前に立つと彼女の右腕を掴んだ。


「ぎゃああぁぁーーーーっ!!」


右腕に巨大なハンマーで殴られたような強烈な痛みが走った。あまりの衝撃に足の力が抜け、砂地に膝がつく。右腕から蒸気みたいな靄が舞い上がった。


女に掴まれた腕は枯れた枝のように細くなり、二の腕から指先までピクリとも動かなくなった。


「はぁ、はぁ、……あれ?……痛みが……消えた?」


〈痛みは取り除いた。これは最大の配慮だ。だが、利き腕を『枯らした』。不便な生活を3年送ることになる〉


「3年後はどうなるの?」


〈罰は終わり、腕は元通りになる。だがその間、我やジェイドの名を出してはいけないよ。元に戻れなくなるからね。あと腕が折れないように気をつけるんだな〉


「これがジェイドを傷つけた罰なのね?」


〈そういう事だ〉


「ジェイドには、もう会えないの?」


〈言ったであろう、棘は刺さったままにしろと〉


「……ジェイドに会えないのなら、『ごめんなさい』と伝えてほしい」


〈罰が終われば、考えておこう〉


女はふわりと宙に浮かぶと、音もなく霧のように消え去った。


ザァーーーー。


また、誰もいなくなった。


雨はまだ止まない。


レイアは右腕にそっと触れた。皮膚は茶色くたるんで、筋肉はなくなり、か細い骨が浮き出ている。


「骸骨みたい……」


そのまま砂の上でうつ伏せになり、瞼を閉じた。



❇❇❇❇



「……レイアお嬢様……」


柔らかな枕が視線に入ると、その先にマーサが心配そうにこちらをうかがっていた。


「おはよう、マーサ」


「レイアお嬢様。その……気分はどうですか?」


「……どうもしないわ」


重い瞼を擦ろうと手を動かそうとした。


(右手が動かない)


レイアは左手で目を擦ると、マーサに水を入れてきて欲しいと頼んだ。


マーサが寝室から出ると、上半身をゆっくりと起こし、布団をめくった。


右腕が枯れ枝のように痩せ細っている。痛みはない。


「夢じゃなかったんだな……水さま」


今までだったら、泣いたり喚いたり、大騒ぎをしていただろう。でも、そういう感情が湧かなかった。これは私が受けた『罰』なのだから。


「どうしよう。マーサは驚くだろうな……。でも、夏服だから隠しようもないしなぁ……」



案の定、寝室に水を持ってきたマーサが右腕を見て大騒ぎになった。彼女は急いでカルロスの元へ助けを求めに出ていってしまった。


数分後、カルロスがこちらに駆けつけると、柄にもなく真剣な顔をしながら、レイアの右腕を凝視していた。


カルロスの手が痩せ細った腕に優しく触れる。


「こんな風に一部だけ痩せさせる呪いなんて全く聞いたことないぞ……」


レイアはジェイドと水さまの名前は伏せて、これが私の天罰なのだと大雑把に説明した。


「おじ様、気にしないで。3年過ぎれば元通りに戻るはずだから」


「3年って……3年で元通りになるって保証がどこにあるんだい?」


「保証はよく分からないけど……。あと、ジムナムも天罰が下って、すでにアイツは死んでいるはず」


その言葉にカルロスの顔色が変わった。


「えっ?今、死んだって言ったかい?」


「そうよ」


しばらく考え込んで無言になったカルロスだが、椅子から立ち上がると、何も言わずに大股で部屋を出ていった。


「マーサ。朝ごはんはこちらへ運ばせてくれない?」


「はっ……はい、かしこまりました」


❇❇❇❇


レイアとマーサが朝ごはんを食べ終え、紅茶を飲んでいる頃、この部屋に来客がやってきた。


「わたくしが……」


そう言って、マーサがドアの方へ向かった。


しばらくして「お引き取りを」と言う彼女の声だけが何度も聞こえる。


何事かと思っていたら、ドタドタと部屋に入ってきたジュリアスだった。


「やぁ、レイアちゃん!元気?」


「おはようございます。ジュリアス様」


すると、ジュリアスの動きがピタリと止まり、眉がピクリと動いた。


「ちょっと、なによそれ!?」


悲鳴のように叫ぶと、手荷物を放り投げて凄い形相で近づいてきた。私の右腕を唖然とした顔で凝視している。


「昨日まで普通だったわよね!?どういうことなのよ?」


ジュリアスがじっとマーサを見つめる。しかし彼女はさっきからずっと自分の手の甲を擦っている。不安な時に出るマーサの癖だ。


「わたくしにもさっぱり……。朝からこうなんです」


「マーサ、心配しすぎよ。さっき言ったじゃない、これは天罰なのよ」


「天罰ってお嬢様は何も悪いことなど――」


「悪いことはしたわ。私は、父が連れてきた幼い子を靴も履かせないまま、乱暴に家から追い出した。酷い言葉も投げかけた。それで天罰が下ったのよ」


「レイアちゃん、何で?どうして酷いことをしたの?」


ジュリアスが私の横に座ると、悲しそうに眉を下げて見つめてきた。


「……それは、お父様が連れてきた子が、ジュリアス様とあの人の間に生まれた子供だと言う噂を真に受けてたからよ」


「えっ、うそ!?なんで?そんな話聞いてないわ。ただ私たちの噂が広がっただけとしか聞いてない……」


ジュリアスは青ざめた顔で両手で口を塞いだ。


「私は『不倫の子』だと逆上して、あの子にひどいことをしたの。そして、お母様を恨んだわ」


「それは仕方がなかったのです。お嬢様が魔力暴走をしたばかりで不安定だったから……」


「いいえ。私がもっと冷静だったら、追い出さずに済んだかもしれない。だから、マーサ、もうこれ以上余計なことは言わないで。これは私が背負う罪なの」


「いいえ、黙りません。全てはジムナムのせいですよ。お嬢様は馬鹿な噂を真に受けてしまっただけで、悪くありません」


「マーサ!!いい加減にして。私がジェイドにひどいことをした事実は変わらないわ!!……はっ!」


レイアは咄嗟に左手で口を抑えた。右腕をそっと見る。右腕は細く、痩せこけたまま何も変わらない。


どうしよう、どうしよう、どうしよう!!


今の一言で、もうこの腕は一生戻らない!!


一生このまま……。


馬鹿ね。一日しか経ってないのに……。


「ふふっ……ふふふっ!」


「レイアちゃん?」


「あははははっ!ジェイドの名前は言わない約束だったのに!!あはははははっーーーー!!!私は大間抜けだわ!!」


お腹を抱え、レイアは狂ったように笑い出した。


「レイアお嬢様!?」


マーサとジュリアスは、ふらふらと倒れそうになったレイアを支えようとしたが、レイアは彼らを突き飛ばした。


「もう、一生このままよ」


レイアは寝室へ入るなり鍵を閉めた。


❇❇❇❇


レイアは1時間ほど布団のなかで散々泣いた。泣いて泣いて涙が枯れて出なくなった頃。寝室のドアを叩く音が聞こえた。


――コンコン。


レイアは、ドアを少しだけ開けた。ドアの隙間から心配そうな顔をしたカルロスが立っていた。


「泣いた?」


「ええ、泣いたわ。話はマーサから聞いたでしょ?」


「うん。聞いた」


「もう、右腕は一生元の通りには戻れないから、本当のことを話すわ」


「っ……どういうことか、ちゃんと説明して」


❇❇❇❇❇


リビングにいるのはカルロス、マーサ、レイアの3人だけ。


「さすがにジュリアス様は帰っていかれましたか」


「ええ。今日も公演があるそうなので……」


「そうなんだ。残念だなぁ……。もっとお話したかったのに……」


「でも、今はそれどころじゃないでしょ?今朝レイアちゃんがジムナムが死んだとか言っていたけど、本当に拘置所で彼は死んでいたよ。しかも干からびてミイラみたいになっていたんだ。これはどういうことだい?」


「それは水さまが罰を下したの。『愛しの子』であるジェイドを貶めた罰よ」


「「!!!」」


カルロスは驚きのあまり手で口を塞いぎ、マーサは口が半開きになっていた。ふたりとも息をするのも忘れたかのように、動かなくなった。


「本当はね。私、昨日命を刈られるところだったのよ。でも、私がお母様のことで絶望していたから、その様子を見た水さまが、命までは取らないと見逃してくれたの」


「絶望って言うのは、昨日のアンジェリカのことかい?」


レイアは頷いた。


「本当は私、期待していたの。あの人が『会いたかった』って言ってくれるのをずっと待っていた。抱きしめてくれると勝手に思い込んでいた。でも、あの人は私を拒絶したの。個人的にはもう会えない。会うときはひとりの観客としてしか会えないと」


「それはアンジェリカ嬢が酔っ払っていただけで――」


「別に私はあの人を困らせるためにここに来たのではないの。なのに、昨日のあの人は昔を思い出してか、憂鬱そうな表情をしていたわ。私の存在自体があの人にとっては苦痛の種なのよ」


「それは違います。わたくしのせいで――」


「あの人のくれたエメラルドの指輪が唯一の心の支えだった。お母様から愛されているという証拠だとばかり思っていた。でも、勘違いだった。たとえ離れ離れでも、ずっと愛され続けていると勝手に安心していたのよ?ふふっ、馬鹿みたいでしょ」


「レイアちゃん……」


「今になってジェイドの気持ちが分かるわ。あの子は私たちと家族になれることを期待していた。お父様が息子のように可愛がるから、ジェイドも当然、お父様に愛情を求めていた。それなのに、私が嫉妬して拒んで、それを断ち切ったの。憎んで突き放したのよ。それが今度は自分に跳ね返ってきた。自業自得よ」


「そんなこと――」


カルロスはそう言いかけると、レイアに手を差し伸べた。しかし、その手は届かなかった。


「水さまは命まで取らないと、代わりに小さな罰だと言って、右腕を『枯らした』わ。3年経てば元に戻るとも言っていた」


「なるほど、だからさっき3年と言ったのか」


カルロスは納得したように頷いた。


「でもね。水さまは、こうも言っていたの。『ジェイドと我の名を出してはならない。さもなくば元に戻れなくなる』と……」


マーサは真っ青なり、手で口を塞いだ。


「マーサとのやりとりで、ジェイドの名前を口に出してしまったから、もう右腕は元に戻れないわ」


「そんな!!レイアお嬢様!!」


マーサは勢いよく立ち上がった。


「もういいのよ。命までは取られなかったから。たくさん泣いたから、ようやくこの枯れた右腕と一緒にずっと生きていく決心がついたわ」


「レイア様は悪いことなどしておりません。それにその腕では、嫁の貰い手がいなくなるかも知れないのですよ!!」


「マーサ、いいじゃない。それも含めて罰なのよ。あなたがどんなに喚いても、もう元には戻らないわ。罪は罪なのよ。それを認めないと私が前に進めなくなる」


「レイアお嬢様……」


今にも泣き出しそうなマーサが、がっくりと肩を落としている。


「カルロスおじ様。私、お父様に会いたいわ。今すぐあの森へ帰りたいの」


「……そのことなんだが、先ほどダグラスから魔法通信が入った。E居住区の水源である川が完全に干上がり、今、魔法使いの森が断水に陥っている」


「えっ!?」


「だから、あの森には戻れないよ。水が使えないからね」


「きっと、水さまね。私のせいで村まで被害が出たんだわ」


「それは違うと思うよ、レイアちゃん。報告によると、ジェイドを村から追い出したのは、村の子供たちだ。石を投げて追い出したらしい」


(信じられない!!私だけじゃなくて、皆であの子を追い詰めたってこと?)


レイアは頭を抱え、深いため息をついた。


「全て私が元凶よね。私が追い出したからこうなったもの……命を刈ろうとしたのも当然よ」


「レイアちゃん。今、ダグラスは黒龍魔法城にいる。まずはそこへ戻ろうか」


「はい」


3人は急遽、黒龍魔法城に戻ることになった。

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