第四十四話 記憶の中のお母様
アンコールの拍手の余韻を残しつつ、夢のようなひとときが終わった。
私たちが劇場を出ようとエントランスホールへ向かっていたら、多くの貴族たちがごった返しており、外は大雨が降っていた。
バーモント国立演劇場前の入り口は、それぞれの貴族の馬車が連なっていて、渋滞していた。
――ザァーーーー。
「凄い夕立ですね……。困りましたわ。傘を持ってきてませんのに……」
マーサは槍のように降ってくる雨にため息をついた。
「マーサ。僕の結界があれば、二軒先のホテルまで歩いて行けるよ」
「「えっ!?」」
少し自慢げな顔をして口角を上げるカルロス。
レイアとマーサは目を合わせた。カルロスの常識がずれているのか、それとも私たちが世間知らずなのか。
「傘代わりに結界を張る人なんて、私見たことありませんよ!?」
「でも、ほら便利だよ?」
私は首をかしげて、カルロスに言い返した。
「結界ってほとんどドーム型ですよね?こんなに混雑しているのに、無理ですよ」
「あっ、それもそっか。それなら……転移魔法が早いな。近いからそんなに魔力も消費しないし」
(はぁ……。これだから魔力の多い人は困るよ)
「私たちはカルロス様ほど魔力はありませんよ?それに、こんな場所で転移移動なんて無理です」
「なに言っているの?僕には不可能という辞書はないんだよ」
カルロスの手が私とマーサの肩に触れると、真紅の絨毯に魔法円陣が描かれた。
「始点と終点を反転させよ【インヴェルシオ】」
青白い魔力が雷のように一瞬光ると、いつの間にか宿泊先のホテルのロビーに到着しているようだった。
「うげっ!!気持ち悪い……」
二転、三転したかのような、めまいが急に起こり、レイアは足元がもたついた。マーサも同じようだ。
「はははっ!ごめんよ。レイア、マーサ。雨でずぶ濡れになるよりはまだましだろ?」
ケロッとした顔で笑うカルロスは、大人げない。
「……そうですね。少し向こうで休ませてください」
カルロスがホテルの受付ロビーへ行っている間、レイアとマーサはエントランスの窓辺にある大きなソファーに腰かけた。彼女は、こめかみに触れながら青白い顔をしている。
レイアはソファーの背もたれに身を委ねながら、ぼーっと周りを眺めた。
大理石の床にボタニカル柄の絨毯。デザインの凝った金縁の花瓶には巨大な蘭の花が上品に飾られている。甘い香りが広いロビーに漂っていた。見上げると、神殿のような大きな柱がいくつもある。
氷の結晶のように美しいあのシャンデリアは一体どれだけ値が張るのだろうか……。
「カルロス様の転移魔法はこれっきりにしたいわね。こんな豪華な空間では吐けないもの」
「本当ですね。カルロス様は魔力が多いから平気なのでしょうが、わたくしには堪えますわ」
ザァ――――。
窓辺に座っているせいか、雨音がうるさく、窓を見上げると、打ちつける雨が窓掃除でもしているかのように見えた。
「なんだか、外が凄いわね。嵐みたい」
「本当ですね。酔いはしましたけど、転移魔法で正解だったかもしれませんね」
受付が終わったのか、彼がやってきた。後ろでは私たちの荷物を従者が運んでいる。
「具合が悪いなら、転移魔法で部屋まで送ろうか?」
爽やかに目を細めるカルロス。
「「いいえ。結構です」」
****
506号室の部屋のドアノブを開けると、シンプルで、上品な部屋だった。
「うわぁ〜、見て、マーサ!結構広いよ」
目の前に現れたのは広いリビングだった。
大きな窓の近くに白い革張りのソファーセット。白壁には街中を描いた小さな油絵が数点飾られている。
金細工のライトスタンドがベージュ色のカーテンを淡く照らし、鏡台にはピンクのバラが飾られていた。
隣の寝室へ行くと、真っ白なシーツに包まれたベッドが2つ並んでいた。
ベッドサイドには、貝の形をした不思議なランプが置かれ、淡く光っている。
お風呂もトイレもピカピカで、流石高級ホテルだとマーサと2人で感心しきりだった。
私はさっそくカウチソファーに寝ころんだ。
「レイアお嬢様、はしたないですわよ!」
「だって、疲れたんだもん」
「……わたくしも少しばかり疲れましたわ」
「マーサはベッドへ寝転がればいいじゃん」
「いいえ、わたくしもこのソファーで休ませていただきます」
マーサは、一人掛けソファーにぐったりと腰を下ろすと、オットマンに両足を置いて目を閉じた。
ザァーーーー。
雨の音と間接照明の薄暗さが私の瞼を重くさせる。
「マーサ。何で雨の日って眠たくなるのかしら?」
「まだ、寝ないでくださいませ。これからアンジェリカ様やジュリアス卿とのお食事会があるのですから」
(そうだった……)
「明日に変更とか無理だよね?」
「無理でございますね」
「仕方ない。眠気覚ましにお風呂に入るわ」
「はぁ……。わたくしもその方がいいと考えておりました」
マーサはオットマンから足を下ろし、立ち上がろうとした。
「マーサ、動かないでいいから。疲れているなら、そのまま休んでいてよ。私はひとりでも大丈夫だから」
「……そうですか?では、お言葉に甘えさせていただきます」
❇❇❇❇
いつもとは勝手が違うお風呂に入り、すっかり体が温まったレイアは、マーサに髪を乾かしてもらっている。
マーサはレイアの髪をタオルで拭きながら、髪を乾かす魔道具で温風を当てる。
ブオォーーー。
「レイアお嬢様。さっきから一言も喋っておりませんが、もしかして緊張なさっているのですか?」
「えっ?ん……そうだね。お母様と何から話せばいいのか、さっぱり分からないわ」
「そうですよね……。わたくしも実は緊張しております」
「私が今日で11歳を迎えるから、6年ぶりだよ?」
「レイアお嬢様は、アンジェリカ様がいらっしゃった頃は覚えていますか?」
「5歳で別れたからなぁ……。正直、最後の1年ぐらいしか覚えていないよ」
お母様と遊んだことはほとんどない。
――古い記憶の断片。
薄紅と茜色のコスモスが揺れる。
芝生の色は巨木の漏れ日に光る。
小さな木のブランコ。
2階の寝室からカーテン越しにお母様は小さく手を振った。私もおーいと手を振った。
お母様は、たまに2階から飴を落としてくれる時もあった。
飴をキャッチできなかった私は、素早くそれを拾って白い包み紙から飴を取り出した。
半透明でキラキラと透き通った飴。
口に放り込むと濃いハチミツの味がした。
見上げると、お母様の後ろには金髪の男が立っていた。
お母様はお母様なのだけど、友だちのお母様とは全く違う。
友だちのお母様は、よく怒鳴り、よく笑い、よくその子とじゃれ合っていた。その笑顔は見ているだけで安心できて、半面羨ましくもあった。
友だちのお母様が濃いピンクなら、私のお母様は限りなく白に近いピンクだ。
何となく感じてはいたんだ。お母様がこのまま急にいなくなるのではないかと……。
「……」
「レイアお嬢様?」
私がぼーっとしている間に、マーサが髪を整えてくれた。
「今考えてみれば、私にとってマーサは『お母様』みたいなものよね」
マーサの手がピタリと止まった。
「なっ……なにを仰って――」
「だって、マーサはいつも私の傍にいて、いろいろ世話を焼いてくれて、叱ったり、泣いたり、してくれるじゃない!」
「そっ……それは、お嬢様をお世話するのがわたくしのお仕事で――」
「ふふっ!仕事の領域とっくに超えてるよぉ〜。ほぼほぼお母様だもの!」
私はニコリとマーサに微笑んだ。だけど、彼女は微妙な顔をしていた。
「マーサ?」
「さっ……さあ、髪型は可愛く仕上げましたよ!」
いつの間にかマーサは私の髪を整えてくれた。横は三つ編みで、後ろ髪はアップにしてくれた。髪飾りに真珠のピン留めが散りばめられている。
「では、ドレスに着替えをしましょう」
❇❇❇❇❇
――それから1時間後。
今、最上階のレストランで、私とマーサとカルロスがテーブル席についている。
「カルロス様はどうしてこんなに仕度が遅いのですか?私たち約束の時間から40分もここで待たされたんですよ?」
「ごめんよ、レイアちゃん。僕、緊張しちゃって……なんせ数年ぶりにジュリアス卿と会うものだから、服選びに迷ってね……」
「でも、お母様たちも遅いですよね……」
「彼女らは今日の反省会とか、明日の公演の準備とかでいろいろあるんじゃない?」
「反省するところなんてない気がしますけど……」
すると、従業員の後ろから、背の高い金髪の男性と赤いマーメードドレスを着たスタイルの良い女性がこちらへ向かって歩いてきた。
「あっ……お久しぶり」
ジュリアス卿が声をかけてきた。
私は体が固まってしまって、喉が動かなかった。
「レイア……元気だった?」
久しぶりに聞く懐かしい声は、緊張しているのか少し震えていた。
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10分後に投稿しますので、よろしくお願いします




