第四十五話 再会
ここはホテルの最上階のレストラン。
流れるピアノ伴奏
リラックスした談笑の声
テーブルの前には料理のパレードが始まっていた。
シェフからの挨拶代わりの小品から始まり、
カットされたバケットにバターとブルーベリージャム。
前菜のカルパッチョに、そら豆のポタージュ。
冷たいレモンのシャーベット。
オーク肉の香草パイ包み。
ローストビーフのグレイビーソースかけに、鴨肉のオニオングラタン。
最後のデザートは、見た目も可愛らしい木苺のタルトとエッグタルト。
食後の紅茶は、貴族の中でも有名なローズガーデン社のローズティーだ。
私たち5人は特に会話をすることもなく、緊張の中、黙々とフルコースを食べ切った。
「……」
「……」
(あぁ……緊張しすぎて、食べることに集中してしまった……)
レイアはテーブルの影でお腹を擦った。
「アンジェリカ様、お元気でいらっしゃいましたか?」
口火を切ったのはマーサだった。
「ええ。マーサも変わりない?」
「ええ。変わりはありませんわ」
「……」
「……」
(会話が続かない……)
「ところでレイアちゃん、歌劇はどうだった?」
今度はジュリアスが、私に話しかけた。
「あの……歌劇を観ること自体が初めてだったのですが、とても感動しました。オーケストラの演奏も素晴らしかったですし、舞台も美しくて見ていて飽きなかったです」
「レイアちゃん、アンジェリカ嬢のアリアを見て、感動して涙を流したんですよ!」
「おじ様!!余計なことを言わないで!!」
耳が熱くなっておじ様の腕を叩いた。
「ふふふっ!ラストのキスシーンなんか、『本当にしているのかしら』とか言っちゃってさ」
「おじ様ってばぁーー言わないでぇ!!」
(あぁ……本当に、この人の口を針と糸で縫ってやりたいわ!!)
「ふふふっ!カロは、すぐ人をからかうところは昔から変わってないね」
ジュリアスが笑った。
(今、カロって愛称で呼んだ!)
「君もあの頃と同じように素敵だよ」
カルロスが、歯が浮くセリフをさらっと言ってのけた。
私とマーサは思わず、ガタンと姿勢を崩した。
「ふふっ!昔からカルロスは歯が浮くようなセリフが好きだったわよね」
(ジュリアス卿の話し方が女性になってる!!)
呆気にとられていた私たちをみかねたのか、アンジェリカが、ジュリアスの腕を突いた。
「あっ!ごめんなさい。その、カルロスとは学生の時からの知り合いなの」
(いやいや、恋人じゃなかったっけ?)
少しニヤけた顔をしたレイアは小さく手を振る。
「いいえ、大丈夫。気にしてませんから……」
ジュリアスはいきなりパチンと手を叩くと、いそいそと自分が持ってきた大きな袋を漁った。
「今日はレイアちゃんの誕生日よね?」
「あっ、はい……11歳になりました」
「今日はお誕生日のプレゼントを持ってきたの。受け取ってもらえる?」
取り出したのは、ブルーのリボンが付いた丸い箱だった。
「うわぁ〜、ありがとうございます!」
包装紙を丁寧に外して、リボンを解くと、白いバラが付いた淡いパステルグリーンの麦わら帽子だった。
「遠くから君を見つけた時に、まるで森の妖精のような可愛いドレスを着ていたから、ピンと来たんだ。仕事が終わってから、それに合わせた帽子を選んできたの!」
「もしかして、待ち合わせに遅れたのはそのせいですか?」
「ええ。今更だけど、遅れてごめんなさいね」
長い前髪の金髪がサラリと揺れて、青い瞳が湖のようにきらめいた。目の下の薄い皺は隠せないけど、誰が見ても、美しい顔立ちの男。
(あれ?この人、……こんな綺麗な人だったのか)
ニコリと微笑むジュリアスは、昔よりも印象がだいぶ違って見えた。ジュリアスが家に来ていた時は、マーサに『あの男に近づいてはいけません』と強く止められていた。だから、彼に声をかけられても、マーサに怒られるのが嫌で近づかなかった。
「素敵な帽子ありがとうございます。でも、あなたからのプレゼントはこれが初めてでいいんですよね?
「あら?どうしてそんな事を聞くの?」
「私、あなたとは家で見かけたことはあっても、お話をした記憶がないものだから……。もしかして私、小さい頃あなたから何か貰っていましたか?」
ジュリアスは頬杖をして私をじっと見つめた。
「私のこと覚えているの?」
「はい。おぼろげながら」
「昔さ、君に飴玉が詰まった瓶をプレゼントしようと思って持ってきたことがあったんだけど、マーサに虫歯になるからといって断られたんだよね。それで、アンジェリカに渡したの」
(あっ、知ってる)
「それでね、2階からアンジェリカが君に飴玉を落としたんだよ。キャッチしてくれるかなと思って。そしたら、案の定落としちゃって。君はそれを拾って、美味しそうに食べたんだ」
「何やっているんだ。直接手で渡せばいいだろうが」
カルロスがジュリアスにツッコミを入れる。
「だって、レイアちゃん。私を怖がって近づいてくれなかったんだもん!」
「私は、あの頃のことを断片的に覚えています。お母様がくれた飴だとばかり思っていました。本当は、ジュリアス卿がくれたのですね。もしも、あの時私があなたに声をかけていたら、私たち仲良くなれていたと思いますか?」
「う~ん、そうね。あなた、ぽちゃぽちゃしていて可愛かったから、仲良くなれていたかもね」
(ジュリアス卿は想像していたよりもいい人だ)
私のドキドキが少し落ち着きを取り戻した。
「あの……、わたくしのせいですわ。わたくしはお二方を変な誤解しておりましたの。それで、レイアお嬢様には『あの男に近づくなと』強く言ったんです」
マーサは深々とジュリアスに頭を下げた。
「その節は失礼な振る舞いをして、本当に申し訳ございませんでした」
「あら、いいのよ。そりゃあ、この子の寝室に入り浸っている男がいたら、誤解をするのが当然よ。私の配慮が足りなかったわ」
「いいえ、ジュリアスは悪くないわ。私が悪いのよ。あの時、私は引きこもりだったから、不安で寝室から出られなかったの」
「君、レディーの寝室でなにをやっていたんだい?」
カルロスがジュリアスに怒っている。しかも笑顔で。
「それは……演劇の本を読み聞かせたり、歌劇の映像を見せたり、時にはメイクをしたりして、気分を上げていたわね。私は、直接ダグラスに頼まれたのよ。彼女に生きる力を取り戻そうと必死だったのよ!」
「……あのさ、女優業の前に母親業をやろうとか……少しでも……思ったりした?」
レイアの質問に、その場の空気が一気に重たくなった。
アンジェリカは、黙って赤ワインが入ったグラスをぐいっと一気に飲み干した。
アンジェリカは一息つくと、堰を切ったように語り始めた。
「母親業、やろうと思ったわ。あなたが生まれた時にね。でも、私は不器用だから最初から全然上手くいかなかった。おむつ替えも、沐浴も、離乳食も全部、失敗してもいいから、私自身がやりたかった。でも器用なマーサに比べたら、私は出来損ないのダメな母親だった。私が出来たことといったら、牛みたいにお乳を与えることぐらい……」
その鬱々とした顔を見た瞬間、鈍い痛みが胸に走った。まさか、私がきっかけで引きこもっていたの?
「幼児だったあなたは覚えていないでしょうけど、あなたが最初にママって呼んだのは、マーサなのよ。私じゃなかったの。あのときは、あなたの世話はできなかったけど、それでもショックだったわ」
「そっ……そんなこと言われても」
レイアは言葉に詰まった。
「これで私には母親業が向いていないとはっきり分かったの。だからね、レイア。あなたはこれからもずっとマーサを『お母様』と思って生きなさい」
「アンジェリカお嬢様!!」
マーサが驚き声をかけるも、アンジェリカは首を横に振った。
「なぁ、ジュリアス。アンジェリカ嬢はもしかしてお酒が弱かったりするのか?」
「実はここに来る前に少しお酒を飲んだのよ。緊張するからって……」
カルロスとジュリアスは、酒に酔ったアンジェリカのことを心配している。
「私は結局、貴方を捨て、舞台を選んだの。何も変わらない。それが全てよ」
アンジェリカのエメラルドの瞳は潤い、鼻が少し赤くなっていた。
「今しか言わないわ。私のことは忘れてちょうだい。そして、個人的にもう会うことはないわ。それでも会いたくなったら、劇場でお客さんとして会いに来て欲しい」
「ちょっと待って、アンジェリカ嬢。今日は、彼女の11歳の誕生日だよ。何もこんな時に――」
カルロスが言いかけたその時、マーサが立ち上がった。
「ごめんなさい。あの頃はわたくしが神経質でした。わたくしがレイアお嬢様のお世話を完璧にしよう自分でやりすぎたのですわ。だから、アンジェリカ様には負担をかけまいと――」
「もういいのよ。マーサは悪くないわ。座って」
私はマーサの腕を強く掴んだ。
私は現実を突きつけられた。私だけだった。お母様に会いたかったのは。
勘違いしていたのは私。
あわよくば、もう一度お母様に近づけると思っていた。優しいカモミールの香りがするあなたへ。
見つめられたかった。潤んだエメラルドの瞳で。
その手で抱きしめられることを期待してしまった。
私が近づけば、鬱々とした顔にさせてしまう。
舞台の上のお母様はキラキラと生気に満ちていた。
……そうか。
だから、私よりも舞台を選ぶわけだ。
お母様は、もうお母様ではない。ここにいるのは、歌劇女優アンジェリカ・フォン・リュミエール。
お母様は断ち切りたいんだ。
前に進みたいんだ。
私はお母様の足枷でしかなかった。
下唇をグッと噛むと、私は首からチェーンでぶら下げていた指輪をとりだした。
「レイアちゃん、それは……」
カルロスが尋ねた。
「これは、お返しします」
エメラルドの指輪をテーブルの上にそっと置いた。
「!!!」
「この指輪はもう、私には必要ありません。それにこれは元々お父様があなた様にあげたものです」
「こっ……これは、あなたが受け取ってお守りにしなさい!!」
「いいえ。人から貰ったものをそのまま他人にあげるなど、相手にとって失礼なことだと思います。この指輪を渡した人は、あなた様のことを想い、愛を込めてプレゼントをしたのだから……。だからそれは受け取れません」
「レイアちゃん――」
ジュリアスは言いかけたが、私は満面の笑顔で答えた。
「それにね。私には『マーサ』がいれば十分です」
❇❇❇❇❇
どうやって部屋に戻ったのか分からない。
頭が真っ白で涙も流せなかった。
ずっと言おうと温めていた『会いたかった』が、とうとう言えなかった。
それを言う前にお母様の言葉で打ち砕かされた。
(そうだ、あの人を『お母様』と呼ぶ必要がなくなったのだわ)
寝室で、夜着に着替える私。傍にはマーサが心配そうに私を見つめていた。
「マーサ」
「なんですか?レイアお嬢様」
「私。あの時、笑顔でいられた?」
「……ええ、素敵な笑顔でした」
「変じゃなかった?」
「ちっとも変じゃございません」
「マーサは突然いなくならないでね」
「っ……!!」
「返事は?」
「分かりました。この命が尽きるまで、ずっとわたくしはレイアお嬢様のお側に付いております。なので、ご安心下さい」
「私には『マーサ』がいれば十分なのよ。寂しくなんてないわ」
「……」
私はベッドに上がると、布団に潜り込んだ。
ふわふわで、心地のよいベッドなのに、なぜか心許ない。
「今日は疲れたわ。もう寝るね」
「はい。おやすみなさいませ」
来週土曜日の18時に投稿します!




