第四十三話 歌劇『ロザリオの奇跡』(三)
会場が明るくなり、席を立つ紳士淑女がざわめきだす。
「レイアちゃん。喉渇いたでしょ?サロンへ行こうか?」
「……人の多いところへはできるだけ行きたくないわ」
カルロスは席を立つと、腰を屈めてレイアに視線を合わせた。
「どうした?さっきから様子が変だよ。何かあった?」
レイアは一呼吸置くと、意を決してカルロスに尋ねた。
「……あの、おじ様。『ばいめいこうい』ってどういう意味なの?」
「はぁ!?誰がそんなことを?」
「いいから、お願い。……おじ様、教えて?」
カルロスは無造作に頭を掻いた。
「あのさ、『売名行為』と言うのはね、自分の名前や評判を世間に広めるために、わざと目立つようなことをする行為のことなんだ」
「へぇ……。そういうことね」
「で?その言葉はどこで聞いたの?」
「パウダールームにいた王都のご令嬢から聞いたのよ。それで……貴族裁判というのを起こしたんでしょ?お母様の噂のことで……」
観念したかのように、カルロスは項垂れた。
「あぁ、そうだよな。……レイアちゃんには、きちんと話すべきだよな。そうだよ。アンジェリカ嬢とジュリアス卿の不倫のデマを流した罪、つまりは名誉毀損で、ジムナム・アルグランドという男が逮捕された。そして貴族裁判になった。これにはアルガバス子爵家とコンフォート伯爵家の連名で裁判を起こしたんだ」
「それ自体が売名行為だと噂が広まっているのよ」
カルロスがレイアの肩を軽く叩く。
「そんなものは、ただのやっかみにすぎない。あるいは、ルミナスクラウン歌劇団を陥れるためのデマかもしれないだろ?」
「……お母様とそのジュリアス卿が宝石店で仲良くしていたらしいわ。ご令嬢たちが見ていたんだって。誤解されるようなことをする方も悪いわよ。売名行為だと疑われるのも無理ないわ」
彼は静かに首を横に振った。
「違うよレイアちゃん。そんなわけないだろ?もしかして、舞台で身につける宝石を探していたのかもしれないだろ?」
「なぜ、そう言い切れるの?」
カルロスは俯きながら、たどたどしく話し出した。
「だって、……それは、ジュリアスは……僕の元恋人だからさ」
「!!!」
レイアは驚きすぎて、固まってしまった。マーサも同じリアクションをしている。
「あいつは元々女性には興味がないんだ。だから、心配することはないんだよ!!」
急に恥ずかしくなったのか、カルロスの耳が赤くなっている。
「信じられない……。ジュリアス卿が、カルロスおじ様の!?」
思わず、レイアは口を両手で隠した。いけないことを聞いた気がして、心が落ち着かない。
「でも、このことは決して誰にも話してはいけない。さもないとルミナスクラウン歌劇団がなくなるかもしれないからね、いいかい?」
彼の真剣な眼差しにレイアは黙って頷いた。
その話を聞いてから、レイアのカルロスを見る目が180度変わってしまった。軟派な大人だと思っていたのに。
(だから、おじ様は今まで結婚してこなかったのね)
「ここは飲食禁止なんだけど、特別にこっそり飲み物を取ってきてあげるよ」
カルロスが立ち上がると、ボックス席をあとにした。
「……マーサ。カルロスおじ様のタウンハウスに行った時、カルヴァン様が言っていたことがようやく繋がったわ」
「……わたくしがカルヴァン様の立場になっても同じようなことを言うでしょう。普通なら、ジュリアス卿のような御方を会わせたくはありません」
「だけど、カルロスおじ様はまだジュリアス様を好いていらっしゃるのね。だから、あんなにムキになったんだわ」
レイアの心が少し軽くなった気がした。もう、お母様を疑うことなど、しなくてもいいと。
❇❇❇❇
しばらくしてカルロスが小さなグラスを手にやってきた。レイアの隣に座り、グラスを手渡す。
「はい。喉渇いたでしょ?アップルジュースだよ」
「ありがとう、おじ様」
心配事が消えたレイアは、憑き物が取れたように、アップルジュースを一気に飲み干した。
「……どお?少しは楽になった?」
「はい!おかげさまで」
そして再び、照明が薄暗くなった。
「最後の第三幕が始まるよ」
❇❇❇❇
緋色の幕が開くと、そこは第二王女の部屋だった。ローズマリアが余裕の表情で、侍女たちに足の爪とぎをしてもらっている。
そこへいきなりドアをぶち破いてきた男がいた。黒騎士ことアルベルト・ローデン伯爵だ。
アルベルト♪私の可愛いあの方をどこへやった!!!
第二王女♪そんな人知らなくてよ。それより、ようこそいらっしゃいました。どうぞこちらへお座りになって――。
第二王女の側にいた侍女が香炉を焚く。そこから紫色の煙が地を這うように漏れ出した。更に侍女は部屋を出て鍵を閉めた。
近くで見ていた観客もざわめきだす。
「おじ様!!あの煙、大丈夫なの?」
「あぁ、大丈夫だよ。あれは、無害の煙幕だよ。色んな色に変えられるんだ。魔法城では、ああいった魔道具を売ったり、レンタルしたりしているんだ。魔法城管轄の魔道具商会みたいなものかな?」
「へぇ〜。魔法城っていろんなことをして儲けているのね」
アルベルトの体がふらついて膝をついた。息を荒くさせ、とても辛そうにしている。
第二王女♪さぁ、性の本能よ。目覚めなさい。貴方は今から、私の虜になるのよ。さぁ、早く気づきなさい。魅惑的なこの身体。抗うことなく、求めてくるの――。
「ははっ。香炉に媚薬香をつけているわけだな。取り締まるのにどれだけ大変だったか……。笑えない話だな」
カルロスが鼻で笑った。
「本当に子供が見ていいものかしら……」
マーサがポツリと呟いた。
アルベルトはふらつきながらローズマリアの足元へ膝を付く。ローズマリアがアルベルトの顎に指先を添え、妖艶な笑みで吐息をかける。
とうとうアルベルトは第二王女の足にキスをした。
オーケストラの演奏も魅惑的な曲調へ変わり、2人がゆっくりと抱きつこうとしたその瞬間、激しくドアを叩く。
――ドンドンドン、バーーーン!!!
勇壮なトランペットが鳴り響くと、剣を持った近衛騎士団が登場し、ドアが開かれた。
『そこまでだ!!』
そこには先程の侍女も騎士に捕らわれていた。
『ローズマリア第二王女。違法薬物を所持したことにより、拘束させてもらう!!』
アメリア王女は、騎士たちに拘束され、アルベルトは助けられた。紫色の煙幕を出していた香炉も回収される。
国王と王妃がローズマリアの部屋にやってきた。
国王♪我が娘ながら、情けない。いつから人の道理から外れてしまったものか。甘やかしすぎてしまったのか。
王妃♪来年予定していた海の国バルトルディ王国への嫁入りを取り辞め、貴方には規律の厳しい聖教院へ行ってもらいます。
第二王女♪嫌よ!嫌よ!わたくしは、ずっと前からアルベルト様のことが――
国王♪黙れ、愚か者!!
ローズマリアの頬を叩く。その場に倒れ込むローズマリア。
正気を取り戻したアルベルトが、ふらつきながら第二王女に迫る。
アルベルト♪私の愛するエリザベートは、何処に隠した!?
第二王女♪教えないわ。決して教えない。知りたければ、わたくしと結婚を――
国王♪馬鹿者!!お前は、邪な心で手を出してはいけない違法薬物に触れたのだ。恥を知れ!!
すると、ローズマリアの配下にいた黒装束の男たちを騎士が捕らえたと報告が入る。
エリザベートは北の塔に閉じ込められているという。
アルベルトは、急いで北の塔へ向かうのだった。
――緋色の幕が閉じる。
「……恋に溺れると、人は恐ろしくもなるのね」
レイアがポツリと呟いた。
「レイアお嬢様にはまだ、早かったのでは……」
マーサがため息をついた。
――緋色の幕が再び開く。
舞台背景は、森に囲まれた寂しい北の塔。
鉄格子の窓からエリザベートが顔を出す。
第一幕と同じ、エリザベートの曲が流れる。バイオリンとピアノの悲しげな音に会場が静まり返った。
♪もしもヒバリのように、空を飛べたなら
今すぐここから飛んでいきたい――。
♪冷たい塔を飛び出し、
暗くて寂しい森を飛び越え、
夜風に身を震わせながら、
貴方の笑顔に夢を見て、
貴方の元へ……貴方の元へ……
途中で曲が止まると、エリザベートがさめざめと泣き出した。
会場では、鼻をすする音があちらこちらから聞こえてくる。
突然、森の中から剣を持った紳士が現れた。
それは、第一幕で登場していたオーランド・ジ・ロベルニア第二王子だった。塔に捕らわれたエリザベートを見て大きく手を振る。
オーランド第二王子♪おお、こんなところで会うとは!!囚われし可哀想なエリザベート。待ち給え、今すぐ助け出してやる。
王子は北の塔へ入ると、しばらくしてエリザベートを抱えて登場した。
オーランド第二王子は、ユーラシス王国が襲撃された時には、すでにラルストニア王国へ逃れていた。実は王宮での襲撃はオーランド王子が裏で手引きをしていたのだ。
その見返りとして、ラルストニア国王はオーランドを南の国へ無事に亡命させることを約束していた。
オーランド第二王子♪今までの行動は皆を欺くためのものだった。こんな腐敗した国は早々に滅びるべきなのだ。それで国民が救われるなら、それに越したことはない。
エリザベート♪そんな……。あなたに忠誠を誓った方々を置いて、一人だけ逃げたというの?
オーランド第二王子♪君には辛い思いをさせたと思っている。だが、もう過去を振り返る必要はない。ここで再会できたのも神の思し召しだ。今度こそ2人で南の国へ逃げようではないか。そこで商売を始めよう!2人で新しい未来を築くのだ!
意気揚々とするオーランド第二王子。
すると、馬で駆けつけたアルベルトがやってくる。男に抱えられたエリザベートを見て、驚きを隠せない。
アルベルト♪貴様何者だ!!今すぐ、エリザベートを下ろせ。さもなくばその両腕を叩き斬る!!
オーランド第二王子♪何を言っている。我こそがエリザベートの婚約者だ!!
アルベルト♪たわけ!!我こそがエリザベートの婚約者だ。
オーケストラが激しい旋律を奏でる。
互いに剣を構え、一触即発の緊張感を漂わせていた。
『『覚悟!!』』
互いに拮抗した戦い。オーケストラのテンポが速くなり、シンバルが派手に鳴り響く。
2人の剣の舞いに会場からは応援の野次が飛び交い、すっかり魅了されていた。声援は市民たちからだろう。
「カルロスおじ様とは、大違いですね」
「え〜。そこ比べるの?」
「やっぱり舞台上の剣術は格好良く見えます」
「僕のは格好悪かった?」
「……そもそも認知阻害のペンダントのせいで、カルロスおじ様の格好いいところは見えませんでした」
「……」
舞台の端で、草陰に隠れていた間者がアルベルトに矢を放とうと構えていた。
「危ない!!」
エリザベートが身を挺してアルベルトを庇った。矢は胸に刺さり血が流れ出る。
会場からは耳がずんざくほどの悲鳴が上がった。
2人の間に倒れるエリザベート。
間者は第二王子の側近だった。
『まっ、まさか。エリザベート様が庇われるとは!!』
側近は怖くなったのか、その場から逃げるように立ち去った。
『『エリザベートーーーッ!!』』
2人の男は泣き崩れた。
すると、エリザベートが握りしめていたロザリオが光出すと、ゆっくりと宙に浮いた。
眩いほどのスポットライトを浴びるエリザベート。
「そうか、お母様は風魔法を操れるのだったわ。ロザリオを風操作しているのね……」
レイアが感心して見ていると、カルロスがレイアの頭を撫で始めた。
「君も風魔法を使えるのだろ?あれぐらいはできるよね?」
「……上手くないけど」
舞台背景が白い幕に変わると、白煙から白髪の男がゆっくりと現れた。
『『貴方様は!?』』
寿命の神♪我はあらゆる生き物の寿命を管理する者。お前たちが望むなら、この娘を助けてやろう。この娘を救う代わりに、夫となる者の寿命をこの娘へ分け与える。よいな?
オーランド第二王子♪そんなバカな!?寿命を移すなんて、できるわけがない。人は皆、長生きしたいものだろう?なぜそのような無茶を言うのだ!?
アルベルト♪あぁ、寿命の神よ。私の寿命の全てを差し出しても構わない。愛する人を蘇らせてください。私はエリザベートの微笑みのなかで死ねるなら本望だ!
オーランド第二王子は首を振りながら、後ずさりをする。
寿命の神♪黒髪の勇敢な騎士よ。その娘への想いに免じて、夫となるお主の寿命の半分をこの娘に移そう。
アルベルト♪おお、偉大なる神よ!感謝致します
お前の寿命は残り40年ある。その半分の20年をこの娘に移す。良いな?
アルベルト♪はい。構いません。
白い舞台背景にライトが一斉に振り注ぎ、上から金色の紙吹雪が舞い降りる。
いつの間にかエリザベートに刺さっていた矢が消え、エリザベートは息を吹き返した。
『アルベルト様!!』
『エリザベート!!』
スポットライトを浴びた2人は固く抱きしめ合い、キスをする。
会場からは大きな拍手と感嘆が響いた。
オーケストラは最高潮に盛り上げ、ゆっくりと幕を閉じる。
「まっ……まさか、あれって本当にキスしたの!?」
オペラグラスを握りしめながら、レイアは驚きを隠せない。
「いや、しているフリかもね。今度、本人に聞いてみたらどお?」
「おじ様、何言っているの?そんなの聞けるわけないわ」
そして、緋色の幕が開くと、そこはアルベルト伯爵家の園庭のベンチだった。
2人は仲睦まじく肩を寄せ合っている。エリザベートはお腹に手を当て、アルベルトに微笑みかける。
アルベルト♪君と同じ時を過ごせることが何よりの幸せ。たとえ、死が早く訪れようとも、そんなものは関係ない。ただ、妻の手を握りしめ、瞳を見つめ、温もりを噛み締められたら、他には何もいらない。
エリザベート♪いくつもの困難があったけれど、もう何も怖くない。貴方が傍に居るだけで私の心は満たされるの。穏やかな日々を貴方と2人……いいえ、いつの日か子供たちと仲良く暮らしていきたい――。
花吹雪が舞うと、オーケストラは明るいフィナーレを迎えた。
会場からは割れんばかりの拍手が起こる。レイアたちも手が痛くなるほど拍手をした。
緋色の幕が閉じると、袖の方から演者がやってきた。みんな手を振り、お辞儀をする。
アンジェリカにスポットが当たる。やりきったその満面な笑みで会場に手を振っている。
母親だけど母親ではない気がした。
「こんなお母様、多分今まで見たことない……。生き生きとした笑顔……。私が最後に見たお母様はつらそうな顔だった」
「これはわたくしが知っている奥さまではありませんね」
マーサも同じ感想だろうか。
「輝ける場所に来れて良かったわね。お母様……」
カーテンコールが終わっても、しばらく拍手が鳴りやまなかった。
最後まで読んでくださりありがとうございました。次の投稿は延長して8月20日に投稿します。(新作を投稿するため)よろしくお願いいたします。




